銃乱射事件が起きるたびに銃規制の話題が出る。そして、銃規制に反対する声も出てくる。銃規制反対派が必ず持ち出すのが合衆国憲法に規定された人民の武装権である。
確かに合衆国憲法では人民の武装権が認められている。重要なのは人民の武装権がなぜ認められているかである。
合衆国憲法は二重の性格を持つ。すなわち、諸州政府と連邦政府の契約という性格と人民と連邦政府の契約という性格である。今回の場合、後者が問題となる。
独立宣言で宣言されているように、人民は社会契約に基づいて政府を樹立する。すなわち、自然状態において人民は相争って無秩序状態になる。それを避けるために本来、人民が持つ権限の一部を政府に預けて公共の福祉を図らせる。
ではなぜ人民の武装権は認められているのか。一見すると、人民の武装権は社会契約の仕組みそのものに反しているように思える。実はそうではなく、人民の武装権も社会契約の重要な一環である。独立宣言で謳われているように、もし政府がその樹立目的を実現できなければ、人民はその政府を改廃する権限を持つ。それを実現するための手段として人民の武装権が認められている。
しかし、誤解してはならない点がある。人民の武装権は、あくまで人民が集団的に圧政的な政府に対して武器を手に立ち上がる権利を保障している。個人が個人に武器を向ける権利ではない。それは社会契約の根本的な原理を破壊することに繋がるからだ。したがって、銃乱射事件が起きた場合、人民の武装権を根拠に個人が武器を持つ権利を主張するのは正しいとは言えない。
トランプ大統領就任演説全訳
約16分間~18分間、音声を聞いて翻訳。訳注付き。ホワイト・ハウスが正式な原文を公開している。
《総評》
歴代アメリカ大統領の就任演説の中で採点すれば辛うじて及第点。採点のポイントはどこにあるのか。
全体的に過去の先例を踏まえて無難にまとまっている。意外と大人しくツイッターのような攻撃的な発言はない。逆に大人しい内容でトランプ節がない。優等生の殻を被ったような感じ。
ワシントン政界批判は、同じような状況にあったアンドリュー・ジャクソンと比べても激しい。歴代アメリカ大統領の就任演説の中ではその点に関しては異例と言える。ただこれまでと違って分断を煽ることはなく連帯を訴えかけている。そこは評価される。
政権の方針についてこれまで主張してきた点を繰り返している。既定方針の再確認であり、目新しい点はない。歴史に残る名言もない。
アメリカ大統領は、就任演説においてアメリカの根底にある普遍的価値観、すなわち自由や民主主義といった価値観を自分なりに再定義して国民に示さなければならない。アメリカという国がどのように成立したか深い洞察が必要となる。残念ながらトランプの就任演説には深い洞察が窺われず、自由や民主主義といった普遍的価値観を独自に再定義もしていない。時代に沿った新たな価値観をアメリカの伝統的な価値観に加える就任演説こそ最も高く評価される。トランプが掲げる「アメリカ第一主義」は、時代に沿った新たな価値観になり得るのだろうか。
ワシントン政界批判は意味がない。なぜならこれからトランプ自身が「ワシントン政界」に入るからだ。かつてオバマはワシントン政界の外部者であることをアピールして予備選挙を勝ち抜き本選でも勝利した。その点はトランプも同じである。
また就任演説では、「We」、「They」、「I」などの人称をどのように効果的に使うのか注意しなければならない。「We」を多用すれば、大統領と国民の一体感を示しやすい。しかし、「They」を多用すれば、一体感を示しにくくなる。トランプの就任演説では、人称の使用に混乱が見られる。この点は大幅な減点になる(全訳の訳注参考)。
他にも気掛かりな点がある。演説は内容に加えてデリバリー能力(実際に話す能力)が必要。以前よりも声音が少し弱く迫力に欠ける点がある。
一部メディアは、トランプの就任演説に示された内容についてすぐに事実確認を行っているが、それはあまり意味がない。なぜならアメリカ大統領という存在は、今、アメリカ国民が置かれている状況や危機を定義する存在だからである。
すなわち、危機は最初から存在しているのではない。危機は定義されて初めて存在する。アメリカ大統領は状況や危機を定義し、それに基づいて政策を決定する。キューバ危機をめぐるケネディ大統領の対応を見ると分かるように、状況や危機の定義そのものが正しいかどうかは実はあまり問題とはならない。
目次
冒頭の挨拶
権力を人民へ
アメリカ第一主義
アメリカを再び偉大に
最高裁長官ロバーツ、カーター大統領、クリントン大統領、ブッシュ大統領、オバマ大統領、同胞のアメリカ人たち、そして、世界の人々へ、ありがとう。
我々、アメリカ市民は、我が国を再建して、我が人民すべての約束を取り戻すという大いなる国民的努力に今まさに身を投じようとしている。
一緒になって我々は、今後、数年間のアメリカと世界の方針を決める。
我々は試練に直面している。我々は困難に立ち向かわなければならない。しかし、我々はきっとやりおおせるだろう。
四年に一度、我々はここに集まって秩序正しく平和な権力の移譲を行う。我々は、政権移行中のオバマ大統領とファースト・レディのミシェル・オバマの協力に感謝する。彼らは素晴らしい。
今日の就任式は特別な意味を持っている。なぜなら今日、我々は前政権から新政権へ、もしくはある政党から別の政党へ権力を移行させるだけではなく、ワシントン政界からあなたたちアメリカ人民へ権力を移行させるからだ。
長い間、我が国の連邦議会議事堂にいる少数の者達が政府の恩恵を独占し、その一方で人民は負担を強いられてきた。
ワシントン政界は栄えたが、人民はその富を共有できなかった。
政治家は潤ったが、雇用は減り、工場は閉鎖された。
既得権益層は自分達は自分達を守るばかりで我が国の市民を守らなかった。
既得権益層の勝利はあなたたちの勝利ではない。既得権益層の成功はあなたたちの成功ではない。そして、我が国の連邦議会議事堂で既得権益層が陽気に浮かれ騒ぐ一方で、我が国の至る所にいる苦闘する家族は浮かれ騒ぐことなどほとんどなかった。
今日はあなたたちの日だ。今日はあなたたちの祝いの日だ。
そして、アメリカ合衆国はあなたたちの国なのだ。
本当の問題は、どちらの政党が政府を支配するかではなく、人民が政府を支配するか否かなのだ。
《訳注》
この部分はレーガンを彷彿とさせる。
2017年1月20日は人民が再びこの国の支配者となった記念すべき日として記憶されることになるだろう。
我が国の忘れられた人々はもう忘れ去られることはない。
誰もが今、あなたたちの言うことに耳を傾けている。
あなたたちは、これまで世界が見たことがないような歴史的な変革の一翼を数千万人単位で担おうとしている。
この変革の中核をなす信念がある。すなわち国家はその人民に奉仕するために存在するということだ。
《訳注》
この部分はセオドア・ルーズベルトの「大統領は人民の世話役」を彷彿とさせる。
アメリカ人は子供たちのために良い学校、家族のために安全な近隣、そして、自分達のために良い雇用を求めている。
それは立派な人々の公正で筋が通った要求である。
しかし、多くの市民はまったく異なる現実に直面している。母親と子供たちは中心市街地で貧困に陥っている。錆び付いた工場は墓石のように我が国の風景に広がっている。教育制度に投資がなされているが、若く優秀な学生達から学ぶ機会を奪っている。そして、犯罪とギャングと麻薬が多くの人命を奪い、我が国から将来の可能性を奪っている。
こうしたアメリカの修羅場はここですぐに止めなければならない。
我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ。国民の夢は我々の夢だ。そして、国民の成功は我々の成功だ。我々は一つの心、一つの家、そして、一つの栄光ある運命を共有している。
今日、私が行った大統領宣誓は、すべてのアメリカ人のために捧げた宣誓である。
《訳注》
この部分は少し違和感を覚える。どう解釈すればよいか悩むからだ。もしかすると私が深読みし過ぎているかもしれない。
ホワイト・ハウスの正式な発表では原文は以下の通り。
We are one nation – and their pain is our pain.
