ハミルトンの大演説

 マディソンによる記録全文。後半は記録されていない。どうやらハミルトンが後半をまとめたものをマディソンに渡すと言っていたが、約束が守られなかったらしい。 注意すべき点はハミルトンがいかにも君主制を推奨しているかのように見えるが、よく読むとそうではないことが分かる点。それに合衆国憲法にハミルトン案の名残りがある点。

 ハミルトン氏は、能力、年齢、そして、経験で優っている他者への敬意から彼らの考えと異なる自分の考えを示すことに躊躇していただけではなく、自邦に関する複雑な状況から同僚が示す意見に決して同意することができなかったので、これまで議事に関して会議の前で沈黙を保ってきた。しかしながら、我々に危機が差し迫るにあたって、公共の安全と幸福のために全力を尽くすというすべての人間に課される義務の真摯な遂行に躊躇することは許されなくなった。したがって、ハミルトン氏は、自分が両案を支持していないことを告げなければならなかった。ハミルトン氏は特にニュー・ジャージー案に反対して、諸邦に主権の保持を認めるような連合規約の修正は、その目的を決して実現することはできないと確信していた。その一方でハミルトン氏は、代わりとなり得る連邦主権から望ましい恩恵が得られると驚く程、幅広い人々が期待しているのを知って非常に落胆したと述べた。会議の権限について、そうした問題に関して漂い始めた疑念は弁別と証明が曖昧であることから生じた 。連邦政府は、独立した共同体が1つになった連合を意味する。異なる連合は異なる権限を持ち、異なる方法で権限が行使される。ある場合には権限は集合体に対して行使される。その他の場合には権限は、帝国議会 のように個々に対して行使される。我々の場合は海賊行為に対して行使される。したがって、大きな許容範囲を言葉の定義に与えなければならない。先に提案された案は、連邦的な考えから逸脱するものだと理解されている。なぜならそれは、すなわち個人に働きかけるからである。この緊急事態において我々は我が国の幸福に不可欠だと見なすことを何でもしなければならない義務を負っているというヴァージニアの紳士(ランドルフ氏)の意見に同意する。諸邦は連邦の緊急事態を何とかするために我々を送り出した。単に我々の権限の範疇を超えるという理由で、こうした緊急事態に対応することができない案に頼ったり提案したりすることは、目的を達成するための手段を犠牲にすることである。諸邦は連合規約の改正や修正の範疇に属さない案を批准できないという指摘があるかもしれない。こうした目的に耐え得る憲法上の権威が議会に存在しない諸邦自体は、人民への付託を考えに入れていないのか。ニュー・ヨークの上院では、人民に付託して批准されるまで会議の決議は拘束力を持たないという留保条項を付ける動議が提出された。動議は僅か1票差で否決された。その理由は、それはおそらく不都合な足枷となるからである。
 我が国の幸福のために我々がどのような規定を作るべきかが重要な問題である。ハミルトンは最初に2つの案の比較検討を行った。両方に本質的な欠陥がある。統合国家的な案にするような変更が効果的である。政府を支えるために必要となる本質的な大原理は、第1に、政府を支える積極的で継続的な利益である。こうした原理は、連邦政府を支持する諸邦には存在しない。彼らは明らかに団結心esprit de corpsを持っている。彼らは絶えず全体の利益に反する内部の利益を追及する。彼らは、連合会議の要請や計画よりも常に優先させている個別の負債や個別の財政計画などを持っている。第2に、権力欲。人間は権力を愛する。同じ見解がこの原理にも適用できる。諸邦は、さらに権限を手放したり、手放したものを実行に移させようとするどころか、委ねた権限を取り戻そうとする傾向を絶えず示している。諸邦の野心的な扇動政治家は、連邦政府の統制を憎んでいることで知られている。市民は諸邦政府の解体のように連邦政府の解体を熱意 を抱いて防止しようとはしないだろうという意見がある。諸邦政府の解体は致命的である。連邦政府が解体しても政府の目的は十分に実現できる。ヴァージニアのような邦が諸国家の命運と比較して僅か数年でどうなるか考えよ。ヴァージニアはどのようにしてその重要性と自信を強く感じることができるのか。第3に、人民の習慣的な愛着。こうした紐帯の力はすべて邦政府に向けられている。邦主権は人民のすぐ目の前にある。人民はその庇護をすぐに享受できる。その手から公正が分配され、人民に政府に親しみを感じさせるあらゆる法律が施行されている。第4に、強制力は、法による強制や武力による強制と理解される。連合会議は僅かな例を除いて法による強制を有していない。特定の諸邦では、こうした強制は辛うじて有効である。ほとんどの場合にそうした力を持つが、すべての場合に及ばない。大きな共同体において、ある程度の軍事力は絶対に必要である。