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ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領からトランプ新大統領への手紙

親愛なるドナルド、

バーバラと私は1月20日のあなたの就任式に出席できなくて申し訳なく思っている。私の医師は、もし私が1月20日に屋外で座っていれば、6フィート下に埋葬されることになるだろうと言った。バーバラも同じだ。だから我々はテキサスを離れられないと思う。
しかし、我々の精神はあなたと国民とともにある。あなたが偉大なる我が国を導くという大変な旅を始めるにあたって、私はあなたのために幸あれと願っている。もし何か助けが必要であれば、教えて欲しい。

敬具

ジョージ・ブッシュ

2017年1月20日

オバマのお別れの手紙

我が同胞のアメリカ人へ

 現職合衆国大統領が次期大統領のために大統領執務室にお別れの手紙を億のが長く続く慣例である。我々が知っていること、我々が学んできたこと、そして、ちょっとした知恵は、自由世界の指導者となり、アメリカ最高の職に就くという大きな責任を担う後継者の助けになるだろう。

 しかし、45代大統領に私の覚書を残す前に、44代大統領として務めることができたことに私は最後の感謝を述べたい。なぜなら私の任期中に学んだことはすべてあなた達から学んだからだ。あなたは私をより良い大統領にしてくれ、より良い人間にしてくれた。

《訳注》 この部分は告別演説でも使われている。

 8年間、あなた達は善性、活力、そして、希望の源だった。私はそこから強さを引き出していた。これまで我々が生きてきた中で最悪の経済危機の中で、私は隣人や社会が互いを助け合うのを見てきた。私は、答えを求めて悲嘆する家族を悼んできた。そして、チャールストンの教会で慰めを得た。

《訳注》 この部分はチャールストンの教会で起きた銃乱射事件を指している。

 私は、若い卒業生や士官達から希望を聞いている。私は、麻痺した男に感覚を取り戻させ、死ぬまで歩けないと諦めていた負傷兵を歩けるようにした科学者達を見た。私は、医療を受けられるようになって生命を守れるようになったアメリカ人達を見た。そして、同性婚が異性婚と同じく認められることで生活が一変したアメリカ人達を見た。私は、子供達が行動と優しさを通じて難民、平和のために働くこと、そして、何よりも互いに思いやることの大切を思い出せたのを見た。

 私は、あなた達、アメリカ人が品位、決意、ユーモア、そして、親切心を持っているのを見た。そして、あなた達の市民としての日常生活の中で我々の未来が開けていくのを見た。

 党派にかかわらず、我々はすべて市民として愉快な仕事に身を投じるべきである。選挙の時だけではなく、我々の狭い利益が危険にさらされた時だけではなく、生涯にわたってそうすべきである。

 私は、その道程の中であなた達と常にともにある。
 
 そして、進歩の道程が緩慢に思えた時、思い出して欲しい。アメリカは誰か一人が作り上げたものではないことを。我々の民主主義の中で最も力強い言葉は、「我々」、「我々人民」、「我々は克服できる」である。

Yes, We can.

バラク・オバマ大統領



 

 


トランプ大統領就任演説全訳

約16分間~18分間、音声を聞いて翻訳。訳注付き。ホワイト・ハウスが正式な原文を公開している。

《総評》

 歴代アメリカ大統領の就任演説の中で採点すれば辛うじて及第点。採点のポイントはどこにあるのか。
 
 全体的に過去の先例を踏まえて無難にまとまっている。意外と大人しくツイッターのような攻撃的な発言はない。逆に大人しい内容でトランプ節がない。優等生の殻を被ったような感じ。
 ワシントン政界批判は、同じような状況にあったアンドリュー・ジャクソンと比べても激しい。歴代アメリカ大統領の就任演説の中ではその点に関しては異例と言える。ただこれまでと違って分断を煽ることはなく連帯を訴えかけている。そこは評価される。
 政権の方針についてこれまで主張してきた点を繰り返している。既定方針の再確認であり、目新しい点はない。歴史に残る名言もない。
 
 アメリカ大統領は、就任演説においてアメリカの根底にある普遍的価値観、すなわち自由や民主主義といった価値観を自分なりに再定義して国民に示さなければならない。アメリカという国がどのように成立したか深い洞察が必要となる。残念ながらトランプの就任演説には深い洞察が窺われず、自由や民主主義といった普遍的価値観を独自に再定義もしていない。時代に沿った新たな価値観をアメリカの伝統的な価値観に加える就任演説こそ最も高く評価される。トランプが掲げる「アメリカ第一主義」は、時代に沿った新たな価値観になり得るのだろうか。
 ワシントン政界批判は意味がない。なぜならこれからトランプ自身が「ワシントン政界」に入るからだ。かつてオバマはワシントン政界の外部者であることをアピールして予備選挙を勝ち抜き本選でも勝利した。その点はトランプも同じである。
 また就任演説では、「We」、「They」、「I」などの人称をどのように効果的に使うのか注意しなければならない。「We」を多用すれば、大統領と国民の一体感を示しやすい。しかし、「They」を多用すれば、一体感を示しにくくなる。トランプの就任演説では、人称の使用に混乱が見られる。この点は大幅な減点になる(全訳の訳注参考)。
 他にも気掛かりな点がある。演説は内容に加えてデリバリー能力(実際に話す能力)が必要。以前よりも声音が少し弱く迫力に欠ける点がある。

 一部メディアは、トランプの就任演説に示された内容についてすぐに事実確認を行っているが、それはあまり意味がない。なぜならアメリカ大統領という存在は、今、アメリカ国民が置かれている状況や危機を定義する存在だからである。
 すなわち、危機は最初から存在しているのではない。危機は定義されて初めて存在する。アメリカ大統領は状況や危機を定義し、それに基づいて政策を決定する。キューバ危機をめぐるケネディ大統領の対応を見ると分かるように、状況や危機の定義そのものが正しいかどうかは実はあまり問題とはならない。

目次

冒頭の挨拶
権力を人民へ
アメリカ第一主義
アメリカを再び偉大に

冒頭の挨拶


 最高裁長官ロバーツ、カーター大統領、クリントン大統領、ブッシュ大統領、オバマ大統領、同胞のアメリカ人たち、そして、世界の人々へ、ありがとう。

 我々、アメリカ市民は、我が国を再建して、我が人民すべての約束を取り戻すという大いなる国民的努力に今まさに身を投じようとしている。

 一緒になって我々は、今後、数年間のアメリカと世界の方針を決める。

 我々は試練に直面している。我々は困難に立ち向かわなければならない。しかし、我々はきっとやりおおせるだろう。

 四年に一度、我々はここに集まって秩序正しく平和な権力の移譲を行う。我々は、政権移行中のオバマ大統領とファースト・レディのミシェル・オバマの協力に感謝する。彼らは素晴らしい。

権力を人民へ


 今日の就任式は特別な意味を持っている。なぜなら今日、我々は前政権から新政権へ、もしくはある政党から別の政党へ権力を移行させるだけではなく、ワシントン政界からあなたたちアメリカ人民へ権力を移行させるからだ。

 長い間、我が国の連邦議会議事堂にいる少数の者達が政府の恩恵を独占し、その一方で人民は負担を強いられてきた。
 ワシントン政界は栄えたが、人民はその富を共有できなかった。
 政治家は潤ったが、雇用は減り、工場は閉鎖された。

 既得権益層は自分達は自分達を守るばかりで我が国の市民を守らなかった。

 既得権益層の勝利はあなたたちの勝利ではない。既得権益層の成功はあなたたちの成功ではない。そして、我が国の連邦議会議事堂で既得権益層が陽気に浮かれ騒ぐ一方で、我が国の至る所にいる苦闘する家族は浮かれ騒ぐことなどほとんどなかった。

 今日はあなたたちの日だ。今日はあなたたちの祝いの日だ。

 そして、アメリカ合衆国はあなたたちの国なのだ。
 
 本当の問題は、どちらの政党が政府を支配するかではなく、人民が政府を支配するか否かなのだ。
 
《訳注》

この部分はレーガンを彷彿とさせる。

 2017年1月20日は人民が再びこの国の支配者となった記念すべき日として記憶されることになるだろう。

 我が国の忘れられた人々はもう忘れ去られることはない。

 誰もが今、あなたたちの言うことに耳を傾けている。

 あなたたちは、これまで世界が見たことがないような歴史的な変革の一翼を数千万人単位で担おうとしている。

 この変革の中核をなす信念がある。すなわち国家はその人民に奉仕するために存在するということだ。

《訳注》

この部分はセオドア・ルーズベルトの「大統領は人民の世話役」を彷彿とさせる。

 アメリカ人は子供たちのために良い学校、家族のために安全な近隣、そして、自分達のために良い雇用を求めている。

 それは立派な人々の公正で筋が通った要求である。

 しかし、多くの市民はまったく異なる現実に直面している。母親と子供たちは中心市街地で貧困に陥っている。錆び付いた工場は墓石のように我が国の風景に広がっている。教育制度に投資がなされているが、若く優秀な学生達から学ぶ機会を奪っている。そして、犯罪とギャングと麻薬が多くの人命を奪い、我が国から将来の可能性を奪っている。

 こうしたアメリカの修羅場はここですぐに止めなければならない。

 我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ。国民の夢は我々の夢だ。そして、国民の成功は我々の成功だ。我々は一つの心、一つの家、そして、一つの栄光ある運命を共有している。

 今日、私が行った大統領宣誓は、すべてのアメリカ人のために捧げた宣誓である。

《訳注》

この部分は少し違和感を覚える。どう解釈すればよいか悩むからだ。もしかすると私が深読みし過ぎているかもしれない。

ホワイト・ハウスの正式な発表では原文は以下の通り。

We are one nation – and their pain is our pain.  

