『文学としての歴史』抜粋

セオドア・ローズヴェルトの歴史記述論。大統領の中で著作がたくさんあるのはセオドア・ローズヴェルトとウィルソンだが、前者の作品のほうが好きかも。2人とも白人中心主義が色濃く残っているのは仕方ない点だが・・・・・。

「ミイラや墳墓の副葬品を細かく記述しても我々がエジプトの偉大な時代を理解する助けにはほとんどならない。同じくマウント・ヴァーノンの墓所の内部に入っても、ワシントンがどのようにぼろぼろの古参兵を戦いに導いたのか、ワシントンがどのような政治家であったか、そう高潔な品性の力によってどのように人民を1つの偉大な国民にしたのか理解する助けにはほとんどならない。偉大な歴史家は普通の人々の生活を、彼が書く時代の普通の男女を我々に描いてみせなければならない。最高の想像力を持つ者だけがそうすることができるだろう。皮革や羊毛に関する関税の報告書を読んでも牧場や工場で暮らしている男女の実際の生活が何も分からないように、数字の集合で過去の姿を描き出すことはできない。偉大な歴史家はできる限りの手段を使って彼が記述する時代の男女の日常生活を我々に提示する。こうした生活を描くにあたって彼にとって無駄なものは何もない。仕事の道具、戦争の武器、彼らが書いた遺言書、彼らが行った取引、そして、彼らが宴や愛を囁く時の歌など彼はそれらをすべて使う。彼は我々に普通の時代の普通の人々の苦労を伝えることができなければならない。そして、普通の苦労が終わった時の気晴らしも。彼はいかなる出来事も完全に孤立しているわけではないことを決して忘れてはならない。勝利の時に世界を揺るがすことになる動きの微かで曖昧な始まりを追跡できなければならない」