解釈A
「我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ」
まず「Their」とは誰を指すのか。前にある「多くの市民many of our citizens」を指すと考えると、ほぼ「国民」と同じ意味になる。そして、後ろの「our」はトランプ政権のことに言及しているのではないか。
なぜそのように言えるのか。就任演説だと「We」を「国民」もしくは「人民」と見なすのが普通だが、全体的にトランプの就任演説に登場する「We」は「国民」を指すだけではなく、場合によっては「トランプ政権」を指しているのではと思えてしまう。
このように考えると、この部分はトランプ政権が国民とともにあるというアピールではないか。
解釈B
「我々は一つの国民だ。そして、彼ら(母親、子供達、若者達)の痛みは我々の痛みだ」
こちらの訳のほうが普通だと言える。つまり、We=our=「国民」という図式になる。ただ先述のように「We」が誰を指すのか曖昧な点が問題となる。もちろん普通に解釈すればWe=our=「国民」という図式なのだが、全体の流れからすると単純にそうなのだろうかという疑問が残る。
全体的に「I」、すなわち大統領自身ではなく、「we(トランプ政権)」として言っているような印象を受ける。そもそも就任演説は、大統領とアメリカ国民の契約という意味合いが強い。もしトランプが「ワシントン政界の外部者」という立場を貫こうとするなら「We」ではなく「I」と言わなければならない。簡単にまとめれば、ツイッターと違って「I(俺)」色が薄い。
数十年にわたって我々は、アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を栄えさせてきた。
我々の軍隊を悲惨な状態に置きながら他国の軍隊を助成してきた。
我々は我が国の国境を守らずに他国の国境を守ってきた。
そして、アメリカのインフラが朽ち果てているのに、海外で数兆ドルを使ってきた。
我々は、我が国の富、強さ、そして、自信を喪失させながら他国を富ませてきた。
工場は次々に閉鎖され、多くのアメリカの労働者のことなどまったく考えずにアメリカを出て行った。
中産階級の富は彼らの家庭から流出して全世界に再分配された。
しかし、それはもう過去のことになる。そして、今、我々は未来だけを見ている。
今日、我々はここに集まってあらゆる街、あらゆる外国の首都、そして、あらゆる権力の殿堂に響かせる新たな教えを発表する。
今日から我が国を動かすのは新しいヴィジョンだ。
この瞬間からアメリカ第一主義だ。
貿易、税制、移民、外交に関するすべての決定はアメリカの労働者と家族に有利になるように行われる。
我々は、我々の製品を作り、我々の企業から盗み、そして、我々の雇用を破壊しようとする他国から国境を守らなければならない。保護貿易こそ大いなる繁栄と強さに繋がる。
《訳注》
TPPの離脱を示唆。すぐにホワイト・ハウスが正式にTPP離脱を表明
私はあなたたちのために全身全霊で戦う。そして、私はあなたたちを決してがっかりさせない。
アメリカは再び勝利する。これまでにない勝利を収める。
我々は雇用を取り戻す。我々は国境を取り戻す。我々は富を取り戻す。そして、我々は夢を取り戻す。
我々はこの素晴らしい国中に新しい道や高速道路、橋、空港、トンネル、鉄道を築こうとしている。
我々は、人民に福祉についてばかり話すことを止めさせ、アメリカ人の手で我が国を再建するという仕事に戻らせる。
我々は二つのシンプルなルールに従う。アメリカ製品を買え。アメリカ人を雇え。
《訳注》
これまで言ってきた主張と同じで目新しい言葉ではない。全体的にこの就任演説ならではと呼べる特徴的なフレーズがない。
我々は世界の国々との親善を求めている。しかし、我々は、すべての国々がそれぞれの利益を第一に置く権利を持つという理解の下、親善を求める。
我々は、誰かに我々の生き方を押し付けようとするのではなく、すべての者たちが模範にするような生き方をしたいと思う。
我々は古くからの同盟関係を強化するだけではなく、新しい同盟を形成して文明世界とともにイスラム過激派のテロリストに対抗する。我々はイスラム過激派のテロリストを地球上から完全に根絶する。
我々の政治の基本原則は、アメリカ合衆国に完全に身を捧げることであり、我が国への我々の献身を通じて我々は相互信頼を取り戻す。
愛国主義に心を開く時、偏見が入る余地はない。
聖書は『神を信じる人々が連帯することこそ最高の愉楽である』と我々に教えている。
我々は心を開いて話し、率直に合意できない点を議論しなければならない。ただし常に団結を追求しなければならない。
アメリカは一つにまとまりさえすれば、誰にもアメリカは止められない。
恐れるべきではない。我々は守られている。常に守られている。
我々は偉大なる軍人達、警察関係者、そして、最も大切な神によって守られている。
最後に、我々は大きく考えて夢を大きく持たなければならない。
アメリカにおいて我々は、努力しなければ国家は存続できないのだと理解している。
我々は、たた喋るだけで行動しない政治家を認めない。ただ不満を言うだけで何もしない政治家を認めない。
空疎なお喋りの時間は終わりだ。
今こそ行動の時だ。
そんなことはできないと誰にも言わせるな。アメリカ人の心と挑戦と精神が克服できない困難などない。
我々は失敗しない。我が国は再び繁栄するだろう。
《訳注》
この部分は、フランクリン・ルーズベルトの1933年の就任演説を参考にしていると考えられる。
我々は新しい千年紀の誕生に立ち会っている。宇宙の謎を解明し、地球を疾病から解放し、未来のエネルギー、産業、技術を利用しようとしている。
《訳注》
この部分はケネディのニュー・フロンティアを彷彿とさせる。
新しい国家の誇りは、我々の魂を鼓舞し、我々の見識を高め、我々の分裂を癒やす。
我々の兵士が忘れ去られず、人種を問わず我々にはすべて愛国者の血が流れ、我々すべてが同じ栄光ある自由を享受し、そして、我々すべてが同じ偉大なるアメリカ国旗に敬意を払うことを銘記すべき時だ。
デトロイトの郊外やネブラスカの広大な平原のどちらに生まれようとも、子供たちは同じ夜空を見上げ、同じ夢で心を満たし、全能なる創造主によって生命の息吹を得ている。
それはすべてのアメリカ人にとって同じだ。近くにある街も遠くにある街も大きな街も小さな街も山から山へ、海から海へ以下の言葉を響かせよう。
《訳注》
この部分はアメリカの植民地時代に使われていた"From sea to shining sea"という表現や自由の鐘に刻まれている「Proclaim LIBERTY Throughout all the Land unto all the Inhabitants」を彷彿とさせる。
あなたたちはもう決して無視されることはない。
あなたたちの声、あなたたちの希望、あなたたちの夢が我々のアメリカの運命を決める。そして、あなたたちの勇気と善と愛が永遠に我々の導き手になる。
ともに我々はアメリカを再び強くする。
