大統領選挙に関する報道から見えた日本のテレビの問題点

 RealClearPoliticsというサイトがある。このサイトは日本のテレビがアメリカ大統領選挙に関して報じる時にこぞって利用したサイトだ。画面上によくこのサイトの選挙人マップが出ていた。
 私もこのサイトをよく使っていたので中身はよく知っている。確かに便利なサイトだ。このサイトには膨大な情報が示されている。その情報を一つ一つ読み解けば、とても良い分析が得られるだろう。ただまとめられた結果を表面的にしか見ずに鵜呑みにしてはいけない。
 鵜呑みにしてただ右から左に流すだけ。それが日本のテレビのやったことだ。
 なぜそれだけで片付けてお終いなのか。分析できる人に話をきちんと聞けばより良い報道ができるのではないか。
 それができないのは、テレビと知識を持つ人々、特に様々な分野の研究者との間に分断があるからだ。

 例えば、あるテレビで日本史のあるテーマについて特集するとしよう。テレビの製作会社のスタッフがいろいろと調べる。それを構成作家が台本にまとめる。そして、次に内容のチェックを研究者に依頼する。
 問題点は最後の段階。残念ながら製作会社のスタッフは、専門分野について詳しく知っているわけではない。その結果、誰にチェックを頼むべきか分からない。そこで簡単に連絡が付く人に頼む。
 その結果、広く言えば確かに専門は日本史だが、そのテーマについては特に詳しくない研究者に依頼が届くことになる。もしくは日本史なら何でもかんでもこの人というおかしな状況になる。
 いざチェックとなっても研究者は台本そのものについて口出しはできない。どういうことかと言えば、台本に記載されている内容が事実と合っているか確認することはできても、例えば台本の構成自体を変えることはできない。つまり、この人物についてはここが重要なポイントだから外すべきではないといった意見は通らない。
 しかも困ったことに事実か否かの判断基準がスタッフと研究者では根本的に考え方が違う。異次元と言っても良い。
 スタッフの考えでは、ある話が本に載っているか否かが問題となる。つまり、どんなに荒唐無稽な話でも本に載っていれば「事実」となる。研究者は、たとえ何かが本に載っていてもそれが本当かどうかを様々な角度から検証する。本に載っている話=事実ではない。
 番組を作る側からすれば、視聴者が面白ければそれで良い。面白い番組が手っ取り早く作れれば良いわけだ。その結果、番組側が提供した台本をただ追認するだけのイエスマンが歓迎される。これはニュース番組に出てくるコメンテーターも同じ。

 大統領選挙でもテレビが紋切り型と思える報道ばかりしていた。海外のニュースはほとんどが通信社のネタをそのまま流しているだけのように見える。労を惜しまず、きちんと分析できる人を探して聞くべきだろう。同じ外交評論家とか政治評論家ばかり使い回すのではなく。そういう何でも話せる評論家はテレビにとって使い勝手が良くて都合が良いかもしれないが、視聴者には何のメリットもない。
 専門家は話が難しい。そう経験する向きもあるかもしれない。ただ専門家も一般向けにやさしく解説して下さいと言えばきちんとできる人もいる。
 結局、テレビ番組は作る側の都合ばかりが優先されていて視聴者は置き去りにされている。表面上は視聴者に対して腰が低い姿勢を装っているが、内実はそうではない。すべてのテレビ局がそうとは言わないが、私が経験したことがある。
 以前、私は大統領就任式をワシントンまで見に行った。あるニュース番組から出演できるか否か問い合わせがあった。私がその時間はまだ飛行機に乗っていると断ると次のように言われた。

「今回は残念でしたね」

 何が残念かよく分からなかったので私は聞き返した。

「残念とは何のことですか」

 すると驚くべき言葉が返ってきた。

「あなたが出演ができなくて残念でしたが、また機会はありますから」

 番組のほうが出演してもらえなくて残念ですと言うなら分かる。まさか私のほうが残念がらなければならないとは。正直、残念なことは何もない。
 それに気になるのが、言葉には出さないが、どうせ視聴者は難しいことは分からないだろうという態度が根底にあること。
 こうした体質を何とかしなければテレビを代表とするマス・メディアの不信感が払拭されることはないだろう。大統領選挙に関する報道でより多くの人々があらためてマス・メディアの在り方について考え直したはずだと私は信じたい。