解釈A

我々は一つの国民だ。そして、国民の痛みは我々の痛みだ」

まず「Their」とは誰を指すのか。前にある「多くの市民many of our citizens」を指すと考えると、ほぼ「国民」と同じ意味になる。そして、後ろの「our」はトランプ政権のことに言及しているのではないか。

なぜそのように言えるのか。就任演説だと「We」を「国民」もしくは「人民」と見なすのが普通だが、全体的にトランプの就任演説に登場する「We」は「国民」を指すだけではなく、場合によっては「トランプ政権」を指しているのではと思えてしまう。

このように考えると、この部分はトランプ政権が国民とともにあるというアピールではないか。

解釈B

我々は一つの国民だ。そして、彼ら(母親、子供達、若者達)の痛みは我々の痛みだ」

こちらの訳のほうが普通だと言える。つまり、We=our=「国民」という図式になる。ただ先述のように「We」が誰を指すのか曖昧な点が問題となる。もちろん普通に解釈すればWe=our=「国民」という図式なのだが、全体の流れからすると単純にそうなのだろうかという疑問が残る。

全体的に「I」、すなわち大統領自身ではなく、「we(トランプ政権)」として言っているような印象を受ける。そもそも就任演説は、大統領とアメリカ国民の契約という意味合いが強い。もしトランプが「ワシントン政界の外部者」という立場を貫こうとするなら「We」ではなく「I」と言わなければならない。簡単にまとめれば、ツイッターと違って「I(俺)」色が薄い。

アメリカ第一主義


 数十年にわたって我々は、アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を栄えさせてきた。

 我々の軍隊を悲惨な状態に置きながら他国の軍隊を助成してきた。
 
 我々は我が国の国境を守らずに他国の国境を守ってきた。

 そして、アメリカのインフラが朽ち果てているのに、海外で数兆ドルを使ってきた。

 我々は、我が国の富、強さ、そして、自信を喪失させながら他国を富ませてきた。

 工場は次々に閉鎖され、多くのアメリカの労働者のことなどまったく考えずにアメリカを出て行った。

 中産階級の富は彼らの家庭から流出して全世界に再分配された。

 しかし、それはもう過去のことになる。そして、今、我々は未来だけを見ている。

 今日、我々はここに集まってあらゆる街、あらゆる外国の首都、そして、あらゆる権力の殿堂に響かせる新たな教えを発表する。

 今日から我が国を動かすのは新しいヴィジョンだ。

 この瞬間からアメリカ第一主義だ。

 貿易、税制、移民、外交に関するすべての決定はアメリカの労働者と家族に有利になるように行われる。 

 我々は、我々の製品を作り、我々の企業から盗み、そして、我々の雇用を破壊しようとする他国から国境を守らなければならない。保護貿易こそ大いなる繁栄と強さに繋がる。

《訳注》

TPPの離脱を示唆。すぐにホワイト・ハウスが正式にTPP離脱を表明

 私はあなたたちのために全身全霊で戦う。そして、私はあなたたちを決してがっかりさせない。

 アメリカは再び勝利する。これまでにない勝利を収める。

 我々は雇用を取り戻す。我々は国境を取り戻す。我々は富を取り戻す。そして、我々は夢を取り戻す。

 我々はこの素晴らしい国中に新しい道や高速道路、橋、空港、トンネル、鉄道を築こうとしている。

 我々は、人民に福祉についてばかり話すことを止めさせ、アメリカ人の手で我が国を再建するという仕事に戻らせる。

 我々は二つのシンプルなルールに従う。アメリカ製品を買え。アメリカ人を雇え。

《訳注》

これまで言ってきた主張と同じで目新しい言葉ではない。全体的にこの就任演説ならではと呼べる特徴的なフレーズがない。

 我々は世界の国々との親善を求めている。しかし、我々は、すべての国々がそれぞれの利益を第一に置く権利を持つという理解の下、親善を求める。

 我々は、誰かに我々の生き方を押し付けようとするのではなく、すべての者たちが模範にするような生き方をしたいと思う。

 我々は古くからの同盟関係を強化するだけではなく、新しい同盟を形成して文明世界とともにイスラム過激派のテロリストに対抗する。我々はイスラム過激派のテロリストを地球上から完全に根絶する。

 我々の政治の基本原則は、アメリカ合衆国に完全に身を捧げることであり、我が国への我々の献身を通じて我々は相互信頼を取り戻す。

 愛国主義に心を開く時、偏見が入る余地はない。

 聖書は『神を信じる人々が連帯することこそ最高の愉楽である』と我々に教えている。

 我々は心を開いて話し、率直に合意できない点を議論しなければならない。ただし常に団結を追求しなければならない。

 アメリカは一つにまとまりさえすれば、誰にもアメリカは止められない。

 恐れるべきではない。我々は守られている。常に守られている。

 我々は偉大なる軍人達、警察関係者、そして、最も大切な神によって守られている。

アメリカを再び偉大に


 最後に、我々は大きく考えて夢を大きく持たなければならない。

 アメリカにおいて我々は、努力しなければ国家は存続できないのだと理解している。

 我々は、たた喋るだけで行動しない政治家を認めない。ただ不満を言うだけで何もしない政治家を認めない。

 空疎なお喋りの時間は終わりだ。

 今こそ行動の時だ。

 そんなことはできないと誰にも言わせるな。アメリカ人の心と挑戦と精神が克服できない困難などない。

 我々は失敗しない。我が国は再び繁栄するだろう。

《訳注》

この部分は、フランクリン・ルーズベルトの1933年の就任演説を参考にしていると考えられる。

 我々は新しい千年紀の誕生に立ち会っている。宇宙の謎を解明し、地球を疾病から解放し、未来のエネルギー、産業、技術を利用しようとしている。

《訳注》

この部分はケネディのニュー・フロンティアを彷彿とさせる。

 新しい国家の誇りは、我々の魂を鼓舞し、我々の見識を高め、我々の分裂を癒やす。

 我々の兵士が忘れ去られず、人種を問わず我々にはすべて愛国者の血が流れ、我々すべてが同じ栄光ある自由を享受し、そして、我々すべてが同じ偉大なるアメリカ国旗に敬意を払うことを銘記すべき時だ。
 
 デトロイトの郊外やネブラスカの広大な平原のどちらに生まれようとも、子供たちは同じ夜空を見上げ、同じ夢で心を満たし、全能なる創造主によって生命の息吹を得ている。

 それはすべてのアメリカ人にとって同じだ。近くにある街も遠くにある街も大きな街も小さな街も山から山へ、海から海へ以下の言葉を響かせよう。

《訳注》

この部分はアメリカの植民地時代に使われていた"From sea to shining sea"という表現や自由の鐘に刻まれている「Proclaim LIBERTY Throughout all the Land unto all the Inhabitants」を彷彿とさせる。

 あなたたちはもう決して無視されることはない。

 あなたたちの声、あなたたちの希望、あなたたちの夢が我々のアメリカの運命を決める。そして、あなたたちの勇気と善と愛が永遠に我々の導き手になる。

 ともに我々はアメリカを再び強くする。

 我々はアメリカを再び豊かにする。

 我々はアメリカを再び誇らしくする。

 我々はアメリカを再び安全にする。

 そして、もちろん我々はともにアメリカを再び偉大にする。

 ありがとう。あなたに神の祝福があらんことを。神の祝福がアメリカにあらんことを。

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オバマ大統領の告別演説

大統領の告別演説


 2017年1月10日(現地時間)、オバマ大統領は離任を前にしてシカゴで告別演説を行った。
 離任にあたって国民に別れを告げる先例はジョージ・ワシントンが作った。ただしワシントンは新聞で原稿を発表しただけで演説したわけではない。ワシントンは「告別の辞」において、一定の外国勢力に肩入れしない外交方針、党派に分かれて政争を行うべきではないといった考え方を示した。
 告別演説の中では、ドワイト・アイゼンハワーの告別演説が特に有名である。アイゼンハワーは軍産複合体の台頭に警鐘を鳴らした。つまり、告別演説は、アメリカ大統領が最後に残せるレガシー(遺産)である。

オバマの告別演説総評


 格調高くまとめられている。「トランプ」や「共和党」など名指しでは非難していないが、暗に指していることは随所で分かる。名指しで非難しないのは、ワシントン以来の伝統。
 注目点は人種についてどのように述べているか。オバマにしか語れないオリジナリティ溢れた名文である。
 さらに民主主義をどのように再定義しているか注目して欲しい。リンカーンはゲティスバーグ演説でジェファソンが独立宣言で提示した自由の概念を再定義して後世に残る演説に仕上げた。「Government of the people, by the people, for the people」は誰もが知るフレーズとなっている。
 このオバマの告別演説も幾つかのフレーズは後世にも使われることになるだろう。特に気になったフレーズを強調表示しておく。時代を超えて受け継がれる演説には特殊な状況や時間を越えた理念が含まれている。

オバマ大統領の告別演説(本文)


 こんにちは、シカゴ!
 地元はいいね!
 ありがとう、みんな!
 ありがとう。
 ありがとう。
 大変、ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 地元はいいね。
 ありがとう。

