ジャクソン大統領とトランプ大統領の類似性

政治の個人化。政治対立には二種類ある。人と人の対立。理念と理念の対立。政治対立は両方の要素が複雑に絡み合っている。トランプ政権内の一連の騒動は人と人の対立という要素が強い。

これはジャクソン政権にも当てはまる。ジャクソン政権は史上初めて閣内再編が実施されている。閣内再編は、ペティコート戦争という本来、政治とは無縁な問題に端を発している。これはジャクソンによる政治の個人化の顕著な例である。

政治の個人化とは、その名の通り政治を個人的な問題として捉えることである。例えば大統領が閣僚と意見を違えた場合、それを個人的な忠誠の欠如と見なす。

ジャクソンはペティコート戦争というワシントン社交界の問題を政治化したうえに、カルフーン副大統領との政治的立場の相違を個人的な確執と同一視した。その結果、閣内再編が実施されてカルフーンの影響力は排除された。トランプ政権内でも同様の現象が起きている。

つまり、閣僚制度、もう少し広く言えば大統領府内が円滑に運用されるか否かは大統領の政治的資質に依拠する。政治の個人化はどの大統領にも多かれ少なかれ見られる現象である。大統領は政治の個人化と公共の精神の間でバランスを取ることが求められる。

政治的アレキサンダー。政治的アレキサンダーとは私が使っている用語。ゴルディオンの結び目の逸話による。簡単に言えば、社会の諸問題は様々な要素が絡み合っているので複雑なアプローチが本来、必要である。しかし、政治がポピュリズム的な傾向に偏った場合、政治的アレキサンダーが求められる。すなわち、様々な要素が絡み合っている社会の諸問題を一刀両断する政策提言が求められる。

結果的であれ、意図的であれ、トランプの行動にはそうした要素が見られる。第三者の公正な観点から見て、その政策が公共の福祉を最大限増進するか否かではなく支持者にとって単純明快に思える解決策を提示できるかに重きが置かれている。こうした現象は、ジャクソンの合衆国銀行撤廃とトランプのオバマケア撤廃に通底する問題である。

ジャクソンは歴代アメリカ大統領の中で最初の政治的アレキサンダーと言える。合衆国銀行は一部の投機家が人民を犠牲にして私腹を肥やす機関だと非難した。さらに合衆国銀行はその影響力を行使して政府に不当に介入して民主政治を破壊しようとしていると攻撃した。ジャクソンはこうした論理を展開して人民の支持を集めて再選を果たした。再選によって人民の承認が得られたと判断したジャクソンは合衆国銀行撤廃を議会の強い反対にもかかわらず断行した。ジャクソンが合衆国銀行の機能を肩代わりさせるために制定した仕組みは必ずしも有効に機能せず、合衆国銀行撤廃はアメリカ経済の長期的な安定を阻害した。オバマケアもジャクソンの合衆国銀行撤廃と似た要素があるかもしれない。

政治的アレキサンダーは必ずしも悪しき存在ではない。もちろんジャクソンは合衆国銀行撤廃によってアメリカ経済に対して長期的な安定性の欠如という弊害をもたらしたが、人民の意思をより政治に反映させるという変革を実現した。またインディアンの強制移住政策は、インディアンにとって史上最悪のアメリカ政府による政策の一つだが、ジャクソン支持者の西部に居住する白人には好意的に迎えられた。

政策の是非は、誰にとって善なのかという相対的な視点と公共の善に資するのか否かという絶対的な視点の両方を踏まえて慎重に判断する必要がある。大統領研究者ができることは本来、長期的な視野に基づく検証を通じた歴史的評価でしかない。トランプ大統領が「史上最悪」かどうかがわかるのはまだ先のことである。