アメリカ歴史旅XVIIIに続いてウィリアムズバーグのブルトン教区教会。植民地時代の人々の生活が再現されている。
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ブルトン教区教会外観 |
『アメリカ人の物語』から抜粋
6月1日、ウィリアムズバーグにいたワシントンは、決議で決められた通りに教会に行って祈りを捧げて断食を行う。教会の鐘は殷々と響き渡り、市民は祈りの日を送る。
ブルトン教区教会で行われた祈祷でトマス・プライス牧師は、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」とソドムの街の破壊についてアブラハムが神に対して行った質問を会衆に投げ掛けた。そして、プライスは、その問いに「私はその10人のために滅ぼさないであろう」というアブラハムに対する神の言葉で自ら答えた。
プライスは何を言いたかったのか。ソドムという悪徳に染まった街でさえ、神は10人の正しい者がいれば滅ぼさないと約束した。それならば、それよりももっと正しい人々がたくさんいるボストンの街が滅ぼされることはないと強調したかったのだ。
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タイラー大統領の娘の墓石 |
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マーサ・ワシントンの前夫ダニエル・カスティスの墓(旧墓地から改葬) |
『アメリカ人の物語』から抜粋
将来の夫がフロンティアから帰って来るのを待つ間、マーサは墓地に足を運んでいた。ウィリアムズバーグとヨーク川を結ぶクイーン川の畔に静かに佇む墓地には、カスティス家の人々が葬られている。夭折したマーサの娘と息子、はるか昔に亡くなって面識もない姑、そして、新たに亡き夫の墓石が加わる。
それはロンドンに注文した大理石製の壮麗な墓石であり、100ポンド(120万円相当)を要した。この夏、ようやく海を越えて届いたばかりだ。墓石には「ここにダニエル・パーク・カスティス眠る。1711年10月15日、誕生。1757年7月8日、45歳で死没」と刻まれている 。
この当時、故人を偲ぶために墓石を据えることは一般的ではない。昔は多くの死者がぞんざいに墓石もなく葬られ、犬や豚にほじくり返されることがよくあった。ごみの中から遺骨が見つかったことさえある。そこでヴァージニアでは、死者を適切に葬る場所を確保するために法律によって教区教会に墓地の併設が義務付けられた程である。
青々と茂る芝生に膝を付いてマーサは、削り出されたばかりの石面を愛おしむように撫でる。それは亡き夫への報告であった。
死によって別たれ、結婚生活は長く続かなかったが、その思い出は甘美なもので忘れられないものだった。思い出の中だけで生きるには、まだマーサはあまりに若過ぎる。これが自分の選んだ道だ。
しかし、新しい道を選んだのはダニエルを忘れるためではない。忘れることなどできはしない。あなたは逝ってしまったが、残された自分は遺児を守ってあなたの分まで生きる。そして、幸せになる。
そう報告することで、先立った夫を弔う。新しい結婚生活に入る決意がマーサの中で固まった。その一方で夫となるべきワシントンの心は揺れていた。