 ここでテレビ中継することになったから私は移動しなくてはいけなかった。

 誰も指示に従わなかったら、あなた達はきっと私を死に体の大統領だと言うだろうね。

 席は全員分、ちゃんとあるよ。

 我が親愛なるアメリカ人よ、ミシェルと私はここ数週間にわたって寄せられた温かい感謝の言葉に感動している。しかし、今日は私が感謝を述べる番だ。

 我々が見解で一致しようとも、もしくは一致しなくても、あなた達、アメリカ国民と私は様々な場所で対話してきた。応接間で、学校で、農場で、工場で、晩餐会で、遠方の基地で。そうした対話をすることで私は素直でいられ、元気になり、前に進み続けることができた。そして、毎日、私はあなた達から学んだ。あなた達は、私をより良い大統領にしてくれ、より良い人間にしてくれた。

 20代初めに私はシカゴにやって来て、自分探しをしていた。自分が生きる意味を探していた。そして、ここからそう遠くない場所で、今にも閉鎖されようとしている鉄工所で教会の組織とともに働き始めた。

 まさにこの辺りの通りで私は、苦闘する労働者が顔に浮かべる信念の力と静かな尊厳を見た。

(群衆「さらに4年!」)

 それはできない。

 私は学んだ。普通の人々が参加した時にこそ変革は起きるのだと。そして、普通の人々が積極的に関与して、変化を一緒になって求める時にこそ変革は起きるのだと。

 8年間、大統領として務めたが、私はまだそれを信じている。それは私だけの信念ではない。アメリカ人の胸に脈々と宿る理想である。自治という我々の壮大な実験である。

 すべての者はみな平等に創られていて、生命、自由、幸福の追求など決して奪われない権利を創造主によって授けられているという信念がある。

 こうした権利は自明なものであるが、勝手に達成されるものではないと力説したい。我々、人民は民主主義を通じてより完全な連邦を形成できる。

 我々の建国の父祖達は、そのような先駆的な理想を大きな贈り物として我々に渡した。額に汗して創意工夫を凝らし夢を実現する自由だけではなく、協力し合って、公共の善、より大きな善を達成するという規範。

 240年間、我が国の市民は、各世代でやるべき責務や目的を与えられてきた。だからこそ愛国者達は専制よりも共和制を選択肢、開拓者達は西に向かい、奴隷達は自由への険しい道に立ち向かった。

 だからこそ大洋やリオ・グランデ川を越えて多くの移民や難民がやって来た。だからこそ女性達は参政権を獲得しようとした。だからこそ労働者達は労働組合を作った。だからこそ兵士達はオマハ・ビーチや硫黄島、イラク、そして、アフガニスタンで生命を捧げた。

 セルマ(1965年に起きた大規模な非暴力公民権運動デモの中心地)からストーンウォール・イン(1969年に同性愛者人権運動のきっかけになったバー)の人々も同じく生命を捧げようとした。

 だからこそ我々はアメリカが例外だと言う。我が国が最初から欠陥がないからそう言えるのではなく、我々が変革を起こせる力を持ち、後の世代の人々の生活をより良くしてきたからそう言える。

 確かに我々の進歩は平坦ではなかった。民主主義の道程は常に大変だった。それは議論の余地があることだ。時に流血が起きた。2歩前進するごとに1歩後退しているのではないかとつい思ってしまうかもしれない。しかし、長い目で見れば、アメリカは確実に前進して、一部の人々だけではなくすべての人々に建国の父祖達の信条を徐々に広めている。

 もし私が8年前に、アメリカは景気後退に対処し、自動車産業を再生し、長期間にわたって雇用を創出し、キューバと新しい関係を築き、武力なしでイランの核兵器開発計画を止め、911の首謀者を除外し、同性婚を認め、新たに2,000万人市民のために健康保険の権利を確保すると言っていたら、きっと望みが高すぎると言っただろう。

 しかし、今、我々はすべてを成し遂げた。あなた達が成し遂げたことなのだ。あなた達自身が変革である。あなた達がいたからこそ、人民の期待に応えて、あらゆる尺度から見て、我々が始めた時からアメリカはより強く、より良い場所になった。

 10日経てば世界は民主主義の証(政権交代)を見ることになるだろう。

(群衆がブーイング)

 違う違う。自由に選ばれた大統領から後任者への平和的な権力の移行だ。私は、我が政権はブッシュ大統領が私に行ったように、できる限り円滑な政権移行を行うとトランプ次期大統領に約束する。なぜなら我々の政府が直面する多くの課題に我々を立ち向かえるようにできるか否かは我々すべてにかかっているからだ。

 我々はしなければならないことがある。そうした課題に対処するためにするべきことがたくさんある。結局、我々は地球上で最も豊かで最も強力で、そして、最も尊敬される国家であり続ける。我々の若さ、活力、多様性、そして、開放性、リスクと革新を恐れない無限の包容力は我々の未来を約束している。しかし、そうした可能性は、我々の民主主義がうまく機能した場合のみ実現する。我々の政治に人民の良識が反映された場合のみ実現する。党派や党利にかかわらず我々すべてが今まさに必要とされている良識を取り戻そうとした場合のみ実現する。

 それこそ私が今夜、取り上げたいことだ。我々の民主主義がどのような状態にあるのか。分かって欲しい。民主主義は画一性ではない。建国の父祖達が論じたように。 彼らが議論したように。最終的に彼らは妥協した。彼らは我々が同じようにすることを期待しているに違いない。さらに彼らは、民主主義にはまとまりという礎が必要であると知っていた。すなわち、外面的な違いはともかく、我々は一蓮托生だということだ。

 我々の歴史上、そうしたまとまりが脅かされた時代があった。今世紀初頭もそうした時代の一つであった。世界が縮小に伴う不平等が拡大、人口変動とテロの脅威などの要因が、我々の安全や繁栄だけではなく、民主主義への試練になっている。そして、我々の民主主義への試練にどのように対処できるかは、我々の子供の教育、良い雇用の創出、そして、我が国を守ることにかかっている。すなわち、それこそ我々の未来を決定する。

 そもそも我々の民主主義は、すべての人々が経済的機会を持つという理解なしではうまく機能しない。そして、幸いなことに現在、経済は再び上向きつつある。賃金、収入、不動産価格、そして、年金は再び上昇している。貧困率は再び下がっている。株式市場が記録的な高騰を示す中、富裕層は公正に納税している。失業率はほぼ10パーセント以下だ。無保険率は低い。健康保険の費用は上昇しているがここ50年でも緩慢な上昇だ。我々が健康保険制度に加えた改善よりも優れた計画をもし誰かがまとめることができ、安い費用でより多くの人々を対象にできるのであれば、私はそれを支持すると言っておく。
 
 なぜならそれこそ我々がやろうとしてきたことだからだ。点数稼ぎをしようとしたのではなく、多くの人々の暮らしをより良くしようとしてきたことだ。
 
 我々が真に達成したすべての進歩にもかかわらず、我々はまだそれが十分ではないとわかっている。中流階層や中流階層の仲間入りをしようとしている人々を犠牲にして僅かな少数者を富ませようとすれば、我々の経済はうまくいかない。それは経済的議論である。しかし、甚だしい不平等は我々の民主主義の理想を蝕む。1パーセントの富裕層が富を独占すれば、ダウンタウンや地方に住む多くの家庭が置き去りにされる。一時解雇された工場労働者、ウェイトレス、医療従事者は十分な給料を受け取れなくなって、世の中は不公正だと思うようになって、政府は力ある者だけの利益を考えているだけだと信じるようになる。そうなると我々の政治に諦めと分断が生まれる。

 しかし、こうした長期間にわたる傾向をすぐに変えることはできない。我々の貿易は公正かつ自由でなければならないと私は考えている。しかし、経済混乱の次の波は海外から来るわけではない。それは、多くの中流階層の仕事を奪ってしまう自動化が過酷な速さで進んでいることから起きる。

 だからこそ我々は、すべての子供達に必要な教育を保障する新しい社会契約を作ろうとしている。良い賃金のために団結する権利を労働者に与え、今の我々の暮らしに適したセーフティ・ネットを築き、新しい経済から最も利益を得る企業や人々が成功をもらたすもとになった国への義務(納税)を回避しないようにする税制を整える。

 我々は、こうした目標をどのように達成できるか論じることができる。しかし、自己満足に耽るような目標ではあってはならない。というのはもし我々がすべての人々に機会を与えなければ、我々の進歩を阻害する不和と分裂が生じて、先行きが厳しくなるからだ。

 我々の民主主義への二つ目の脅威がある。その脅威は我が国の歴史と同じく古いものだ。私が当選した後、人種差別のないアメリカに関する話題があった。そのような理想は、素晴らしいものであったが、現実的ではなかった。我々の社会の中で人種は依然として分裂の要因である。今、私は十分に長く生きたので、人種関係が10年前、20年前、30年前よりも改善されていると知っている。たとえ誰が何と言おうとも。それはただ統計を見てもわからない。あらゆる政治的党派の若いアメリカ人の姿勢を見ればわかる。

