ジャクソンとディキンソンの決闘

 1805年秋、ジャクソンはトラクトンをジョゼフ・アーウィンのプラウボーイと競わせることになった。懸賞金は2,000ドルである。そして、もしレースを取り止めれば800ドルが没収されることになっていた。レースが行われる前日、プラウボーイは脚を怪我したせいで出場できないことがわかった。

 レースで不戦勝を得たジャクソンであったが、没収金の支払い方法をめぐってちょっとした諍いが起きた。ジャクソンはアーウィンが支払いに使おうとした手形の受け取りを拒否して、他の手形を渡すように求めた。アーウィンがジャクソンの要求を受け入れたために衝突は回避された。ただその時、アーウィンの義理の息子であるチャールズ・ディキンソンが酔っている時にレイチェルを侮辱したという話が耳に入った。ジャクソンはすぐに釈明と謝罪を要求した。ディキンソンは謝罪して、ジャクソンはすぐにそれを受け入れた。しかし、事はそれだけに終わらなかった。

 ある時、ジャクソンの友人が公衆の面前でアーウィンが支払いに使った手形は適当なものではなかったという噂話を披露した。噂話を聞いたディキンソンは、その場にいたトマス・スワンに事情を聞いた。数日後、スワンはジャクソンに会って噂話の真相を確かめた。すると、ジャクソンは受け取った手形が換金できなかったので適当なものではなかったと答えた。

 ジャクソンとディキンソンの間に立ったスワンは自らが言い争いに巻き込まれた。そして、「いまいましい嘘つき」とジャクソンに呼ばれているとディキンソンから吹き込まれたスワンは、もし釈明がなければ戦うつもりだとジャクソンに挑戦状を叩きつけた。そこでジャクソンは次に会った時にまず杖で打ち据えてから釈明を与えるつもりだと返信した。

 それからしばらく後、ジャクソンは友人のコーヒーとともにナッシュヴィルの居酒屋に滞在していた。そこへスワンが入って来た。スワンを見るや否やジャクソンは椅子から立ち上がり、一声掛けて杖で打ちかかった。そして、もう一撃を加えようとした時、椅子に脚をとられて暖炉の中に倒れそうになった。

 スワンは外套の中に手を入れた。ジャクソンはすぐにピストルを取り出した。スワンはゆっくりと手を開いて何も持っていないことを示した。それを見たジャクソンの口から次から次へと悪罵が飛び出した。ジャクソンの剣幕に驚いたスワンは居酒屋から逃げ出した。

 居酒屋での顛末を聞いたディキンソンはジャクソンを非難する手紙を送った。さらにスワンが1806年3月1日の『インペリアル・レヴュー・アンド・カンバーランド・デポジトリー紙』にジャクソンの悪評を投稿した。

 事態ここに至ってジャクソンは自らの名声を守るために引き下がれない状況に追い込まれた。1週間後、ジャクソンは「けちな酔っ払いのごろつきの悪漢[ディキンソン]のために働く傀儡であり、嘘つきの小者」とスワンを攻撃する声明を同じく『インペリアル・レヴュー・アンド・カンバーランド・デポジトリー紙』に掲載した。

 5月、ニュー・オーリンズに出掛けていたディキンソンが帰って来た。事態の進展を知ったディキンソンは、『インペリアル・レヴュー・アンド・カンバーランド・デポジトリー紙』にジャクソンに対する悪評をさっそく投稿することに決めた。友人のトマス・オーバートンがすぐに投稿予定の内容をジャクソンに知らせた。

「それはきっと見過ごせない記事だ。ジャクソン将軍、君は彼に挑戦しなければならないぞ」

「[オーバートン]将軍、これは生き死にの問題だ。私自身で責任をとりたい。私は自分でその記事を見て判断したい」

 そう言うとジャクソンは『インペリアル・レヴュー・アンド・カンバーランド・デポジトリー紙』の事務所まで馬を飛ばしてディキンソンの投稿を確認した。そこには「もしアンドリュー・ジャクソンが私にそうした悪罵を投げ掛けるなら、私は彼をけちな悪党であり『腰抜けで臆病者』と呼ぶ」という文字が躍っていた。

 ジャクソンは決闘を挑むことを決意した。それから1時間以内にオーバートンの手によってジャクソンの手紙がディキンソンに手渡された。

「さっきの私に関するあなたの行動と表現は、その本質からして侮辱的なものであったので私の注意を引きました。[中略]。加えられた侮辱のために私が行うべき決闘を速やかに受けられるような勇気をあなたが十分に持っていることを願います。あなたにこれを渡した友人がそのやり方について示唆するでしょう。その目的のために彼はあなたを待ちますし、あなたの友人とともにすぐに準備に入って下さい」

