ジョージ・ワシントンの隠し子騒動

以前、テレビでワシントンの末裔だと主張する人についてそれはあり得ないと一刀両断したが、昔も同じような人はいた。ワシントンに隠し子がいるという主張だ。

 ウェスト・フォードという独立戦争の後に生まれた混血の奴隷がワシントンの婚外子ではないかという疑惑がある。フォードはヴィーナスという奴隷の母親から生まれ、ワシントンの弟ジョンの地所であるブッシュフィールドで所有されていた。驚く程、ワシントン家の特徴を備えていたという。1801年、ジョンの妻ハンナが亡くなった時(ジョンは1787年没)、その遺言に従ってフォードにだけ自由が与えられた。さらにジョンとハンナの息子、つまりワシントンの甥のブッシュロッドがマウント・ヴァーノンの一部を相続した時、160エーカー(約64ヘクタール)の土地をフォードは与えられている。
 フォード家の伝承によればヴィーナスはワシントンを父親と認めていたという。ワシントンは少年を伴って教会に行き、狐狩りや遠乗りに一緒に出掛けたと伝承は語る。そうなると、いつどこでヴィーナスがワシントンの子供を身籠ったかが問題となる。それはヴィーナスがハンナに付き添ってマウント・ヴァーノンに訪問した際だという。そうした機会はまったくなかったとは誰も断言できない。
 しかし、こうした話はあくまで伝承であって裏付ける証拠はない。それにワシントンはマウント・ヴァーノンに訪問客が絶えず、プライヴァシーなどまったくないと嘆いていることから、自らの評判を落とすような危険な賭けをするだろうか。
 また同時代の人々は誰もワシントンが混血児を身の周りに置いていたなどとまったく記録していないのである。特に気に留めなかったから記録しなかったわけではないだろう。ワシントンの近くに仕えた奴隷の名前は数多く同時代の人々の記録に残っている。もし本当にワシントンが混血児と一緒に教会に行ったりすれば関心を引かずに済むことはなかった筈である。それに当時は社会からあまり歓迎されていなかった婚外子を堂々と教会に連れて行こうとしただろうか。さらに決定的な傍証としてワシントン自身はその膨大な関連文書の中でヴィーナスについてもフォードについても何も言及していない。もし身の周りに置く程、大事にしていたのであれば、それは奇妙である。
 結局、フォードはワシントン一族の特徴を備えていたというのが本当であれば、ブッシュフィールドにいたワシントン一族の誰か、弟ジョンとその3人の息子達の子供と考えるのが妥当だろう。そう考えれば、フォードにだけ自由が与えられ、さらに土地まで与えられたことも納得できる。