今、マサチューセッツはその必要性を感じて、そのための規定を作ろうとしている。しかし、そうした武力をどのようにして諸邦に対して集団的に行使できるのか。それは不可能である。当事者間の戦争になってしまうだろう。また外国勢力は手を拱いて見ていないだろう。外国勢力が介入して混乱が広がれば、その結果は連邦の解体である。第5に、影響力。腐敗ではなく、政府への愛着を生み出す正規の栄誉や俸給の分配を意味している。諸邦はほぼすべてを握っている。そして、それは諸邦が存続する限り続くだろう。強欲、野心、利害といったすべての情熱が多くの個人を支配するのを我々は見てきた。そして、すべての公人は諸邦の流れの中に取り込まれてしまって、連邦政府の流れの中に入って来ない。したがって、諸邦は常に連邦政府を凌駕して、どのような連合であれ本質的に不安定にしてしまう。この場合、理論は完全に経験によってを裏打ちされている。アンフィクチオン会議 は全体の目的のために十分な権限を持っているように見える。特にアンフィクチオン会議は、不服従な構成員を罰金を科したり武力を行使したりする権限を持っていた。その結果はどうなったのか。アンフィクチオン会議の命令は単なる戦争の合図にしかならなかった。フォキス戦争 はその顕著な例である。フィリッポス2世はその不和に乗じて会議に入り込み、その命運を左右するようになった。ドイツ連合 はもう1つの教訓となる。カール大帝の権威は十分に強いように思えた。しかしながら、強力な封建領主は地域的な主権を行使して、簒奪の精神と手段をすぐに覚えて帝国の権威を単なる名目的な主権にしてしまった。帝国議会は、その頂点にいる諸侯の補佐を受けながら、カール大帝の帝位から独立した大きな権威を継承したが、弱体な連合政府の顕著な例になっている。その他の例も我々に同様の真実を教えてくれる。スイス諸州は連邦を持っておらず、1度ならずも 互いに戦争している。このようなすべての悪弊をどのようにしたら避けることができるのか。上記で示したすべての強力な原理や激情を覆すことができるような権限を全体政府に与えることでのみ可能である。ニュー・ジャージー案はそのような効果をもたらすのか。いかなる実質的な救済がもたらされるのか。それどころか大きな欠陥の下で機能する。その規定の欠陥の中にはその他の規定の有効性を損なう欠陥さえある。連合会議に直接歳入を確保する手段を与えているが、それだけでは十分ではない。収支の均衡は拠出金によって保たれることになるが、経験はそれに頼ることはできないことを示している。もし諸邦がこの方式について考えるのであれば、その目的についても考え、納入するか否かは諸法の胸先三寸による。服従しない邦は他邦を誘い入れて支持を受けようとするだろう。また割当も本質的に不公平で同じく悪弊を生む。どのような基準を設ければよいのか。土地は間違った基準である。オランダとロシアを比べればどうか。フランスやイギリスをヨーロッパのその他の国と比べればどうか。ペンシルヴェニアとノース・カロライナを比べれば、土地の価値の違いに応じて財政力が異なる。住民の数を基準にして、異なる国の比較と同じように比較すれば、同じく不公平であることが分かるだろう。異なる国では産業と開発の度合いが異なるので、最初の対象を不安定な富の尺度にしてしまう。それは大いに状況に依存する。コネティカット、商業的な邦ではなく、商業的な邦の富に寄与するニュー・ジャージー、そして、ノース・カロライナは通常の比率の規則に基づく割当を決して負担しようしないだろう。そうした邦は義務を遂行しない。そうした例が模倣されれば、連邦自体が破綻する。どこから国家の歳入を得るべきか。通商への課税から、一般の意見では緩やかな税制に適している輸入品への課税から、もしくは物品税からか。これらは平等ではないが、割当のように不公平ではない。ニュー・ジャージー案のその他の致命的な点は、小邦が強く望んでいる平等な議席配分である。人間の本質からしてそれはヴァージニアや大邦にとって同意できないものであり、もし同意することができたとしても末永く遵守されることはないだろう。またそれは公正の理念とあらゆる人間の感情に大きな衝撃を与える。政府内部の悪い原理は、たとえその作用が緩慢であっても、徐々に政府を蝕むことになるだろう。現在、連合会議は平和時に陸海軍を保持する権限を持っているのだろうかという疑念が生じる。ハミルトン氏は拒否権に関心を向けた。パターソン氏の案には何の救済もない。たとえ提案された権限が適切でも、連合会議の組織では、そうした権限が適切かつ効果的に行使されることは決してないだろう。連合会議の代表は諸邦によって選ばれ、召還に従わなければならず、すべての地域的な偏見を代表している。もし権限が実効的であれば、次第に権限は積み重ねられ、遂には専制的支配が打ち立てられるだろう。