 しかし、我々はまだ到達すべきところまで到達していない。我々はすべてもっと努力しなければならない。もしあらゆる経済問題を白人勤労中産階級と取るに足らない少数派の間の闘争だと考えれば、あらゆる労働者は、富裕者が安全な敷地に引っ込んでしまう一方で、スクラップをめぐって争うようになってしまうだろう。もし我々と違っているという理由だけで移民の子供達に投資することを惜しめば、我々は自分達の子供の将来を狭めてしまう。なぜなら褐色の子供達はアメリカの労働力の大部分を占めるようになるからだ。そして、我々は、経済を勝者総取りのゲームにしてはならないと示さなければならない。去年、所得はすべての人種、すべての年代、男女ともに上昇している。

 もし我々が人種問題を前進させようと真剣に考えるのであれば、雇用、住居、教育、そして、司法における差別を禁じる法律を支持しなければならない。これこそ我々の憲法と高邁な理想が求めていることである。

 しかし、法律のみでは十分ではない。心が変わらなければならない。一夜にして変わるものではない。社会の趨勢が変わるには数世代かかることがしばしばある。しかし、もしますます多様化する国家の中で我々の民主主義をうまく機能させようとすれば、我々はそれぞれアメリカのフィクション作品のキャラクターであるアティカス・フィンチの言葉に耳を傾けなければならない。すなわち、「相手の観点から物事を考え、それを実感しなければ、決してその人を理解することはできない」。

 黒人やその他の少数派にとって、それは、公正を求める我々自身の闘争をこの国で多くの人々が直面している試練に結び付ける意味を持つ。多くの人々とは、難民、移民、地方の貧しい人、同性愛者だけではなく、外部からは有利な立場にいると見られているが、それが経済的、文化的、技術的変化によって覆されつつあると見られている中年白人男性も含む。

 白人アメリカ人にとって、奴隷制度の影響と人種隔離政策は1960年代に突然、消滅したわけではなかった。少数派が抗議した時に、人種主義を撤回させたり、政治的公正性を実践したりしたわけではなかった。平和的な抗議活動が行われた時に、特別扱いが求められたわけではなく、建国の父祖達が約束した平等な扱いを求めただけだった。

 生まれによるアメリカ市民は、今、流布しているような移民、すなわちアイルランド人、イタリア人、ポーランド人に対する偏見について考え直さなければならない。アメリカは、こうした新参者達によって弱められるわけではない。彼らはこの国の信条を認め、アメリカを強くする。どのような立場にあろうとも、我々は懸命に努力して、我々と同様に彼らがこの国を愛しているという前提から始めなければならない。我々と同じく彼らは勤労と家族に価値を見出している。彼らの子供は我々自身の子供達と同じく、好奇心を持ち、希望に満ち、愛すべき存在である。

 こうしたことは一つとして簡単なことではない。多くの人々にとって、自分と同じような政治的意見を持ち、決まりきったことに異議を唱えないような人々に囲まれた近所や大学のキャンパス、信仰の場、ソーシャル・メディアなど自分の世界の殻に閉じこもることはとても安全に思えるかもしれない。剥き出しの党派精神、経済的・地域的分断、嗜好によるマス・メディアの分裂、こうした選別はごく自然で避けがたいように思えるかもしれない。我々は自分の殻に閉じこもってしまったがために、外部の情報を参照にして意見を持たずに、真偽を問わず自分の意見にあった情報のみを受け入れてしまう。

 こうした傾向は我々の民主主義への第三の脅威である。政治は理念の戦いである。健全な議論では、我々は異なった目標や異なった目標達成の手段を尊重する。しかし、そもそも共通の基盤がなく、相手が新しい情報を認めようとしない場合において、それでも相手が公正だと譲歩して、それよりも科学や理性が重要なのだと譲歩してしまえば、互いに話していても、共通の基盤を作ることや妥協は不可能である。

 何が政治をやるせないものにしているのか。我々が企業に対して減税を行う代わりに子供達の就学前教育のためにお金を出そうとした場合、財政赤字に対して公職にある者が怒ることができようか。自党が倫理的間違いを犯している場合、他の党が同じことをしても攻撃することができようか。それは不正直であるだけではなく、事実を選り好みして歪めているだけである。それは自己欺瞞である。私の母は、現実がきっとおまえを捕まえるよとよく言っていた。

 気候変動という試練について考えよう。たった8年間で我々は外国の石油への依存を半分にして再生可能エネルギーを二倍にして、この地球を救うことを約束する協定を結ぶように世界に働き掛けた。しかし、より積極的に行動しなければ、我々の子供達は気候変動の実在を議論する時間さえなくなるだろう。子供達は、天災、経済停滞、安全な場所を求める気候変動による難民などその影響に忙殺されるようになるだろう。

 今、我々はこの問題の最善の解決策について議論できるし、否、議論すべきである。この問題そのものを否定するだけではなく、将来世代を裏切ることは、建国の父祖達を導いてきた問題解決の実践と革新の本質的精神を裏切ることである。

 啓蒙主義から生まれたこの精神こそ、我々の経済に原動力を与える。この精神こそキティ・ホーク(ライト兄弟が人類最初の有人動力飛行に成功した場所)とケープ・カナベラル(NASAの宇宙ロケット発射基地がある)での飛行を可能にした。その精神こそ疾病を治療し、あらゆるポケットにコンピューターを入れた。

 この精神、すなわち、理性への信念、企業精神、そして、力よりも正義を優先することが大恐慌において全体主義と専制から我々を救い、他の民主主義国家とともに第二次世界大戦後の世界と軍事力や国際関係だけではなく原理に基づく秩序を築いた。それは、法の支配、人権、信教の自由、言論の自由、集会の自由、そして、報道の独立という原理である。

 そうした秩序が今、脅かされそうとしている。イスラムを代弁していると主張している暴力的な狂信者によって。さらに自由市場、開放的な民主主義、市民社会を権力への脅威と見なした諸外国の独裁者によって。我々の民主主義に突き付けられた危機は自動車爆弾やミサイルよりも深甚である。それは変革への恐れを示しているからだ。すなわち、違った外見や話し方、祈り方をする人々への恐れ、権力者に説明責任を負わせる法の支配の軽視、異なる意見や自由な考え方への不寛容、剣、銃、爆弾、もしくはプロパガンダが真実と正義の審判者であるという信念。

 兵士達、諜報員、警察官、外交官の並外れた勇気のお蔭で、いかなる外国のテロ組織も我々の国土にこの8年間、攻撃を仕掛けることができなかった。ボストンとオーランドは過激思想がいかに危険かを我々に思い出せるが、警察機構はより効率的に警戒に当たっている。我々はビン=ラディンも含めて数万人のテロリストを排除した。我々が結成したイスラム国に対する全地球的な同盟は、彼らの指導者を排除し、領域を半分程度、奪った。イスラム国は根絶されるだろう。そして、アメリカを脅かす者は誰一人として安全ではいられなくなる。すべての職務に励む公職者に言いたい。あなた達の最高司令官になれたことは私の生涯の誇りである。

 しかし、我々の生活を守るためには軍隊だけでは十分ではない。民主主義は、我々が恐怖に負ければ倒壊する。我々は市民として外部からの侵入に注意し続けなければならず、我々自身の根源である価値観を弱めようとする動きから身を守らなければあんらない。だからこそここ8年間で、我々は確固とした法的根拠に基づいてテロに対して戦ってきた。だからこそ我々は拷問を終わらせ、グアンタナモ基地を閉鎖しようとし、プライバシーと市民的自由を守るために調査方法に関する法律を改正した。だからこそ私はイスラム系アメリカ人に対する差別を拒んだ。だからこそ我々は、民主主義、人権、女性の権利、同性愛者の権利を世界に広める戦いから退くことはできない。いかに我々の努力が不完全なものであっても、いかにそのような価値を無視したほうが好都合であってもだ。過激思想や不寛容、分断主義と戦うことは、独裁主義や国権の侵害と戦うことである。もし自由の領域と法の支配の尊重が世界中で退行すれば、国家内、もしくは国家間の戦争が起きる可能性は高まり、我々自身の自由も最終的に脅かされる。

 恐れず常に警戒心を怠らずにいよう。イスラム国は無実の人々を殺そうとしている。しかし、我々が戦いにおいて憲法と原理を放棄しない限り、彼らはアメリカを打ち負かせない。もし我々が我々が拠って立つものを放棄して小国を虐める単なる大国になり下がらなければ、ロシアや中国といった競合国は世界における我々の影響力に勝てない。

 最後に述べておきたいことがある。我々の民主主義は、民主主義が当然のものだと思ってしまえば脅かされる。我々すべては党派にかかわらず、我々の民主主義体制の再構築に献身すべきである。進んだ民主主義政体で投票率が低下しているなら、我々は投票を難しくするのではなく簡単にしなければならない。我々の政治制度に対する信頼が低迷しているなら、政治への腐敗したお金の影響力を削ぐのではなく、公職者の透明性や倫理といった原理を強調すべきである。連邦議会が機能麻痺に陥った場合、我々は過激思想ではなく良識を説くように政治家に選挙区で働き掛けなければならない。

 これらすべてのことは我々が積極的に関与することにかかっている。党勢の変動にかかわらず、我々はそれぞれ市民の責務を背負っている。

 我々の憲法は優美な贈り物である。しかし、それは羊皮紙の断片に過ぎない。それ自体で力を持っているわけではない。我々人民が憲法に力を与える。我々がいかに関わるか、そして、我々がいかに選択するかで憲法に力が与えられる。我々が自由のために立ち上がるか否かにかかっている。我々が法の支配を尊重して強化するか否かにかかっている。アメリカは不安定な存在ではない。しかし、自由を求める我々の長い旅が前進しているかどうかは定かではない。
 