 ディキンソンはすぐに挑戦を受け入れた。決闘の実施日は5月30日金曜日、場所は ケンタッキー州ハリソンズ・ミルズと決定された。さらに決闘の形式について取り決めが交わされた両者は24フィート(7.3メートル)を隔てて銃を脇に付けて向き合う。そそして、「発砲せよ」という合図があってから発砲する。合図が出る前にどちらかが発砲すれば、介添人はその者を射殺する。どの立ち位置を選択するか、合図を出す者を誰にするかはくじ引きで決定する。

 決闘が実施されるという噂はすぐに広まった。すぐにどちらが勝つかで賭けが始まった。ピストルの扱いがうまいという評判のディキンソンのほうが人気であった。

 ジャクソン一行はナッシュヴィルを出て北にある決闘の場所に向かった。道すがら2人はどのように決闘を戦うか議論した。その結果、先にディキンソンに撃たせる作戦が採用された。たとえディキンソンの腕前が確かなものであっても慌てて撃てば初弾を外すに違いない。それからジャクソンが慎重に狙って撃てば勝算が増す。

 決闘の前日の夜、ジャクソンは居酒屋に泊まった。食事が終わった後、ジャクソンはいつものようにパイプを吸って友人達と会話に興じた。翌朝、ジャクソン一行は決闘の場所に指定されたポプラの森に入った。そこでジャクソンはディキンソンの到着を待った。

「将軍、今の気分はどうですか」

 同行者の一人がジャクソンに聞いた。

「まったく問題ない。私は奴をやれるはずだ。恐れてはいない」

 ジャクソンはそう答えた。

 やがてディキンソン一行が到着した。くじ引きが行われた。立ち位置を選ぶ権利はディキンソン側が引き当てた。鳥が特定されふたりはそれぞれ自分の位置についた。オーバートーンが聞く。

「準備はいいか」

「私は準備ができている」

「私も準備ができている」

 2人の答えを確認したオーバートーンは叫んだ。

「発砲せよ」

 ディキンソンは素早くピストルを構えると発砲した。ディキンソンの銃弾はジャクソンに命中した。負傷しながらもジャクソンは歯を食いしばってまったく微動だにせず呻き声さえ漏らさなかった。それを見たディキンソンは「ああ神よ、私は奴を仕損じたのか」と叫んで後ろに下がろうとした。オーバートンがすかさず「位置に戻るように」と制止する。

 立ち位置に戻ったディキンソンを慎重に狙ってジャクソンはピストルの引き金を引いた。しかし、不発だった。撃鉄が起こされ、再び引き金が引かれた。銃口から飛び出した銃弾は、ディキンソンの下腹部に命中した。介添人が飛び出してディキンソンを支えて出血を止めようとしたができることはほとんど何もなかった。

 オーバートンはディキンソンの様子を見てジャクソンに歩み寄った。

「彼はあなたに対してもうこれ以上、何もできそうにありません、将軍」

 ジャクソンはオーバートンの言葉に頷くとその場を離れて歩き始めた。少し行ったところで医者がジャクソンの靴が血まみれになっているのに気付いた。

「ああ、ジャクソン将軍、あなたは撃たれたのですか」

「奴は私をちょっとだけピンク色に染めた。ちょっと見てくれ」

 そう言うとジャクソンは外套を広げた。医者が傷を確認すると、銃弾が2本の肋骨を折っていた。銃弾があまりに心臓の近くに入っていたので、すぐに除去することはできそうになかった。もしジャクソンが外套を着用していなければ命を落としていただろう。ジャクソンが元のように動けるようになるまで1ヶ月以上かかった。結局、ジャクソンはそのまま銃弾を摘出せずに残りの人生を過ごし、しばしば膿瘍に悩まされた。

 その一方、ディキンソンは同日午後9時に亡くなった。ナッシュヴィルの人々は決闘の話で持ちきりであった。発砲を終えて無防備になったディキンソンをジャクソンが無慈悲にも射殺したと考える者は少なくなかった。ディキンソンの葬儀には大勢の人々が参加した。そして、『インペリアル・レヴュー・アンド・カンバーランド・デポジトリー紙』に弔意を示すように求める請願が出された。結局、ディキンソンとの決闘によってジャクソンは危険で無慈悲な男だという評判を立てられ、しばらく社交界から遠ざけられることになった。