 さらに実はトマス・ポージーという人物がワシントンの隠し子であったのではないかという説もある。ポージーはマウント・ヴァーノンのすぐ近くの農園で生まれとされ、独立戦争で活躍した後、連邦上院議員、インディアナ準州知事などを務めた人物である。ポージーとワシントンの年齢差や生まれた場所からすると隠し子の説は根拠があるように見える。19世紀末に刊行が始まった『アメリカ伝記国民事典』では、ポージーが「ジョージワシントンの息子ではないかと言われている」と述べられている。
 しかし、ポージー自身は自分がワシントンの隠し子であると主張したことは1度もない。ただ自叙伝で「立派な家柄に生まれた」と書いているだけである。また死後、その家族がワシントンの子孫であると主張したこともない。では隠し子説が生まれた起源はどこにあるのか。1871年3月28日付の『シンシナティ・コマーシャル紙』が起源だと考えられる。
 根拠が不明確ながらも記事は、マウント・ヴァーノンの借地人であったポージー一家の話を伝えている。1754年、ポージー未亡人のもとにしばしばワシントンが通っていた。その結果、トマス・ポージーが生まれたという。この記事は多くの反響を呼んだ 。
 反響に驚いた『シンシナティ・コマーシャル紙』がさらに地元で聞き取り調査を行うとそうした伝説が語り継がれていることが分かった。さらにトマス・ポージーの息子の風貌はワシントンの肖像画に非常によく似ていたと言われている。その息子の話によれば、父トマスはかつてワシントンから「我が親愛なる息子」と書いた手紙を受け取ったことがあったという。ただその手紙は焼けてしまって現在、確認することはできない。
 シンシナティ・コマーシャル紙の記事の問題点は、根拠が不確かなことに加えて、ポージー自身の生年と未亡人がワシントンと関係を持ったとされる時期に4年ものずれがあることである。それにも拘わらず、ポージーがワシントンの隠し子であるという説は根強く残った 。事実、1886年に刊行された『インディアナ州ポージー郡の歴史』には「伝説は彼[郡の名前の起源になったトマス・ポージー]がジョージワシントンの婚外子であることを教えている」と記されている。
 さらに1898年に新たな話が付け加えられた。どのような話かと言えば、さるヴァージニアの名門の女性がワシントンとの間に子供をもうけたが、その後、すぐに亡くなった。その事実を知る者は女性の名誉を守るために子供が生まれた事実を隠した。その結果、ワシントンに隠し子がいるという事実は知られずに歴史の闇に葬られた。
7年後、その女性の名前はエリザベス・ロイドという記事が『インディアナポリス・ニューズ紙』に掲載された。エリザベスが子供を産んだ直後に亡くなった後、遺児はポージー未亡人に引き取られて育てられた。ワシントンはポージー未亡人の家を訪問しているが、それは子供の成長を見守るためである。こうした調査を行ったのは、ジョージ・ウィルソンという銀行家でトマス・ポージーの子孫にあたる人物である。しかし、詳しい調査結果を発表する前にウィルソンが亡くなったために真相は闇の中である。
 ワシントンの又甥であるジョン・オーガスティン・ワシントンによれば、自分がワシントンの隠し子の末裔であると称する人物が次から次へと現れたという。またワシントン関連文書の編纂者として有名なジョン・フィッツパトリックは、マウント・ヴァーノンの管理を任されていたルンド・ワシントン が召使いとの間にもうけた子供と誤認されているのではないかと指摘している。その子供はジョン・ワシントンと名乗り、ワシントン家の特徴を備えていたという。ただルンドの婚外子の生年は1770年であり、ワシントンの隠し子であるトマス・ポージーが生まれた1750年と20年もの開きがある。
多くの歴史家や系譜学者はフィッツパトリックと同じくトマス・ポージーをワシントンの隠し子と認めていない 。アメリカ史の中でワシントン以上に調べ上げられている人物はおそらくリンカンを除けば他にはいないだろう。したがって隠し子がいたという重大な事実が見過ごされている可能性は低い。しかし、依然として謎は残っている。トマス・ポージーの父であるジョン・ポージーはマウント・ヴァーノンの近所に住んでいたのでワシントンの日記に頻繁に登場している。ジョンの他にも妻のマーサや子供達の名前もある。しかし、不思議なことにトマスの名前だけが見当たらない。さらに不思議なことに少なくとも1769年までトマス・ポージーの名前は、ワシントンの日記だけではなく、父であるジョンの手紙にさえ登場しない。
 隠し子説を支持する者は、そうした沈黙こそ事実を裏付けるものだとしている。しかし、わざわざ沈黙する必要性がないだけではなく、可能性としてトマス・ポージーは他のポージー家の子供だった可能性もある。ただトマス・ポージーが自叙伝でヴァージニアのポトマック川近隣に住んでいたと述べているが、ジョン・ポージーの一家の他に条件に当てはまるポージー家はない。
 それにまだ疑問はある。ジョン・ポージーの妻のマーサは再婚であった。前夫のジョージ・ハリソンは1749年3月21日に亡くなっている。そして、1750年6月26日の法廷の記録には「マーサ・ハリソン、ジョージ・ハリソンの寡婦」とある。したがって、マーサはその時、まだジョン・ポージーと結婚していなかったか、もしくは結婚して日が浅かった可能性がある。それはトマス・ポージーが生まれる僅か2週間前のことである。ではトマス・ポージーは誰の子供なのか。トマス・ポージー自身の子供の名前の付け方にも不思議な点がある。当時の名前の付け方は、一族の誰かや親しい友人の名前を取って付けるのが通例である。トマス・ポージーの1人の息子はロイドという名前である。父方と母方両方の一族にも親友にもロイドという人物はいない。したがって本当の母であるエリザベス・ロイドの名前を残すために名付けたのではないかと推測する者もいる。
 1957年、ヴァージニア、メリーランド、ケンタッキーなどの名家について調査した系譜学者のジェームズ・エミソンはジョン・ポージーが1749年頃にエリザベス・ロイドを最初の妻としたと記載している。そしてジョンとマーサの結婚を1752年頃としている。ワシントンとの間に子供をもうけたエリザベス・ロイドを救うためにジョン・ポージーは表向き結婚したことにして窮状を救った。そうすることでトマス・ポージーは婚外子にならずに済んだという。
 もしその話は本当であれば、トマス・ポージーは自叙伝で「立派な家柄に生まれた」と曖昧な書き方をする必要はない。ただ「立派な家柄に生まれた」という表現は18世紀の蓋棺録でよく使われる定型句であって、トマス・ポージーが特別な意味を込めずに使った可能性はある。それにたとえトマス・ポージーがワシントンの子供だとしてもポージー家はなぜそれを隠すのに協力しなければならないのか。ワシントンの名誉を守るためだろうか。そもそも当時のワシントンに守るべき名誉はない。なぜなら二流の家柄、それも家長ではない身分である。隠す必要性がない。結論としてトマス・ポージーの出生には謎が残るが、その謎にワシントンが関与している可能性は根拠がなく極めて低い。
 ただ史料調査の他に確認できる方法はある。トマス・ジェファソンとサリー・ヘミングスのDNA調査と同じ方法を使えばよい。それは男系を通じて遺伝するY染色体の比較調査である。まずトマス・ポージーの男系の子孫は存在する。その一方でワシントンの子孫はいないので直接比較することはできない。しかし、ワシントンの兄弟の子孫なら存在する。したがって、決定打にはならないが比較調査を行えばある程度の推測はできる筈である。残念なことにこうした比較調査が検討されたことはない。