 告別の辞でジョージ・ワシントンは次のように書いている。自治こそ我々の安全、繁栄、そして、自由の要だが、「あなた達の心の中にあるこうした真実への信頼を揺るがそうと、異なる主義と異なる方針を持つ者達が多大な労力を払う」。我々はそれを「不断の警戒」で守るべきである。我々は「我が国の一部の人々をその他の人々から離反させ、神聖な絆を弱めようとするあらゆる試みの兆し」を摘むべきである。

 こうした絆を弱めてしまって我々が政治的対話を不真面目なものにしてしまえば、優れた資質を持つ人々が公職者にならなくなってしまう。下品に騒ぎ立てれば、我々と異なる意見を持つアメリカ人は誤って導かれ、悪意を持つようになるかもしれない。我々が一部の人々をよりアメリカ人らしいと評価すれば、絆が弱まってしまう。我々が政治制度全体がどうしようもなく腐敗しているのだと書き、我々自身が選び出したことを忘れて指導者を非難するようになれば、絆が弱まってしまう。

 我々が一人ひとり民主主義の不断の見張り番にならなくてはならない。我々は、偉大なる我が国を改善する絶え間のない仕事に取り組まなくてはならない。我々すべてが外面的な違いを持っているからこそ、我々は市民という同じ誇り高き称号を共有しなければならない。

 我々の民主主義が求めるものは結局、何か。民主主義にはあなた達が必要だ。単に選挙の時だけではなく、あなた達自身の狭い利害が危機に瀕して時だけではなく、生涯にわたって必要とされている。もしあなた達がインターネットで見知らぬ人々と議論するのに飽き飽きしていたら、現実の生活で誰かと話してみればよい。もし何か改善する必要なことがあれば、気を引き締めて何かやってみたらよい。もしあなたが選出した公職者に落胆したなら、板を掴んで署名を集めて自分自身で立候補してみたらよい。前に出ろ。熱心にやれ。諦めずに続けろ。時にはうまくいくこともある。時にはうまくいかないこともある。他人の善意を信じることはリスクがあるし、うまくいかなくてがっかりすることも何度もある。しかし、幸いにも我々はそうした努力の一部を担うことができ、間近で見守ることができ、激励することもできる。そして、それ以上に、アメリカへの、そして、アメリカ人への信頼が固くなるだろう。

 私の場合もそうだった。8年間にわたって私は、若い卒業生達や新しい軍の士官達の希望に満ちた顔を見てきた。答えを探してチャールストン教会で慈悲を得た悲しい家族達を悼んだ。科学者達が麻痺を患った男性に感覚を取り戻させ、負傷兵を再び歩かせたのを見た。医師達やボランティア達が地震の後、トラックで疫病の大流行を止めようとしたのを見た。難民が平和に働き、家族を見つけられるようにするべきだということを幼い子供達が我々に思い出させてくれたのを見た。

 普通のアメリカ人が変革を起こす力を持っているというこれまでの私の信念は、私が想像できない方法で報いられた。あなた達もそう思うように願う。ここに集ってくれたあなた達や家でテレビを見ている人々の中には、我々とともに2004年、2008年、2012年も一緒にいてくれた人がいるかもしれない。これですべて終わりだと思っていないはずだ。あなた達だけではない。ミシェルもだ。25年間にわたって、君は私の妻であっただけではなく、子供達の母であり、最良の友であった。君は求められていない役割でも進んで務め、自分の仕事を素敵に、かつユーモアたっぷりにこなした。君はホワイト・ハウスをすべての人々のものにした。新しい世代は、君を見倣って目標を高く持つようになるだろう。君は私の誇りだ。君は国の誇りでもある。

 マリアとサーシャは大変な状況下でも2人の素敵な女性になった。賢明で美しいが、もっと大事なことに親切で思いやりがあり、情熱がある。スポットライトの中で君達は年相応の重みを身に付けてしまったよ。私の人生の中で最も誇らしいことは、君達の父親になれたことだよ。

 ジョー・バイデンへ、スクラントンから来た腕白少年はデラウェアの大事な息子になった。あなたは私が最初に指名した人物であり、最善の選択だった。あなたが偉大なる副大統領であったからだけではなく、私にとって兄弟みたいな
ものだったからだ。ジル、我々はあなたを家族のように愛している。そして、あなたの友情は私の人生の中で最も大きな喜びの一つだ。

 私の優秀なスタッフへ、8年間、中にはもう少し長い年月、私はあなた達に尽力してもらったし、毎日、努力していたあなた達を思い出すと、真心、品格、信念が見える。私はあなた達の成長を見てきた。結婚し、子供を持ち、あなた達自身の新しい旅を初めてきたのを。つらい時でもあなた達はワシントン政界を利用しなかった。あらゆることの中でも私が誇りに思うことは、これからあなた達がきっと素晴らしいことを成し遂げるだろうという期待だ。

 離れた場所にいるあなた達すべてへ、迎え入れてくれる見知らぬ街や家族に入るあらゆる社会活動家、あらゆるドアをノックするボランティア、初めて投票するあらゆる若者、変革という困難な仕事に邁進するあらゆるアメリカ人へ、あなた達は望み得る限りの最善の支持者であり社会活動家であり、私は永遠に感謝している。なぜならあなた達は世界を変えるからだ。

 だからこそ私は、我々が始めた時よりもこの国の行き先が明るいと信じて今夜、この場を降りることができる。なぜなら私は、我々が行ったことが多くのアメリカ人を助けただけではなく、多くのアメリカ人、特に離れた場所にいる遠くの若いアメリカ人を変革を成し遂げることができると信じること、高邁な理想を抱くことで勇気付けたことを知っているからだ。利他的で、他愛的で、創造的で、愛国的な世代が登場している。私はそうしたあなた達を国のあらゆる場所で見ている。あなた達は、公平で公正で懐の深いアメリカを信じている。あなた達は絶え間のない変化こそアメリカの証だと分かっているはずだ。恐れずに取り組め。そうすればあなた達は民主主義を前進させるという困難な仕事を達成できる。きっとすぐにあなた達は我々を数で凌駕するだろう。そして、その結果、未来はより良き手に委ねられると私は信じている。

 我が同胞アメリカ人よ、あなた達のために奉仕できたことは私の生涯の誇りである。私は立ち止まらない。事実、私はあなた達と市民として残る日々をあなた達とともにあるつもりだ。さしあたって今は、老若を問わず、あなた達の大統領として最後に求める。8年前にあなた達が私に機会を与えてくれた時に求めたのと同じことを。

 信じるように求める。私に変革を起こせる力があるのではなく、あなた達に変革を起こす力があることを。

 建国の文書に書かれている信念を抱くように求める。奴隷と奴隷制廃止論者によって囁かれてきた理想を。移民と自作農、公正を求めて行進した人々のよって歌われた精神を。外国の戦場から月面まで国旗を打ち立てた者達が再確認してきた信条を。未だに話に書かれていないあらゆるアメリカ人の中核にある信条を。

Yes We Can.
Yes We Did.
Yes We Can.

 ありがとう。あなた達に神の祝福あれ。そして、神がアメリカ合衆国に恩恵を与え続けてくれるように。

関連記事:オバマの演説術

2016年アメリカ大統領選挙における不誠実な選挙人(Faithless Electors)

要旨

  • ポイント1:不誠実な選挙人は一般投票の結果に従わずに自由意思で投票する者を指す。
  • ポイント2:不誠実な選挙人は、必ずしもトランプの代わりにヒラリー・クリントンを大統領にしようと考えているわけではない。単にトランプの当選阻止を考えている。
  • ポイント3:不誠実な選挙人は民主党員の中にもいる。つまり、本来、ヒラリー・クリントンに投じるべき票をトランプ以外の共和党員に投じることで共和党内の反トランプを抱き込もうとしている。それはトランプの当選阻止を実現するためである。

トランプに投票しない選挙人、では誰に投票するのか


 2016年アメリカ大統領選挙の選挙人投票が12月19日正午に迫っている。日本時間では、12月20日午前2時(東部)~午前7時(ハワイ)になる。まず選挙人制度そのものについては、選挙人制度とはどのような制度なのかを参照されたい。今回の問題は、はたして不誠実な選挙人(Faithless Electors)がどの程度、出るかである。

 「トランプ懐疑論者の選挙人は辞任したが、まだ資格を失っていない」という12月1日の記事によれば、早くも8月にジョージア州の共和党選挙人バオキー・ヴーは、トランプに投票しないと公表している。ヴーは春に行われた州党大会で選挙人に選出されている。
 少し私が解説を付け加えると、その時点ではトランプはまだ共和党大統領候補になっていない。つまり、ヴーは共和党大統領候補に投票することを約束して選挙人になったが、トランプに投票することを約束したわけではない。 そのためトランプが大統領候補指名を獲得した後、トランプに投票しないと公表している。
 最終的に、ヴーは選挙人を辞退すると発表したが、選挙人の資格を喪失したわけではない。選挙人投票の当日に欠席して、他の選挙人達が代わりの選挙人を選ぶまで有効である。
 さらにテキサス州の共和党選挙人アート・シスネロスも辞意を表明している。ジョージア州と同じく他の選挙人達が代わりの選挙人を選ぶ。
 