我々はアメリカを再び豊かにする。
我々はアメリカを再び誇らしくする。
我々はアメリカを再び安全にする。
そして、もちろん我々はともにアメリカを再び偉大にする。
ありがとう。あなたに神の祝福があらんことを。神の祝福がアメリカにあらんことを。
《訳者からのお願い》
もし訳者の労力に少しでも報いたいとお考えであれば、訳者の新刊案内をご覧下さい。画像をクリックすると販売サイトに飛びます。
《総評》
歴代アメリカ大統領の就任演説の中で採点すれば辛うじて及第点。採点のポイントはどこにあるのか。
全体的に過去の先例を踏まえて無難にまとまっている。意外と大人しくツイッターのような攻撃的な発言はない。逆に大人しい内容でトランプ節がない。優等生の殻を被ったような感じ。
ワシントン政界批判は、同じような状況にあったアンドリュー・ジャクソンと比べても激しい。歴代アメリカ大統領の就任演説の中ではその点に関しては異例と言える。ただこれまでと違って分断を煽ることはなく連帯を訴えかけている。そこは評価される。
政権の方針についてこれまで主張してきた点を繰り返している。既定方針の再確認であり、目新しい点はない。歴史に残る名言もない。
アメリカ大統領は、就任演説においてアメリカの根底にある普遍的価値観、すなわち自由や民主主義といった価値観を自分なりに再定義して国民に示さなければならない。アメリカという国がどのように成立したか深い洞察が必要となる。残念ながらトランプの就任演説には深い洞察が窺われず、自由や民主主義といった普遍的価値観を独自に再定義もしていない。時代に沿った新たな価値観をアメリカの伝統的な価値観に加える就任演説こそ最も高く評価される。トランプが掲げる「アメリカ第一主義」は、時代に沿った新たな価値観になり得るのだろうか。
ワシントン政界批判は意味がない。なぜならこれからトランプ自身が「ワシントン政界」に入るからだ。かつてオバマはワシントン政界の外部者であることをアピールして予備選挙を勝ち抜き本選でも勝利した。その点はトランプも同じである。
また就任演説では、「We」、「They」、「I」などの人称をどのように効果的に使うのか注意しなければならない。「We」を多用すれば、大統領と国民の一体感を示しやすい。しかし、「They」を多用すれば、一体感を示しにくくなる。トランプの就任演説では、人称の使用に混乱が見られる。この点は大幅な減点になる(全訳の訳注参考)。
他にも気掛かりな点がある。演説は内容に加えてデリバリー能力(実際に話す能力)が必要。以前よりも声音が少し弱く迫力に欠ける点がある。
一部メディアは、トランプの就任演説に示された内容についてすぐに事実確認を行っているが、それはあまり意味がない。なぜならアメリカ大統領という存在は、今、アメリカ国民が置かれている状況や危機を定義する存在だからである。
すなわち、危機は最初から存在しているのではない。危機は定義されて初めて存在する。アメリカ大統領は状況や危機を定義し、それに基づいて政策を決定する。キューバ危機をめぐるケネディ大統領の対応を見ると分かるように、状況や危機の定義そのものが正しいかどうかは実はあまり問題とはならない。
目次
冒頭の挨拶
権力を人民へ
アメリカ第一主義
アメリカを再び偉大に
冒頭の挨拶
最高裁長官ロバーツ、カーター大統領、クリントン大統領、ブッシュ大統領、オバマ大統領、同胞のアメリカ人たち、そして、世界の人々へ、ありがとう。
我々、アメリカ市民は、我が国を再建して、我が人民すべての約束を取り戻すという大いなる国民的努力に今まさに身を投じようとしている。
一緒になって我々は、今後、数年間のアメリカと世界の方針を決める。
我々は試練に直面している。我々は困難に立ち向かわなければならない。しかし、我々はきっとやりおおせるだろう。
四年に一度、我々はここに集まって秩序正しく平和な権力の移譲を行う。我々は、政権移行中のオバマ大統領とファースト・レディのミシェル・オバマの協力に感謝する。彼らは素晴らしい。
権力を人民へ
今日の就任式は特別な意味を持っている。なぜなら今日、我々は前政権から新政権へ、もしくはある政党から別の政党へ権力を移行させるだけではなく、ワシントン政界からあなたたちアメリカ人民へ権力を移行させるからだ。
長い間、我が国の連邦議会議事堂にいる少数の者達が政府の恩恵を独占し、その一方で人民は負担を強いられてきた。
ワシントン政界は栄えたが、人民はその富を共有できなかった。
政治家は潤ったが、雇用は減り、工場は閉鎖された。
既得権益層は自分達は自分達を守るばかりで我が国の市民を守らなかった。
既得権益層の勝利はあなたたちの勝利ではない。既得権益層の成功はあなたたちの成功ではない。そして、我が国の連邦議会議事堂で既得権益層が陽気に浮かれ騒ぐ一方で、我が国の至る所にいる苦闘する家族は浮かれ騒ぐことなどほとんどなかった。
今日はあなたたちの日だ。今日はあなたたちの祝いの日だ。
そして、アメリカ合衆国はあなたたちの国なのだ。
本当の問題は、どちらの政党が政府を支配するかではなく、人民が政府を支配するか否かなのだ。
《訳注》
この部分はレーガンを彷彿とさせる。
2017年1月20日は人民が再びこの国の支配者となった記念すべき日として記憶されることになるだろう。
我が国の忘れられた人々はもう忘れ去られることはない。
誰もが今、あなたたちの言うことに耳を傾けている。
あなたたちは、これまで世界が見たことがないような歴史的な変革の一翼を数千万人単位で担おうとしている。
この変革の中核をなす信念がある。すなわち国家はその人民に奉仕するために存在するということだ。
《訳注》
この部分はセオドア・ルーズベルトの「大統領は人民の世話役」を彷彿とさせる。
アメリカ人は子供たちのために良い学校、家族のために安全な近隣、そして、自分達のために良い雇用を求めている。
それは立派な人々の公正で筋が通った要求である。
しかし、多くの市民はまったく異なる現実に直面している。母親と子供たちは中心市街地で貧困に陥っている。錆び付いた工場は墓石のように我が国の風景に広がっている。教育制度に投資がなされているが、若く優秀な学生達から学ぶ機会を奪っている。そして、犯罪とギャングと麻薬が多くの人命を奪い、我が国から将来の可能性を奪っている。
こうしたアメリカの修羅場はここですぐに止めなければならない。
我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ。国民の夢は我々の夢だ。そして、国民の成功は我々の成功だ。我々は一つの心、一つの家、そして、一つの栄光ある運命を共有している。
今日、私が行った大統領宣誓は、すべてのアメリカ人のために捧げた宣誓である。
《訳注》
この部分は少し違和感を覚える。どう解釈すればよいか悩むからだ。もしかすると私が深読みし過ぎているかもしれない。
ホワイト・ハウスの正式な発表では原文は以下の通り。
We are one nation – and their pain is our pain.
