憎悪に満ちた大統領選

 憎悪に満ちた大統領選と言えば1860年の大統領選のほうがもっと激しかった。リンカンが当選した年。ある南部の新聞は以下のような記事を掲載している。

 事は決した!離脱こそ救済!

 長い間、続いてきた熱狂的な奴隷制廃止運動に対する南部の怒りは、強固な奴隷制廃止論者であるエイブラハム・リンカンとハンニバル・ハムリンの当選でついに頂点に達した。両人は奴隷州の平和と平等の偏狭で悪辣で冷血な敵である。
 北部諸州は連邦政府を使って南部奴隷諸州の自由を奪おうとしている。北部諸州と断絶して我々自身の独立した政府を樹立することが我々の義務である。
確かに文脈は全然、違うのだが、大統領選挙で噴出した憎悪はやがて全米を巻き込む悲惨な結果を生むことになる。もちろん憎悪がもともとあって、大統領選はあくまできっかけに過ぎないが。今回も似たようなところがないか。

 さまざまな差別や偏見の種はもともとあって今回の大統領選をきっかけに表に噴出したのではないか。もし今回の騒動を有効に活かすのであれば、実は人々の間に不満が鬱積していたことに政治家は目を向けなければならない。

 差別と偏見を容認すべきではないという意見はもちろん正しいと思う。私も差別や偏見を助長すべきではないと考えている。しかし、それだからと言ってトランプを大統領の座から引きずり降ろしてよいことにはならない。そのことについては前の記事で書いた。

 仮にトランプを辞めさせることに成功しても次はどうなるか。民主主義と連邦主義のハイブリッドである選挙人制度は深甚な痛手を受ける。そのような制度で次の大統領が選ばれても正統性を得ることができない。正統性なき国家元首がいない国家は極端に不安定になる。