 12月6日の「テキサスの選挙人がトランプに投票しない最初の選挙人に」という記事によれば、テキサス州の共和党の選挙人クリストファー・スープランは、トランプに投票しないと公表している。
 大統領にふさわしくない者を選ぶことはできないという理由を明かしている。そこでトランプではなく他の共和党員に投票すると述べている。つまり、ヒラリー・クリントンが一般投票でトランプを上回っているという理由でトランプに投票しないわけではない。もし仮にそうであれば、ヒラリー・クリントンに投票すべきだからだ。
 スープランはアレグザンダー・ハミルトンが『ザ・フェデラリスト』で展開した論を根拠にしている。すなわち「良識に基づく選挙人は国家の善のために正しいことができる」という論である。 『ザ・フェデラリスト』第68篇は、民衆を扇動するような者や外国の影響を受けている者は大統領としてふさわしくないと述べている。スープランによれば、トランプはそうした指摘に当てはまるという。だからこそトランプに投票しない。

 選挙人の中には「ハミルトンの選挙人」を名乗ってスープランと同じく不誠実な選挙人になろうという者達がいる。そうした者達はワシントン州に3人、コロラド州に4人いるという。ただ注意しなければならない点は、ワシントン州もコロラド州も両方ともヒラリー・クリントンが勝利を収めている。つまり、両州の選挙人はもともとトランプに投票することが求められる選挙人ではない。ヒラリー・クリントンに投票することになっている。

 ここからは私の考えになるが、そうした7人の選挙人がなぜ不誠実な選挙になろうというのか。彼らは本来、ヒラリー・クリントンに投票しなければならないが、ヒラリー・クリントンではなくトランプ以外の共和党員に投票しようとしている。そうすることでトランプ以外の人物を大統領に据えようとしている。極言すれば、共和党の勝利を認めておいて、トランプ以外の大統領を据えようという戦術である。共和党内の反トランプ派を抱き込もうという戦術だろう。ヒラリー・クリントンに投票するように共和党の選挙人に呼び掛けるのは難しいが、同じ共和党員であれば同調する共和党の選挙人がきっといつはずだという判断である。
 この問題に関して考えるのであれば、「ワシントン州の選挙人が反トランプ運動に参加」という記事は必見。


「ハミルトンの選挙人」


 「ハミルトンの選挙人」の設立趣旨には以下のように書かれている。 

 「ハミルトンの選挙人」は、選挙人には国家の将来を守る責任があり、職務にふさわしい人物を次期大統領に選ぶ義務を持つという信念に賛同する市民である。我々は、選挙人は必要に応じて大統領にふさわしくない人物から国家を守る安全装置になるべきだというアレグザンダー・ハミルトンの信念を尊重している。2016年、我々は党派を超えてアメリカのことを第一に考えなければならない。選挙人の中には国家の善のために責任ある共和党員を大統領にしようと党派の垣根を越えて活動している者達がいる。メッセージを共有することで勇気ある市民を支持して欲しい。そして、トランプに対するあなたの不安を示して欲しい。アメリカは大統領にふさわしい人物を選ぶべきである。

  つまり、彼らはヒラリー・クリントンを大統領にしたいとは言っていない。あくまでトランプの当選阻止が目的である。極言すれば、トランプ以外の人物であれば共和党員でもかまわない。彼らの表現ではResponsible Republican candidateであればよい。確かにこうした主張であれば、先述のように共和党内の反トランプ派を味方に付けやすいだろう。

参考情報:国立公文書館(National Archives)の役割


 国立公文書館はその名前の通り、アメリカの公文書館を管理している。独立宣言や合衆国憲法、奴隷解放宣言、日本の降伏文書の原本などを収蔵している。
 大統領選挙では、50州とコロンビア特別行政区から選挙人の当選証明書を集める。そして、国立公文書館の職員に当選証明書が受納される。それをもって連邦政府が選挙人投票を受け取ったことになる。
 1876年の大統領選挙のように二種類(共和党と民主党)の当選証明書が送られてくるという困った事態が起きたこともあった。そして、議会によってどちらの当選証明書が有効か決定された。現在では、その時の反省を踏まえて州自身が判断を下して一種類の当選証明書を送るように規定されている。
 当選証明書を集めた後、正式な開票は1月6日に議会で行われる。  このように選挙人投票で重要な役割を果たして国立公文書館だが、選挙人投票について以下のようにまとめている。

選挙人になるための資格


 合衆国憲法には、選挙人の資格に関する規定はほとんどない。第2条第1節第2項によれば、連邦上院議員、連邦下院議員、もしくは合衆国の行政官は選挙人になることはできない。また修正第14条によれば、合衆国に対する反逆罪や合衆国の敵との通謀罪に問われる州の行政官は選挙人になることはできない。この禁止規定は南北戦争の経験を考慮に含めて制定された。
  州文書局全国連盟(NASS)は、選挙人に関する州法について概観を編纂した。それは「大統領選挙人に関する州法の概観」としてまとめてある。各州は、選挙人の当選証明を発行しなければならない。州による当選証明だけで選挙人はその資格を認められる。

誰が選挙人を選ぶのか


 各州の選挙人選出は2つの過程をたどる。第一の段階では、各州の政党が一般投票の前に選挙人団を選ぶ。第二の段階では、一般投票の日に、一般有権者が選挙人を選ぶ。
 第一の段階は各州の政党が管理する。各州によって異なっているが、概ね州党大会で選挙人を指名するか、もしくは中央委員会で投票によって選挙人を指名する。こうした過程は、各州でそれぞれの政党によって行われる。したがって、各大統領候補は、それぞれ独自の選挙人団を持つことになる。政党は、党に対する貢献で選挙人を選ぶことが多い。州の公職者であったり、政党の有力者であったり、もしくは大統領候補の知人であったりする。
 第二の段階は、一般投票の日に起きる。各州で一般投票が行われて選挙人が選ばれる。各州によって、大統領候補の下に選挙人団の名前が記される場合と記されない場合がある。ネブラスカ州やメイン州を除いて州全体で最多の得票を集めた大統領候補を指名する選挙人団がその州の選挙人団として認められる。ネブラスカ州やメイン州では、州全体の勝者が2人の選挙人を獲得し、その他は下院議員選挙区単位で1人ずつ選挙人が選ばれる。

選挙人の誓約と義務


 一般投票の結果に従って選挙人が投票しなければならないという規定は合衆国憲法にも連邦法にも存在しない。しかしながら、州の中には、一般投票の結果に従って、投票するように求める州もある。そうした拘束には二つの種類がある。州法による拘束と政党による拘束である。
 連邦最高裁判所は、合衆国憲法は選挙人が完全に自由意思で行動できるとは必ずしも規定していないので、政党は選挙人を指名する場合に誓約を求めても問題ないという見解を支持している。州法の中には、いわゆる「不誠実な選挙人(Faithless Electors)」に対して罰金を科したり、無効票判定を下したり、他の選挙人と交代させたりする規定がある。連邦最高裁判所は、合衆国憲法の下で誓約や罰金を強制できるか否かについて特に判定を下していない。なぜなら誓約に背いて投票した選挙人は誰も訴追されていないからである。
 今日、一般投票の結果に背いて政党が指名する者以外に投票する選挙人は非常に珍しい。通常、選挙人は政党の中の有力者であり、政党への長年の貢献で選ばれるからである。これまでの歴史の中で99%の選挙人が誓約通り投票している。
 州文書局全国連盟(NASS)は、選挙人に関する州法について概観を編纂した。それは「大統領選挙人に関する州法の概観」としてまとめてある。
 12月18日追記


 「2人のコロラド州の『不誠実な選挙人』がヒラリー・クリントンに投票しないと決心を固める」という新しい記事によれば、民主党のコロラド州の選挙人がヒラリーに投票せずにトランプ以外の穏健な共和党員に投票するという。コロラド主はヒラリーが獲得しているので民主党の選挙人はヒラリーに投票できる。しかし、わざわざヒラリーに投票せずに共和党員に投票するのは、明らかにトランプを阻止するための運動である。ただ不誠実な選挙人によって選挙結果が覆る可能性は極めて低いと多くの人々が冷静に考えるようになったのか世論の反応は鈍いようだ。
 『選挙人団:12月19日、ヒラリー・クリントンを大統領に』という運動について前に紹介したが、さらに『選挙人団に請願を』というサイトが立ち上げられている。その中に「トランプの危険性」と題したページがあるがソーシャルメディアによるシェア数はあまり多くない。おそらくあまり影響はないだろう。
 12月19日(日本では20日早朝)になれば結果が分かるが、過去の例からすれば、不誠実な選挙人は多くても数人、二桁には届かないのではないかと思っている。


大統領とネクタイの色

 テレビからよく問い合わせがあるのがアメリカ大統領は意識的にネクタイの色を選んでいるのかという話。毎度毎度、質問があるのでここにまとめて書いておくと便利かもしれない。

 例えば赤と青のネクタイについて考察した記事もあるが、根拠は乏しい。そもそも色彩というのは極言すれば誰でも好きなように解釈できるので、大統領自身が何らかの決まった効果を狙ってこの色を選択しているとは言い難いと思う。

 共和党のシンボルマークが赤
 民主党のシンボルマークが青

 これが関係しているとも考えられるが確証には乏しい。例えば、ブッシュ(父)共和党、オバマ民主党、ブッシュ(子)共和党、クリントン民主党、カーター民主党と並んで映っている写真があるが、。ネクタイの色は所属政党と合致していない。合致しているのはオバマだけ。