解釈A
「我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ」
まず「Their」とは誰を指すのか。前にある「多くの市民many of our citizens」を指すと考えると、ほぼ「国民」と同じ意味になる。そして、後ろの「our」はトランプ政権のことに言及しているのではないか。
なぜそのように言えるのか。就任演説だと「We」を「国民」もしくは「人民」と見なすのが普通だが、全体的にトランプの就任演説に登場する「We」は「国民」を指すだけではなく、場合によっては「トランプ政権」を指しているのではと思えてしまう。
このように考えると、この部分はトランプ政権が国民とともにあるというアピールではないか。
解釈B
「我々は一つの国民だ。そして、彼ら(母親、子供達、若者達)の痛みは我々の痛みだ」
こちらの訳のほうが普通だと言える。つまり、We=our=「国民」という図式になる。ただ先述のように「We」が誰を指すのか曖昧な点が問題となる。もちろん普通に解釈すればWe=our=「国民」という図式なのだが、全体の流れからすると単純にそうなのだろうかという疑問が残る。
全体的に「I」、すなわち大統領自身ではなく、「we(トランプ政権)」として言っているような印象を受ける。そもそも就任演説は、大統領とアメリカ国民の契約という意味合いが強い。もしトランプが「ワシントン政界の外部者」という立場を貫こうとするなら「We」ではなく「I」と言わなければならない。簡単にまとめれば、ツイッターと違って「I(俺)」色が薄い。
アメリカ第一主義
数十年にわたって我々は、アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を栄えさせてきた。
我々の軍隊を悲惨な状態に置きながら他国の軍隊を助成してきた。
我々は我が国の国境を守らずに他国の国境を守ってきた。
そして、アメリカのインフラが朽ち果てているのに、海外で数兆ドルを使ってきた。
我々は、我が国の富、強さ、そして、自信を喪失させながら他国を富ませてきた。
工場は次々に閉鎖され、多くのアメリカの労働者のことなどまったく考えずにアメリカを出て行った。
中産階級の富は彼らの家庭から流出して全世界に再分配された。
しかし、それはもう過去のことになる。そして、今、我々は未来だけを見ている。
今日、我々はここに集まってあらゆる街、あらゆる外国の首都、そして、あらゆる権力の殿堂に響かせる新たな教えを発表する。
今日から我が国を動かすのは新しいヴィジョンだ。
この瞬間からアメリカ第一主義だ。
貿易、税制、移民、外交に関するすべての決定はアメリカの労働者と家族に有利になるように行われる。
我々は、我々の製品を作り、我々の企業から盗み、そして、我々の雇用を破壊しようとする他国から国境を守らなければならない。保護貿易こそ大いなる繁栄と強さに繋がる。
《訳注》
TPPの離脱を示唆。すぐにホワイト・ハウスが正式にTPP離脱を表明
私はあなたたちのために全身全霊で戦う。そして、私はあなたたちを決してがっかりさせない。
アメリカは再び勝利する。これまでにない勝利を収める。
我々は雇用を取り戻す。我々は国境を取り戻す。我々は富を取り戻す。そして、我々は夢を取り戻す。
我々はこの素晴らしい国中に新しい道や高速道路、橋、空港、トンネル、鉄道を築こうとしている。
我々は、人民に福祉についてばかり話すことを止めさせ、アメリカ人の手で我が国を再建するという仕事に戻らせる。
我々は二つのシンプルなルールに従う。アメリカ製品を買え。アメリカ人を雇え。
《訳注》
これまで言ってきた主張と同じで目新しい言葉ではない。全体的にこの就任演説ならではと呼べる特徴的なフレーズがない。
我々は世界の国々との親善を求めている。しかし、我々は、すべての国々がそれぞれの利益を第一に置く権利を持つという理解の下、親善を求める。
我々は、誰かに我々の生き方を押し付けようとするのではなく、すべての者たちが模範にするような生き方をしたいと思う。
我々は古くからの同盟関係を強化するだけではなく、新しい同盟を形成して文明世界とともにイスラム過激派のテロリストに対抗する。我々はイスラム過激派のテロリストを地球上から完全に根絶する。
我々の政治の基本原則は、アメリカ合衆国に完全に身を捧げることであり、我が国への我々の献身を通じて我々は相互信頼を取り戻す。
愛国主義に心を開く時、偏見が入る余地はない。
聖書は『神を信じる人々が連帯することこそ最高の愉楽である』と我々に教えている。
我々は心を開いて話し、率直に合意できない点を議論しなければならない。ただし常に団結を追求しなければならない。
アメリカは一つにまとまりさえすれば、誰にもアメリカは止められない。
恐れるべきではない。我々は守られている。常に守られている。
我々は偉大なる軍人達、警察関係者、そして、最も大切な神によって守られている。
アメリカを再び偉大に
最後に、我々は大きく考えて夢を大きく持たなければならない。
アメリカにおいて我々は、努力しなければ国家は存続できないのだと理解している。
我々は、たた喋るだけで行動しない政治家を認めない。ただ不満を言うだけで何もしない政治家を認めない。
空疎なお喋りの時間は終わりだ。
今こそ行動の時だ。
そんなことはできないと誰にも言わせるな。アメリカ人の心と挑戦と精神が克服できない困難などない。
我々は失敗しない。我が国は再び繁栄するだろう。
《訳注》
この部分は、フランクリン・ルーズベルトの1933年の就任演説を参考にしていると考えられる。
我々は新しい千年紀の誕生に立ち会っている。宇宙の謎を解明し、地球を疾病から解放し、未来のエネルギー、産業、技術を利用しようとしている。
《訳注》
この部分はケネディのニュー・フロンティアを彷彿とさせる。
新しい国家の誇りは、我々の魂を鼓舞し、我々の見識を高め、我々の分裂を癒やす。
我々の兵士が忘れ去られず、人種を問わず我々にはすべて愛国者の血が流れ、我々すべてが同じ栄光ある自由を享受し、そして、我々すべてが同じ偉大なるアメリカ国旗に敬意を払うことを銘記すべき時だ。
デトロイトの郊外やネブラスカの広大な平原のどちらに生まれようとも、子供たちは同じ夜空を見上げ、同じ夢で心を満たし、全能なる創造主によって生命の息吹を得ている。
それはすべてのアメリカ人にとって同じだ。近くにある街も遠くにある街も大きな街も小さな街も山から山へ、海から海へ以下の言葉を響かせよう。
《訳注》
この部分はアメリカの植民地時代に使われていた"From sea to shining sea"という表現や自由の鐘に刻まれている「Proclaim LIBERTY Throughout all the Land unto all the Inhabitants」を彷彿とさせる。
あなたたちはもう決して無視されることはない。
あなたたちの声、あなたたちの希望、あなたたちの夢が我々のアメリカの運命を決める。そして、あなたたちの勇気と善と愛が永遠に我々の導き手になる。
ともに我々はアメリカを再び強くする。
我々はアメリカを再び豊かにする。
我々はアメリカを再び誇らしくする。
我々はアメリカを再び安全にする。
そして、もちろん我々はともにアメリカを再び偉大にする。
ありがとう。あなたに神の祝福があらんことを。神の祝福がアメリカにあらんことを。
《訳者からのお願い》
もし訳者の労力に少しでも報いたいとお考えであれば、訳者の新刊案内をご覧下さい。画像をクリックすると販売サイトに飛びます。
2016年アメリカ大統領選挙における不誠実な選挙人(Faithless Electors)
要旨
- ポイント1:不誠実な選挙人は一般投票の結果に従わずに自由意思で投票する者を指す。
- ポイント2:不誠実な選挙人は、必ずしもトランプの代わりにヒラリー・クリントンを大統領にしようと考えているわけではない。単にトランプの当選阻止を考えている。
- ポイント3:不誠実な選挙人は民主党員の中にもいる。つまり、本来、ヒラリー・クリントンに投じるべき票をトランプ以外の共和党員に投じることで共和党内の反トランプを抱き込もうとしている。それはトランプの当選阻止を実現するためである。
