歴史関連の本の良し悪しの基準

 私は歴史関連の本の良し悪しを決める時に三つの明確な基準を持っている。

一つ目の基準 考えたことか、単に知っていることか


 著者の考えたことが書かれているか。それとも著者が単に知っていることが書かれているか。
 どういうことか。絵にたとえる。ゴッホの『ひまわり』がなぜ評価されているのか。ゴッホが東洋や西洋の画法を研究してそれを独自の技術に昇華して『ひまわり』を生み出した点にある。
 仮に今、私がゴッホの『ひまわり』を完全にコピーできても評価されるだろうか。歴史関連の本でも同じことが言える。
 例えばある歴史事件を取り扱う本について考えてみたい。著者が先に書かれたものを読んで知ったことを書いているだけでは評価されない。独自に史料を読み、新しい知見を少しでも加えないといけない。
 城郭学者の千田先生が言っていたことを思い出す。千田先生の講演会に参加した人が、芸能人がテレビか何かで発言した内容と同じことを千田先生が喋っているという感想を書いた。
 その芸能人は明らかに受け売りなので単に知っているだけに過ぎない。考えたことではない。その感想を書いた人はきっとそれが分かっていなかったのだと思う。
 『ひまわり』をゴッホが描いたと知らない人がいたとしよう。その人に私が模写した『ひまわり』を見せたらどうか。感心するかもしれない。でもゴッホが描いた『ひまわり』のほうが優れていることは言うまでもない。
 ただ絵画の真贋を見極めるには鑑定眼が必要となる。歴史関連の本を読む時も同じ。著者が知っていることがただ並んでいるだけなのか、それとも考えたことが含まれているのか。

二つ目の基準 フォーカスが合った写真か、ピンぼけの写真か


 富士山の写真を撮るとしよう。綺麗に富士山が見える撮影ポイントを探して、カメラを据えてシャッターを切る。きっと素敵な写真が撮れるだろう。リアルな富士に近い写真になるだろう。
 でも富士山を撮った写真をさらにカメラで撮ったらどうだろうか。確かに富士山の写真にはなるがオリジナルよりもピンぼけになることは間違いない。
 歴史関連も同じで、一次史料をできるだけ見ないとピンぼけになってしまう。写真の写真になってしまう。だからこそできるだけフォーカスが合ったものを読まなければならない。歴史的事件を扱った本などは、詳細についてごまかさず、ああ、こうなっていたのか!とすっきりする本が良い。

三つ目の基準 思想的に偏りがないか


 著者本人がどのような思想を持っていようがそれは自由である。ただたとえ自分と異なる価値観に基づく見解であっても何らかの形でそれは織り込まないといけない。
 Aという説もあるが、Bという説もある。そのようにして読者が判断できるように選択の余地を残しておかなければならない。もしくは良い点もあるが悪い点もあるというようにバランスを取る。
 なぜなら歴史は単なる暗記物ではなくて、様々な手掛かりから本当は何があったのか読み解くものだからだ。言ってみれば推理小説に近い。
 初めから犯人も仕掛けもすべて分かっている推理小説は面白いだろうか。読者に推理の楽しみがあるからこそ推理小説は面白いのではないか。歴史もそれと同じで、幅広い視野で読者にあれこれと考えさせる本のほうがきっと良い。