 重要な機会にオバマは何色のネクタイを付けているのか。寒色は主に青、暖色は主に赤。

2008年1月8日   
 Yes We Can Speech 寒色
2008年2月5日
 メガチューズデイ 予備選挙の天王山の日 寒色
2008年3月18日  
 より完全な連邦演説 寒色
2008年6月3日
 予備選挙勝利宣言 寒色
2008年8月28日
 民主党全国党大会 候補指名受諾演説 暖色
2008年9月26日
 第1回テレビ討論 暖色
2008年10月
 第2回テレビ討論 寒色 
2008年10月
 第3回テレビ討論 暖色
2008年11月4日  
 勝利宣言 暖色
2009年1月20日  
 第1次就任演説 暖色
2009年4月5日   
 核のない世界演説 寒色
2009年12月10日 
 ノーベル平和賞受賞演説 寒色
2009年9月9日   
 医療保険制度改革演説 暖色
2010年1月7日   
 一般教書 暖色
2011年     
 一般教書 寒色
2012年     
 一般教書 暖色
2013年     
 一般教書 寒色
2014年     
 一般教書 寒色
2012年 
 第1回テレビ討論 寒色
 第2回テレビ討論 暖色
 第3回テレビ討論 寒色
2012年11月7日 
 勝利演説 寒色
2013年1月20日 
 第2次就任演説 寒色

 法則性(ここ一番の時に寒色、暖色どちらをつけるなど)はどうやらないようだが、強いて言えば、寒色と暖色をバランスよく配分しているように思える。同様の機会がある場合、同じ系統の色は使っていないようだ。偶然かどうかは不明。
 2008年の大統領本選の勝利宣言は暖色、2012年の大統領本選の勝利宣言は寒色、2008年の候補指名受諾は暖色、2012年の候補指名受諾は寒色、2009年の就任演説は暖色、2013年の就任演説は寒色。2008年のテレビ討論では暖色⇒寒色⇒暖色なのに対して2012年のテレビ討論では寒色⇒暖色⇒寒色と逆転。2009年のエリザベス2世との会見は寒色、2011年の会見は暖色になっている。
 ただ俗説にあるようにここぞという時に何色のネクタイを付けるという決まりはない。そもそも大統領という立場上、もしここぞという時に付けるネクタイの色が決まっていると問題になる。もし大統領がある晩餐会でその色以外のネクタイを付けてきたらどうだろうか。出席者は失望しないだろうか。したがって、ネクタイの色に法則性はないと考えられる。たとえあったとしても本人しか分からない。

『選挙人団:12月19日、ヒラリー・クリントンを大統領に』というChange.orgにおける署名活動について

 ヒラリー支持者が一般投票の結果を覆そうと署名活動をしている。詳しくは以下のサイトに掲載されているので見て欲しい。

Electoral College: Make Hillary Clinton President on December 19

 英語のサイトなので意訳だが簡単に訳しておく。

 12月19日、選挙人団が投票する。もし選挙人団が各州の一般投票結果に従って投票すれば、ドナルド・トランプが勝つ。しかし、選挙人団はやろうと思えばヒラリー・クリントンに投票できる。たとえそれが認められていない州であろうと、そうした票は有効になる。違反した選挙人はわずかな罰金を払うだけでよい。クリントンの支持者であれば喜んで肩代わりするだろう。我々は、選挙人団に州の一般投票結果を無視してヒラリーに投票するように求める。なぜか。
 トランプは大統領にふさわしくない。多くのアメリカ人を槍玉に挙げているだけではなく、衝動的であり、暴力的であり、女性を蔑視し、経験不足なトランプはアメリカを危機にさらす。
 一般投票ではヒラリーが勝っている。だから大統領になるべきだ。トランプが勝利した唯一の理由は選挙人制度だ。
 選挙人はどちらの候補でも意のままに勝たせることができる。このような民主主義に反する制度をなぜ使うのか。
 ヒラリーが一般投票で勝っている。トランプが大統領になるべき理由はない。「それは人民の意思」だと言うが、それは違う。ヒラリーが一般投票で勝っている。「憲法による我々の政治制度はトランプが勝ったとしている」と言うが、それは違う。我々の憲法は、選挙人が選ぶと言っているにすぎない。多くの州が不誠実な選挙人を縛っている。もし選挙人が一般投票の結果を無視して投票すれば、罰金を払わなければならない。しかし、選挙人は欲するがままに投票でき、それを止める法的手段は多くの州で存在しない。
これがいかに危険な意見なのか。まず選挙人に関する詳しいが分からない人のために私のサイトから主要部分を抜粋する。

 なぜこのような選挙人団という方式が採用されたのか。憲法制定会議の代表達の中で、連邦議会が大統領を選出するべきだという意見と人民の直接選挙によって大統領を選出するべきだという意見があった。
 議会による大統領選出は大統領を議会に従属させる結果をもたらし三権分立の原理を脅かしかねない。また人民による直接選挙には、人民に大統領を選ぶ見識があるのかという問題、または人民を扇動する者が大統領になる危険性などが考えられた。
 そこで州の定める方法によって選ばれた選挙人によって大統領を選出する方式が妥協案として提案された。それは州政府と連邦政府が権限を分有するという連邦主義にも沿っていた。また連邦制度の中で全国を単一の選挙区とする選挙は法的な重要性を持ち得なかった。
では選挙人制度のデメリットとメリットを列挙する。これは一般的に言われている内容。

 デメリット

  • 一般投票で多くの票を獲得しても敗北してしまう場合がある。そうした事態は何度も起きている。
  • 一般投票の結果を無視して投票する選挙人、いわゆる不誠実な選挙人が出る。
  • 州によって投票率が異なる場合、極端に高い投票率で選ばれたある州の選挙人と極端に低い投票率で選ばれた別の州の選挙人は同等と言えるのか。
  • そもそも選挙人制度は国民の意思を正確に反映していない。
  • 勝者総取りが多く、第三政党が選挙人を獲得できる機会がない。

 メリット

  • 大統領は国民の代表であると同時に連邦の代表である。連邦の統合を保つためには地域間の融合を図らなければならない。したがって、国民によって選ばれるという形だけではなく、連邦の構成要素である州によって選ばれるという形を取らなければならない。
  • 選挙人制度によって二大政党制が確立されている。多様な見解を持つ第三政党が乱立すれば選挙は混戦になる。その結果、過半数を獲得できる大統領候補がなかなか出なくなって紛糾する。選挙人制度ではそうした事態は起こりにくい。

 それで私の見解だが、まず私はあくまで中立。もしトランプが敗北していて、トランプの支持者が同じことをしていれば反対していた。それに人種差別も容認すべきではないと思っている。反対の理由は別のところにある。すなわち、次のようになる。

 今回の署名活動をしている人々は、選挙人制度は民主主義に反する不公正な制度だから無視するべきだと考えている、一般投票で勝利した候補が大統領になるべきだと。

 だから今回の署名活動に賛同している人にそうした活動は民主主義に反するから止めろという説得はまったく意味がない。彼らは自分達の意見が民主主義に沿うものだと思っているから。

 その点に関しては私は特に言うことはない。一般投票の結果を正しく反映させるのが民主主義だという意見には一理ある。

 しかし、ヒラリー支持者の行為は選挙人制度が存在する意義を無視しているから問題だ。忘れてはならないことは、民主主義だけが正義ではないということ。アメリカという国家には民主主義と並んで重要な原則がある。連邦主義だ。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。きちんと考えられた上で構築されている。

 つまり、選挙人は、各州に連邦上院議員の数と連邦下院議員の数に応じて分配される。これは憲法制定会議で侃々諤々の議論があった末に決まっている。つまり、連邦上院議員の数を分配することは連邦主義を体現する一方で、連邦下院議員の数を分配することは民主主義(当時は必ずしも「民主主義」という言葉は良い意味はないが・・・・・)を体現している。

 極言すれば、各州は選挙人の選定を自由なやり方で行うことができる。それは憲法で決まっている。だから州知事の一存で選挙人を決めるように州の規定を改正すればそれも可能。事実、昔は一般投票がない州が多く、州議会が選挙人を選んでいた。それが時代を経るにつれて民主化して一般投票が当たり前になった。だから選挙人制度は時代に応じて十分に民主主義に沿う形に改善されている。それを忘れてはならない。

 仮に絶対的な政治的正義があるとすれば、私の考え方はこうだ。ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障する。この政治的正義を実現するためには民主主義と連邦主義の両方が必要となる。選挙人制度を無視しようとする人はそこを分かっていない。

 民主主義については特に説明する必要はないだろう。では連邦主義とは。合衆国憲法の制定者たちは、人民を州政府と連邦政府がそれぞれ統治するという二元制を規定した。図で説明するとこうなる。


 なぜ憲法の制定者たちはこのようなシステムにしたのだろうか。似たようなシステムがある。三権分立。行政府、司法府、立法府が均衡して抑制しあうという仕組み。つまり、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあう。何のためか。それは三権分立と同じ。三権分立では行政府、司法府、立法府がそれぞれ暴走しないようにしている。合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうのは、同じくそれぞれが暴走しないようにするため。合衆国政府が暴走すれば、州政府と人民が抑える。州政府が暴走すれば、合衆国政府と人民が抑える。人民が暴走すれば合衆国政府と州政府が抑える。歴史上、さまざまな具体例があるが、ここでは言及しない。