トランプに投票しない選挙人、では誰に投票するのか
2016年アメリカ大統領選挙の選挙人投票が12月19日正午に迫っている。日本時間では、12月20日午前2時(東部)~午前7時(ハワイ)になる。まず選挙人制度そのものについては、選挙人制度とはどのような制度なのかを参照されたい。今回の問題は、はたして不誠実な選挙人(Faithless Electors)がどの程度、出るかである。
「トランプ懐疑論者の選挙人は辞任したが、まだ資格を失っていない」という12月1日の記事によれば、早くも8月にジョージア州の共和党選挙人バオキー・ヴーは、トランプに投票しないと公表している。ヴーは春に行われた州党大会で選挙人に選出されている。
少し私が解説を付け加えると、その時点ではトランプはまだ共和党大統領候補になっていない。つまり、ヴーは共和党大統領候補に投票することを約束して選挙人になったが、トランプに投票することを約束したわけではない。 そのためトランプが大統領候補指名を獲得した後、トランプに投票しないと公表している。
最終的に、ヴーは選挙人を辞退すると発表したが、選挙人の資格を喪失したわけではない。選挙人投票の当日に欠席して、他の選挙人達が代わりの選挙人を選ぶまで有効である。
さらにテキサス州の共和党選挙人アート・シスネロスも辞意を表明している。ジョージア州と同じく他の選挙人達が代わりの選挙人を選ぶ。
12月6日の「テキサスの選挙人がトランプに投票しない最初の選挙人に」という記事によれば、テキサス州の共和党の選挙人クリストファー・スープランは、トランプに投票しないと公表している。
大統領にふさわしくない者を選ぶことはできないという理由を明かしている。そこでトランプではなく他の共和党員に投票すると述べている。つまり、ヒラリー・クリントンが一般投票でトランプを上回っているという理由でトランプに投票しないわけではない。もし仮にそうであれば、ヒラリー・クリントンに投票すべきだからだ。
スープランはアレグザンダー・ハミルトンが『ザ・フェデラリスト』で展開した論を根拠にしている。すなわち「良識に基づく選挙人は国家の善のために正しいことができる」という論である。 『ザ・フェデラリスト』第68篇は、民衆を扇動するような者や外国の影響を受けている者は大統領としてふさわしくないと述べている。スープランによれば、トランプはそうした指摘に当てはまるという。だからこそトランプに投票しない。
選挙人の中には「ハミルトンの選挙人」を名乗ってスープランと同じく不誠実な選挙人になろうという者達がいる。そうした者達はワシントン州に3人、コロラド州に4人いるという。ただ注意しなければならない点は、ワシントン州もコロラド州も両方ともヒラリー・クリントンが勝利を収めている。つまり、両州の選挙人はもともとトランプに投票することが求められる選挙人ではない。ヒラリー・クリントンに投票することになっている。
ここからは私の考えになるが、そうした7人の選挙人がなぜ不誠実な選挙になろうというのか。彼らは本来、ヒラリー・クリントンに投票しなければならないが、ヒラリー・クリントンではなくトランプ以外の共和党員に投票しようとしている。そうすることでトランプ以外の人物を大統領に据えようとしている。極言すれば、共和党の勝利を認めておいて、トランプ以外の大統領を据えようという戦術である。共和党内の反トランプ派を抱き込もうという戦術だろう。ヒラリー・クリントンに投票するように共和党の選挙人に呼び掛けるのは難しいが、同じ共和党員であれば同調する共和党の選挙人がきっといつはずだという判断である。
この問題に関して考えるのであれば、「ワシントン州の選挙人が反トランプ運動に参加」という記事は必見。
「ハミルトンの選挙人」
「ハミルトンの選挙人」の設立趣旨には以下のように書かれている。
「ハミルトンの選挙人」は、選挙人には国家の将来を守る責任があり、職務にふさわしい人物を次期大統領に選ぶ義務を持つという信念に賛同する市民である。我々は、選挙人は必要に応じて大統領にふさわしくない人物から国家を守る安全装置になるべきだというアレグザンダー・ハミルトンの信念を尊重している。2016年、我々は党派を超えてアメリカのことを第一に考えなければならない。選挙人の中には国家の善のために責任ある共和党員を大統領にしようと党派の垣根を越えて活動している者達がいる。メッセージを共有することで勇気ある市民を支持して欲しい。そして、トランプに対するあなたの不安を示して欲しい。アメリカは大統領にふさわしい人物を選ぶべきである。
つまり、彼らはヒラリー・クリントンを大統領にしたいとは言っていない。あくまでトランプの当選阻止が目的である。極言すれば、トランプ以外の人物であれば共和党員でもかまわない。彼らの表現ではResponsible Republican candidateであればよい。確かにこうした主張であれば、先述のように共和党内の反トランプ派を味方に付けやすいだろう。
参考情報:国立公文書館(National Archives)の役割
国立公文書館はその名前の通り、アメリカの公文書館を管理している。独立宣言や合衆国憲法、奴隷解放宣言、日本の降伏文書の原本などを収蔵している。
大統領選挙では、50州とコロンビア特別行政区から選挙人の当選証明書を集める。そして、国立公文書館の職員に当選証明書が受納される。それをもって連邦政府が選挙人投票を受け取ったことになる。
1876年の大統領選挙のように二種類(共和党と民主党)の当選証明書が送られてくるという困った事態が起きたこともあった。そして、議会によってどちらの当選証明書が有効か決定された。現在では、その時の反省を踏まえて州自身が判断を下して一種類の当選証明書を送るように規定されている。
当選証明書を集めた後、正式な開票は1月6日に議会で行われる。 このように選挙人投票で重要な役割を果たして国立公文書館だが、選挙人投票について以下のようにまとめている。
選挙人になるための資格
合衆国憲法には、選挙人の資格に関する規定はほとんどない。第2条第1節第2項によれば、連邦上院議員、連邦下院議員、もしくは合衆国の行政官は選挙人になることはできない。また修正第14条によれば、合衆国に対する反逆罪や合衆国の敵との通謀罪に問われる州の行政官は選挙人になることはできない。この禁止規定は南北戦争の経験を考慮に含めて制定された。
州文書局全国連盟(NASS)は、選挙人に関する州法について概観を編纂した。それは「大統領選挙人に関する州法の概観」としてまとめてある。各州は、選挙人の当選証明を発行しなければならない。州による当選証明だけで選挙人はその資格を認められる。
誰が選挙人を選ぶのか
各州の選挙人選出は2つの過程をたどる。第一の段階では、各州の政党が一般投票の前に選挙人団を選ぶ。第二の段階では、一般投票の日に、一般有権者が選挙人を選ぶ。
第一の段階は各州の政党が管理する。各州によって異なっているが、概ね州党大会で選挙人を指名するか、もしくは中央委員会で投票によって選挙人を指名する。こうした過程は、各州でそれぞれの政党によって行われる。したがって、各大統領候補は、それぞれ独自の選挙人団を持つことになる。政党は、党に対する貢献で選挙人を選ぶことが多い。州の公職者であったり、政党の有力者であったり、もしくは大統領候補の知人であったりする。
第二の段階は、一般投票の日に起きる。各州で一般投票が行われて選挙人が選ばれる。各州によって、大統領候補の下に選挙人団の名前が記される場合と記されない場合がある。ネブラスカ州やメイン州を除いて州全体で最多の得票を集めた大統領候補を指名する選挙人団がその州の選挙人団として認められる。ネブラスカ州やメイン州では、州全体の勝者が2人の選挙人を獲得し、その他は下院議員選挙区単位で1人ずつ選挙人が選ばれる。
選挙人の誓約と義務
一般投票の結果に従って選挙人が投票しなければならないという規定は合衆国憲法にも連邦法にも存在しない。しかしながら、州の中には、一般投票の結果に従って、投票するように求める州もある。そうした拘束には二つの種類がある。州法による拘束と政党による拘束である。12月18日追記
連邦最高裁判所は、合衆国憲法は選挙人が完全に自由意思で行動できるとは必ずしも規定していないので、政党は選挙人を指名する場合に誓約を求めても問題ないという見解を支持している。州法の中には、いわゆる「不誠実な選挙人(Faithless Electors)」に対して罰金を科したり、無効票判定を下したり、他の選挙人と交代させたりする規定がある。連邦最高裁判所は、合衆国憲法の下で誓約や罰金を強制できるか否かについて特に判定を下していない。なぜなら誓約に背いて投票した選挙人は誰も訴追されていないからである。
今日、一般投票の結果に背いて政党が指名する者以外に投票する選挙人は非常に珍しい。通常、選挙人は政党の中の有力者であり、政党への長年の貢献で選ばれるからである。これまでの歴史の中で99%の選挙人が誓約通り投票している。
州文書局全国連盟(NASS)は、選挙人に関する州法について概観を編纂した。それは「大統領選挙人に関する州法の概観」としてまとめてある。
「2人のコロラド州の『不誠実な選挙人』がヒラリー・クリントンに投票しないと決心を固める」という新しい記事によれば、民主党のコロラド州の選挙人がヒラリーに投票せずにトランプ以外の穏健な共和党員に投票するという。コロラド主はヒラリーが獲得しているので民主党の選挙人はヒラリーに投票できる。しかし、わざわざヒラリーに投票せずに共和党員に投票するのは、明らかにトランプを阻止するための運動である。ただ不誠実な選挙人によって選挙結果が覆る可能性は極めて低いと多くの人々が冷静に考えるようになったのか世論の反応は鈍いようだ。
『選挙人団:12月19日、ヒラリー・クリントンを大統領に』という運動について前に紹介したが、さらに『選挙人団に請願を』というサイトが立ち上げられている。その中に「トランプの危険性」と題したページがあるがソーシャルメディアによるシェア数はあまり多くない。おそらくあまり影響はないだろう。
12月19日(日本では20日早朝)になれば結果が分かるが、過去の例からすれば、不誠実な選挙人は多くても数人、二桁には届かないのではないかと思っている。
『選挙人団:12月19日、ヒラリー・クリントンを大統領に』というChange.orgにおける署名活動について
ヒラリー支持者が一般投票の結果を覆そうと署名活動をしている。詳しくは以下のサイトに掲載されているので見て欲しい。
Electoral College: Make Hillary Clinton President on December 19
英語のサイトなので意訳だが簡単に訳しておく。
デメリット
メリット
それで私の見解だが、まず私はあくまで中立。もしトランプが敗北していて、トランプの支持者が同じことをしていれば反対していた。それに人種差別も容認すべきではないと思っている。反対の理由は別のところにある。すなわち、次のようになる。
今回の署名活動をしている人々は、選挙人制度は民主主義に反する不公正な制度だから無視するべきだと考えている、一般投票で勝利した候補が大統領になるべきだと。
だから今回の署名活動に賛同している人にそうした活動は民主主義に反するから止めろという説得はまったく意味がない。彼らは自分達の意見が民主主義に沿うものだと思っているから。
その点に関しては私は特に言うことはない。一般投票の結果を正しく反映させるのが民主主義だという意見には一理ある。
しかし、ヒラリー支持者の行為は選挙人制度が存在する意義を無視しているから問題だ。忘れてはならないことは、民主主義だけが正義ではないということ。アメリカという国家には民主主義と並んで重要な原則がある。連邦主義だ。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。きちんと考えられた上で構築されている。
つまり、選挙人は、各州に連邦上院議員の数と連邦下院議員の数に応じて分配される。これは憲法制定会議で侃々諤々の議論があった末に決まっている。つまり、連邦上院議員の数を分配することは連邦主義を体現する一方で、連邦下院議員の数を分配することは民主主義(当時は必ずしも「民主主義」という言葉は良い意味はないが・・・・・)を体現している。
極言すれば、各州は選挙人の選定を自由なやり方で行うことができる。それは憲法で決まっている。だから州知事の一存で選挙人を決めるように州の規定を改正すればそれも可能。事実、昔は一般投票がない州が多く、州議会が選挙人を選んでいた。それが時代を経るにつれて民主化して一般投票が当たり前になった。だから選挙人制度は時代に応じて十分に民主主義に沿う形に改善されている。それを忘れてはならない。
仮に絶対的な政治的正義があるとすれば、私の考え方はこうだ。ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障する。この政治的正義を実現するためには民主主義と連邦主義の両方が必要となる。選挙人制度を無視しようとする人はそこを分かっていない。
民主主義については特に説明する必要はないだろう。では連邦主義とは。合衆国憲法の制定者たちは、人民を州政府と連邦政府がそれぞれ統治するという二元制を規定した。図で説明するとこうなる。
なぜ憲法の制定者たちはこのようなシステムにしたのだろうか。似たようなシステムがある。三権分立。行政府、司法府、立法府が均衡して抑制しあうという仕組み。つまり、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあう。何のためか。それは三権分立と同じ。三権分立では行政府、司法府、立法府がそれぞれ暴走しないようにしている。合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうのは、同じくそれぞれが暴走しないようにするため。合衆国政府が暴走すれば、州政府と人民が抑える。州政府が暴走すれば、合衆国政府と人民が抑える。人民が暴走すれば合衆国政府と州政府が抑える。歴史上、さまざまな具体例があるが、ここでは言及しない。
暴走を抑える目的は何か。誤解を恐れず、簡単に言ってしまえば、ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障するためだ。
ここで問題となるのは、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうためには、それぞれが権限を持たなければならないということ。
アメリカでは州の権限が強いとされるが、昔と比べるとまったくそうではない。選挙人制度は州の権限を認めるために必要な制度である。もし大統領が州の意向を反映せずに人民の意思だけで選ばれればどうなるか。連邦政府の権限がもっと強くなる恐れがある。そして、実質的に州が有名無実の存在になれば、合衆国政府、州政府、人民の均衡が崩れる。その先に待つものは政治的混沌でしかない。
確かに歴史を振り返れば、南北戦争は、合衆国政府と人民が南部の州政府の暴走を止められなかったことに一因がある。均衡と抑制がうまく機能していなかった。それは州の権限が強すぎたからだ。
しかし、時代を経るにつれて連邦政府は肥大化して強大化している。そうした連邦政府の行動を常に警戒心を持って見張るためには人民だけでは足りない。州も厳しい目を注ぐ必要がある。そのためには州を強化しなければならない。
もし選挙人制度を否定してしまえばどうなるか。それは大統領の選出に大きな影響を及ぼすという州の権限を否定することになる。それは州の弱体化につながる恐れがある。州が弱体化して連邦政府を監視する役割を果たさなくなれば、そのつけは結局、人民に回ってくる。
それに選挙人制度によって、州と人民は大統領を選出した連帯責任を持つ。責任は義務を伴う。もし大統領が圧政を行えば、人民だけではなく州もそれに異を唱える義務を負う。
大切なことだからもう一度言う。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。アメリカという巨大国家を運営するには、民主主義と連邦主義の二つの柱が必要である。だから選挙人制度は、一見すると時代遅れの非合理な制度のように見えても温存しなければならない。だから選挙人制度を無視して一般投票で勝っているヒラリーを大統領にすべきだという意見は考え直さなければならない。