 暴走を抑える目的は何か。誤解を恐れず、簡単に言ってしまえば、ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障するためだ。

 ここで問題となるのは、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうためには、それぞれが権限を持たなければならないということ。

 アメリカでは州の権限が強いとされるが、昔と比べるとまったくそうではない。選挙人制度は州の権限を認めるために必要な制度である。もし大統領が州の意向を反映せずに人民の意思だけで選ばれればどうなるか。連邦政府の権限がもっと強くなる恐れがある。そして、実質的に州が有名無実の存在になれば、合衆国政府、州政府、人民の均衡が崩れる。その先に待つものは政治的混沌でしかない。

 確かに歴史を振り返れば、南北戦争は、合衆国政府と人民が南部の州政府の暴走を止められなかったことに一因がある。均衡と抑制がうまく機能していなかった。それは州の権限が強すぎたからだ。

 しかし、時代を経るにつれて連邦政府は肥大化して強大化している。そうした連邦政府の行動を常に警戒心を持って見張るためには人民だけでは足りない。州も厳しい目を注ぐ必要がある。そのためには州を強化しなければならない。

 もし選挙人制度を否定してしまえばどうなるか。それは大統領の選出に大きな影響を及ぼすという州の権限を否定することになる。それは州の弱体化につながる恐れがある。州が弱体化して連邦政府を監視する役割を果たさなくなれば、そのつけは結局、人民に回ってくる。

 それに選挙人制度によって、州と人民は大統領を選出した連帯責任を持つ。責任は義務を伴う。もし大統領が圧政を行えば、人民だけではなく州もそれに異を唱える義務を負う。

 大切なことだからもう一度言う。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。アメリカという巨大国家を運営するには、民主主義と連邦主義の二つの柱が必要である。だから選挙人制度は、一見すると時代遅れの非合理な制度のように見えても温存しなければならない。だから選挙人制度を無視して一般投票で勝っているヒラリーを大統領にすべきだという意見は考え直さなければならない。

追記:11月13日20時39分

 そもそも選挙人制度は人民を扇動して大統領になる者を防止する目的で作ったという経緯もある。したがって、もしトランプが扇動者と認められるのであれば、選挙人自身の自由意思でヒラリーに投票するのはありだと思う。

 しかし、やはりたとえ間接的であれ、ヒラリーの支持者が選挙人に数の力で迫るような運動は少数者の権利を脅かすことになる。民主主義は多数決の原理だけでは暴政となる。少数者の権利の擁護を伴わなければならない(この問題については拙著『ジェームズ・マディソン伝記事典』で詳しく論じている)。ヒラリーの支持者ができることは、選挙人が「良識」を持って投票するように見守ることしかない。間違っても強制と誤解されるようなことはしてはならない。

 猶、この文章は私のアメリカ人の知り合い(ヒラリー支持者)に送ったもので原文は英語。それを簡単に訳している。

なぜ大統領選は今のような複雑な制度なのか

選挙人は必ずしも人口に応じて配分されているわけではない


 以前、ヒラリーとトランプの票が同数になったらどうなるかについてはここに書いた。それで今回は大統領選の仕組みについてまとめておきたい。
 テレビや新聞など大統領選についていろいろ報道している。そこで疑問に思わないだろうか。なぜこんな面倒なシステムになっているのと。一般投票やら選挙人やらなんで面倒なんだと。

 一番簡単な方法は、アメリカ全土を一つの選挙区にして集計して最多票を獲得した者が当選という方法だろう。国民の意思を反映しているのだからそれで良いように思える。

 しかし、ここで忘れてはならないのは、アメリカが連邦制の国だということ。国民の意思も大事だが、各州の意思も無視できない。もしアメリカ全土を一つの選挙区にすれば各州の意思を無視することになる。だから選挙人を各州に割り当てることになる。

 選挙人の割り当てだが、昨日の日経新聞に人口に応じて割り当てると書かれていたが違う。連邦議会の構成を見れば分かるように、アメリカの連邦政府は必ずしも人口に応じて代表されているわけではない。原則、下院の議席配分は人口に応じているが上院の議席配分は各州に2人ずつだ。

 選挙人の配分は州選出下院議員の数と州選出上院議員の数になる。例えばカリフォルニア州の選挙人の数は、下院議員53人+上院議員2人になる。だからすごく人口が少ない州でも最低3人はいる。

 カリフォルニア州の人口は約3800万、ワイオミング州の人口は約58万人。そうなるとカリフォルニア州は約70万人に1人の割り当てでワイオミング州は約20万人に1人の割り当て。人口に応じていないのは明確だ。

 もし1票の重みが違うとカリフォルニア州の住民が裁判所に提訴したらどうなるか。きっと敗訴するだろう。

 なぜなら選挙人の配分が人口に必ずしも比例していないのは、有権者の多数決で決定するという民主主義の論理と州の多数決で決定するという連邦制の論理の二つが並存しているから。連邦制という憲法で認められた原理があるのでたとえ1票の重みが違ってもこの場合は認められる。

そもそもなぜ間接選挙なのか


 一般投票ですべて決定すればよいのではないか。なぜなら選挙人は原則、一般投票の結果に従って投票するだけだから完全に形骸化しているからだ。

 まず建国の父祖たちは実は民主主義(昔、デモクラシーという言葉は衆愚政治という意味合いが強かった)を恐れていた。危ない扇動家が出てきて民衆を意のままに動かせば国はおしまいだと考えていた。そこでワンクッション置いて良識ある人々に大統領の選出を委ねようと考えた。それが選挙人。

 選挙人は州が好きな方法で選ぶことができる。一般投票で選んでもいいし、州議会が選んでもいい。州法、もしくは関連する州憲法を改正しさえすれば州知事の一存で決めるということも可能。つまり、選挙人は州の主権を尊重した連邦制の残滓だと言える。だからおいそれとなくせない。たとえ形骸化していても。

ジョージワシントン 末裔 モデル

「ジョージワシントン 末裔 モデル」というキーワード検索でホームページに来る人が多いので調べてみると、ダーブロウ有紗というモデルが、「そしてジョージさんこと、ジョージワシントンの末裔…かもしれないんです!w ダーブロウ家では代々その伝説が伝わっているんだけども。どうなんだろね」とブログで書いているからだと判明。ジョージ・ワシントンに末裔がいないことは明らかなんだが・・・・・。ジョージ・ワシントンに末裔がいるという誤解は以下の福沢諭吉の有名な話で広まったのかもしれない。以下は『ジョージ・ワシントン伝記事典』の一節。


 1898年から1899年にわたって「時事新報」に掲載された『福翁自伝』の中で、福沢諭吉(1835.1.10-1901.2.3)はワシントンの子孫についてアメリカ人に聞いた体験を述べている。以下は、1860年当時、福沢が咸臨丸で渡米した際の話である。
 「私が不図胸に浮かんで或人に聞いて見たのは外でない今華盛頓[ワシントン]の子孫は如何なつて居るのかと尋ねた所が其人の云ふに華盛頓の子孫には女がある筈だ今如何して居るか知らないが何でも誰かの内室になつて居る容子だと如何にも冷淡な答で何とも思て居らぬ是れは不思議だ勿論私も亜米利加は共和国大統領は四年交代と云ふことは百も承知のことながら華盛頓の子孫と云へば大変な者に違ひないと思ふたのは此方の脳中には源頼朝徳川家康と云ふような考があってソレから割出して聞いた所が今の通りの答に驚いて是れは不思議と思ふたことは今でも能く覚ゑて居る理学上の事に就ては少しも膽を潰すと云ふことはなかつた一が方の社会上の事に就いては全く方角が付かなかつた」
 本文中、「華盛頓の子孫には女がある筈だ今如何して居るか知らないが何でも誰かの内室になつて居る容子」とアメリカ人が指摘している「誰かの内室」とは、おそらくロバート・リーRobert E. Lee(1807.1.19-1870.10.12)と結婚したメアリ・カスティスMary Anna Randolph Custis (1807.10.1-1873.11.5)を指すと思われる。メアリ・カスティスはワシントンの被後見人ジョージ・カスティス(マーサの孫)の娘にあたり、ワシントン自身の血は受け継いでいない。


 ワシントンの兄弟姉妹の子孫はいる。そして上記のように継子(妻マーサの連れ子で正確には「被後見人」)の子孫もいる。しかし、おそらくDurbrowという家名は兄弟姉妹の子孫にも継子の子孫の家系図にも見当たらないようだ。
 ちなみにワシントン家は他にウィリアム・ワシントンの一族も有名。ウィリアム・ワシントンはジョージ・ワシントンの遠縁で独立戦争で活躍した。イギリス本国にもワシントン家が確認されているがジョージ・ワシントンとの関係は不明。

追記:
 他の記事に 「ジョージ・ワシントンの従兄弟の末裔だ」とあるようだが、従兄弟というのはおそらく英語でcousinのこと。本来は従兄弟という意味と遠い親類という大雑把な意味がある。系譜学者も従兄弟の家系までは調べていないかもしれない・・・・・。ジョージ・ワシントンには従兄弟はうろおぼえだがいたように思う。つまり、その子孫という可能性は否定できない。また遠い親類ならウィリアム・ワシントンの子孫の可能性やイギリス本国のワシントン家の子孫の可能性もあるだろう。