追記:11月13日20時39分
そもそも選挙人制度は人民を扇動して大統領になる者を防止する目的で作ったという経緯もある。したがって、もしトランプが扇動者と認められるのであれば、選挙人自身の自由意思でヒラリーに投票するのはありだと思う。
しかし、やはりたとえ間接的であれ、ヒラリーの支持者が選挙人に数の力で迫るような運動は少数者の権利を脅かすことになる。民主主義は多数決の原理だけでは暴政となる。少数者の権利の擁護を伴わなければならない(この問題については拙著『ジェームズ・マディソン伝記事典』で詳しく論じている)。ヒラリーの支持者ができることは、選挙人が「良識」を持って投票するように見守ることしかない。間違っても強制と誤解されるようなことはしてはならない。
猶、この文章は私のアメリカ人の知り合い(ヒラリー支持者)に送ったもので原文は英語。それを簡単に訳している。
Electoral College: Make Hillary Clinton President on December 19
英語のサイトなので意訳だが簡単に訳しておく。
12月19日、選挙人団が投票する。もし選挙人団が各州の一般投票結果に従って投票すれば、ドナルド・トランプが勝つ。しかし、選挙人団はやろうと思えばヒラリー・クリントンに投票できる。たとえそれが認められていない州であろうと、そうした票は有効になる。違反した選挙人はわずかな罰金を払うだけでよい。クリントンの支持者であれば喜んで肩代わりするだろう。我々は、選挙人団に州の一般投票結果を無視してヒラリーに投票するように求める。なぜか。これがいかに危険な意見なのか。まず選挙人に関する詳しいが分からない人のために私のサイトから主要部分を抜粋する。
トランプは大統領にふさわしくない。多くのアメリカ人を槍玉に挙げているだけではなく、衝動的であり、暴力的であり、女性を蔑視し、経験不足なトランプはアメリカを危機にさらす。
一般投票ではヒラリーが勝っている。だから大統領になるべきだ。トランプが勝利した唯一の理由は選挙人制度だ。
選挙人はどちらの候補でも意のままに勝たせることができる。このような民主主義に反する制度をなぜ使うのか。
ヒラリーが一般投票で勝っている。トランプが大統領になるべき理由はない。「それは人民の意思」だと言うが、それは違う。ヒラリーが一般投票で勝っている。「憲法による我々の政治制度はトランプが勝ったとしている」と言うが、それは違う。我々の憲法は、選挙人が選ぶと言っているにすぎない。多くの州が不誠実な選挙人を縛っている。もし選挙人が一般投票の結果を無視して投票すれば、罰金を払わなければならない。しかし、選挙人は欲するがままに投票でき、それを止める法的手段は多くの州で存在しない。
なぜこのような選挙人団という方式が採用されたのか。憲法制定会議の代表達の中で、連邦議会が大統領を選出するべきだという意見と人民の直接選挙によって大統領を選出するべきだという意見があった。では選挙人制度のデメリットとメリットを列挙する。これは一般的に言われている内容。
議会による大統領選出は大統領を議会に従属させる結果をもたらし三権分立の原理を脅かしかねない。また人民による直接選挙には、人民に大統領を選ぶ見識があるのかという問題、または人民を扇動する者が大統領になる危険性などが考えられた。
そこで州の定める方法によって選ばれた選挙人によって大統領を選出する方式が妥協案として提案された。それは州政府と連邦政府が権限を分有するという連邦主義にも沿っていた。また連邦制度の中で全国を単一の選挙区とする選挙は法的な重要性を持ち得なかった。
デメリット
- 一般投票で多くの票を獲得しても敗北してしまう場合がある。そうした事態は何度も起きている。
- 一般投票の結果を無視して投票する選挙人、いわゆる不誠実な選挙人が出る。
- 州によって投票率が異なる場合、極端に高い投票率で選ばれたある州の選挙人と極端に低い投票率で選ばれた別の州の選挙人は同等と言えるのか。
- そもそも選挙人制度は国民の意思を正確に反映していない。
- 勝者総取りが多く、第三政党が選挙人を獲得できる機会がない。
メリット
- 大統領は国民の代表であると同時に連邦の代表である。連邦の統合を保つためには地域間の融合を図らなければならない。したがって、国民によって選ばれるという形だけではなく、連邦の構成要素である州によって選ばれるという形を取らなければならない。
- 選挙人制度によって二大政党制が確立されている。多様な見解を持つ第三政党が乱立すれば選挙は混戦になる。その結果、過半数を獲得できる大統領候補がなかなか出なくなって紛糾する。選挙人制度ではそうした事態は起こりにくい。
それで私の見解だが、まず私はあくまで中立。もしトランプが敗北していて、トランプの支持者が同じことをしていれば反対していた。それに人種差別も容認すべきではないと思っている。反対の理由は別のところにある。すなわち、次のようになる。
今回の署名活動をしている人々は、選挙人制度は民主主義に反する不公正な制度だから無視するべきだと考えている、一般投票で勝利した候補が大統領になるべきだと。
だから今回の署名活動に賛同している人にそうした活動は民主主義に反するから止めろという説得はまったく意味がない。彼らは自分達の意見が民主主義に沿うものだと思っているから。
その点に関しては私は特に言うことはない。一般投票の結果を正しく反映させるのが民主主義だという意見には一理ある。
しかし、ヒラリー支持者の行為は選挙人制度が存在する意義を無視しているから問題だ。忘れてはならないことは、民主主義だけが正義ではないということ。アメリカという国家には民主主義と並んで重要な原則がある。連邦主義だ。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。きちんと考えられた上で構築されている。
つまり、選挙人は、各州に連邦上院議員の数と連邦下院議員の数に応じて分配される。これは憲法制定会議で侃々諤々の議論があった末に決まっている。つまり、連邦上院議員の数を分配することは連邦主義を体現する一方で、連邦下院議員の数を分配することは民主主義(当時は必ずしも「民主主義」という言葉は良い意味はないが・・・・・)を体現している。
極言すれば、各州は選挙人の選定を自由なやり方で行うことができる。それは憲法で決まっている。だから州知事の一存で選挙人を決めるように州の規定を改正すればそれも可能。事実、昔は一般投票がない州が多く、州議会が選挙人を選んでいた。それが時代を経るにつれて民主化して一般投票が当たり前になった。だから選挙人制度は時代に応じて十分に民主主義に沿う形に改善されている。それを忘れてはならない。
仮に絶対的な政治的正義があるとすれば、私の考え方はこうだ。ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障する。この政治的正義を実現するためには民主主義と連邦主義の両方が必要となる。選挙人制度を無視しようとする人はそこを分かっていない。
民主主義については特に説明する必要はないだろう。では連邦主義とは。合衆国憲法の制定者たちは、人民を州政府と連邦政府がそれぞれ統治するという二元制を規定した。図で説明するとこうなる。
なぜ憲法の制定者たちはこのようなシステムにしたのだろうか。似たようなシステムがある。三権分立。行政府、司法府、立法府が均衡して抑制しあうという仕組み。つまり、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあう。何のためか。それは三権分立と同じ。三権分立では行政府、司法府、立法府がそれぞれ暴走しないようにしている。合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうのは、同じくそれぞれが暴走しないようにするため。合衆国政府が暴走すれば、州政府と人民が抑える。州政府が暴走すれば、合衆国政府と人民が抑える。人民が暴走すれば合衆国政府と州政府が抑える。歴史上、さまざまな具体例があるが、ここでは言及しない。
暴走を抑える目的は何か。誤解を恐れず、簡単に言ってしまえば、ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障するためだ。
ここで問題となるのは、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうためには、それぞれが権限を持たなければならないということ。
アメリカでは州の権限が強いとされるが、昔と比べるとまったくそうではない。選挙人制度は州の権限を認めるために必要な制度である。もし大統領が州の意向を反映せずに人民の意思だけで選ばれればどうなるか。連邦政府の権限がもっと強くなる恐れがある。そして、実質的に州が有名無実の存在になれば、合衆国政府、州政府、人民の均衡が崩れる。その先に待つものは政治的混沌でしかない。
確かに歴史を振り返れば、南北戦争は、合衆国政府と人民が南部の州政府の暴走を止められなかったことに一因がある。均衡と抑制がうまく機能していなかった。それは州の権限が強すぎたからだ。
しかし、時代を経るにつれて連邦政府は肥大化して強大化している。そうした連邦政府の行動を常に警戒心を持って見張るためには人民だけでは足りない。州も厳しい目を注ぐ必要がある。そのためには州を強化しなければならない。
もし選挙人制度を否定してしまえばどうなるか。それは大統領の選出に大きな影響を及ぼすという州の権限を否定することになる。それは州の弱体化につながる恐れがある。州が弱体化して連邦政府を監視する役割を果たさなくなれば、そのつけは結局、人民に回ってくる。
それに選挙人制度によって、州と人民は大統領を選出した連帯責任を持つ。責任は義務を伴う。もし大統領が圧政を行えば、人民だけではなく州もそれに異を唱える義務を負う。
大切なことだからもう一度言う。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。アメリカという巨大国家を運営するには、民主主義と連邦主義の二つの柱が必要である。だから選挙人制度は、一見すると時代遅れの非合理な制度のように見えても温存しなければならない。だから選挙人制度を無視して一般投票で勝っているヒラリーを大統領にすべきだという意見は考え直さなければならない。
追記:11月13日20時39分
そもそも選挙人制度は人民を扇動して大統領になる者を防止する目的で作ったという経緯もある。したがって、もしトランプが扇動者と認められるのであれば、選挙人自身の自由意思でヒラリーに投票するのはありだと思う。
しかし、やはりたとえ間接的であれ、ヒラリーの支持者が選挙人に数の力で迫るような運動は少数者の権利を脅かすことになる。民主主義は多数決の原理だけでは暴政となる。少数者の権利の擁護を伴わなければならない(この問題については拙著『ジェームズ・マディソン伝記事典』で詳しく論じている)。ヒラリーの支持者ができることは、選挙人が「良識」を持って投票するように見守ることしかない。間違っても強制と誤解されるようなことはしてはならない。
猶、この文章は私のアメリカ人の知り合い(ヒラリー支持者)に送ったもので原文は英語。それを簡単に訳している。
なぜ大統領選は今のような複雑な制度なのか
選挙人は必ずしも人口に応じて配分されているわけではない
以前、ヒラリーとトランプの票が同数になったらどうなるかについてはここに書いた。それで今回は大統領選の仕組みについてまとめておきたい。
テレビや新聞など大統領選についていろいろ報道している。そこで疑問に思わないだろうか。なぜこんな面倒なシステムになっているのと。一般投票やら選挙人やらなんで面倒なんだと。
一番簡単な方法は、アメリカ全土を一つの選挙区にして集計して最多票を獲得した者が当選という方法だろう。国民の意思を反映しているのだからそれで良いように思える。
しかし、ここで忘れてはならないのは、アメリカが連邦制の国だということ。国民の意思も大事だが、各州の意思も無視できない。もしアメリカ全土を一つの選挙区にすれば各州の意思を無視することになる。だから選挙人を各州に割り当てることになる。
選挙人の割り当てだが、昨日の日経新聞に人口に応じて割り当てると書かれていたが違う。連邦議会の構成を見れば分かるように、アメリカの連邦政府は必ずしも人口に応じて代表されているわけではない。原則、下院の議席配分は人口に応じているが上院の議席配分は各州に2人ずつだ。
選挙人の配分は州選出下院議員の数と州選出上院議員の数になる。例えばカリフォルニア州の選挙人の数は、下院議員53人+上院議員2人になる。だからすごく人口が少ない州でも最低3人はいる。
カリフォルニア州の人口は約3800万、ワイオミング州の人口は約58万人。そうなるとカリフォルニア州は約70万人に1人の割り当てでワイオミング州は約20万人に1人の割り当て。人口に応じていないのは明確だ。
もし1票の重みが違うとカリフォルニア州の住民が裁判所に提訴したらどうなるか。きっと敗訴するだろう。
なぜなら選挙人の配分が人口に必ずしも比例していないのは、有権者の多数決で決定するという民主主義の論理と州の多数決で決定するという連邦制の論理の二つが並存しているから。連邦制という憲法で認められた原理があるのでたとえ1票の重みが違ってもこの場合は認められる。
そもそもなぜ間接選挙なのか
一般投票ですべて決定すればよいのではないか。なぜなら選挙人は原則、一般投票の結果に従って投票するだけだから完全に形骸化しているからだ。
まず建国の父祖たちは実は民主主義(昔、デモクラシーという言葉は衆愚政治という意味合いが強かった)を恐れていた。危ない扇動家が出てきて民衆を意のままに動かせば国はおしまいだと考えていた。そこでワンクッション置いて良識ある人々に大統領の選出を委ねようと考えた。それが選挙人。
選挙人は州が好きな方法で選ぶことができる。一般投票で選んでもいいし、州議会が選んでもいい。州法、もしくは関連する州憲法を改正しさえすれば州知事の一存で決めるということも可能。つまり、選挙人は州の主権を尊重した連邦制の残滓だと言える。だからおいそれとなくせない。たとえ形骸化していても。
大統領選挙の疑問―大統領当選者が就任前に死亡したらどうなるのか
スーパーチューズデイが終わり、共和党と民主党でそれぞれトランプとクリントンが大統領候補指名を確実なものにしようとしている。
そこでふと疑問が浮かばないだろうか。もし大統領選挙で当選後、該当者が急死した場合はどうなるのか。フランクリン・ローズヴェルトのように当選後に暗殺されそうになった例もある。
まず考えなければならない点は急死のタイミングである。タイミングは4つある。
一般投票前。選挙人投票前。議会による選挙人投票の確認前。就任前。
一般投票前であれば、党が代わりの候補を指名する。また一般投票が終わっても選挙人投票前であれば、同じく党が代わりの候補を指名する。
実際に起きた例がある。1912年の大統領選挙でジェームズ・シャーマン(共和党副大統領候補)が一般投票の直前に急死した。そのまま一般投票は行われ、選挙人投票の時点で党はニコラス・マレーを代わりに副大統領候補に指名した。
もし大統領当選者が1月6日(選挙人投票の確認)と1月20日(就任日)の2週間に死去した場合、修正20条によって、副大統領当選者が大統領当選者に繰り上がる。さらに両者ともに死亡した場合、大統領継承法に基づいて、下院議長が大統領になる。
しかし、問題となるのは、選挙人投票が行われた後から選挙人投票が確認されるまでの間である。法的には議会が選挙人投票を確認しなければ、それは無効である。したがって、大統領当選者も副大統領当選者もおらず、大統領継承法も適用されない。
結局、選挙人投票で勝利した大統領候補、もしくは副大統領候補が選挙人投票の確認の前に死亡した場合はどうなるのか。その場合は、下院が新たな大統領当選者、上院が副大統領当選者を選ぶ。
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