連邦の権限はどのような形式のものであれ自己保全の傾向を持てばち、諸邦の権限を呑み込むことになる。さもなければ、連邦の権限が諸邦の権限によって呑み込まれることになる。必要な権限を連合会議のような組織に与えることは良い政府のすべての原理に反している。2つの主権は同じ領域内で共存することはできない。連合会議に権限を与えることは、結局、悪い政府か無政府で終わる。したがって、ニュー・ジャージー案はそのようなことをするべきではない。それから何が起きるか。ここでハミルトン氏は困惑した。幅広い人々が支配されていることに落胆した。もしできる限り諸邦政府にかかる費用を減らさなければ、連邦政府の費用は莫大である。もし諸邦政府にかかる費用をなくすことができれば、連邦政府をそれに代えることで大いに費用を節減できる。そのような方策を提案することで公論を驚かせるつもりはない。その一方で、それを否定する必要性は他に何もない。諸邦は通商、歳入、もしくは農業といった大目的には必要ない。しかし、下部組織は必要だろう.地方裁判所や地域の目的に沿った自治体などが必要である。しかし、今、諸邦に付属する幅広い機関によって誰が利益を得るのか。真剣に検討しなければならない唯一の難点は、社会の中枢から隔たった人々 から代表を選ばなければならないことである。どのような誘因を設ければ彼らを満足させることができるのか。第一院のささやかな俸給では、扇動政治家さえ引き付けることがほとんどできないだろう。3ドル程度が上限となるだろう 。同様の理由で上院は政府の公職を求める者達で埋められてしまうのではないかと恐れる。こうした見解からハミルトン氏は、このように広範な共和政府を樹立することは無理なのではないかという絶望に陥った。同時にハミルトン氏は、他のどのような政体であれ、提案するのは愚かであると考えた。ハミルトン氏の個人的な意見では、多くの善良で賢明な者達の意見によって支えてもらうために、イギリス政府が世界で最善であり、それ以外のものがアメリカで機能するか強い疑念を抱いていると断言することに躊躇しない 。ハミルトン氏は異なる意見を持つ紳士達に自分の意見を受け入れるように望み、この問題に関する意見の変更が行われ、それがまだ続いていることを思い出して欲しいと懇願した。連合会議の権限はその設立目的を実現するために十分であるとかつて考えられていた。その間違いは今、誰の目にも明らかである。共和主義を固守する代表達は、民主主義の悪弊を激しく糾弾する場合と同じく声高である。人心の移り変わりによって、「国家の強さと個人の安全を兼ね備えた」世界で唯一の政府であるというイギリス憲法へのネッケル氏 の称賛に私自身と同じく他の者達も加わる日が来ると期待できる。あらゆる社会では産業が奨励され、社会は少数者と多数者に分けられる。したがって、別個の利害が生じる。債務者と債権者などが存在する。すべての権限を多数者に与えれば、多数者は少数者を抑圧するだろう。すべての権限を少数者に与えれば、少数者は多数者を抑圧するだろう。したがって、両者は、他方から互いに自身を守ることができる権限を持たなければならない。こうした抑制がなければ、我々は紙幣や割賦払いを認める法律を制定しなければならなくなる。イギリスは適切な調整を図ることに憲法の本質を置いている。貴族院は最も高貴な機関である。変化によって何かを得ることを望まず、財産に関連する多大な利害を持つことで、国益に忠実な貴族院は、国王や庶民院が画策するあらゆる財政上の変革に対する恒久的な障壁となる。間に合わせの上院ではその目的を実現する堅固な意思を持つことはできないだろう。(メリーランドの)上院は、そうした点に注意を促してきたが、十分に試されたことはない。もし人民が紙幣発行の問題に関する上院への訴えで一致団結していれば、上院は奔流に屈服しなければならなかっただろう。上院がそうした訴えを黙認したことはそれを証明している。紳士諸君は、必要な抑制について意見を違えているが、それは人間の情念に関する評価が異なるからである。紳士諸君は、上院に適切な固い意思を与えるために7年の任期を与えれば十分であると想定したが、民主主義的精神の驚くべき暴力や激動を十分に考慮していない。人民の情念を刺激するような政府の大目的が追求される時、情念は野火のように燃え広がり、抗し難いものになる。ハミルトン氏は、経験がこうした意見を正しいと証明しているか否かニュー・イングランド諸邦の紳士諸君に訴えた。行政首長に関して、共和主義の原理に基づいて良い行政首長を設けることはできないと考えられているようである。そうした疑念を抱く利点を放棄しない。というのは良い行政首長が存在しない良い政府は存在し得るのか。この問題に関してイギリスの政体は唯一の良い政府である。国王の世襲的利害は、国益と強く結び付いているうえに、国王の内帑金が莫大なので、外国に買収される危険はなく、同時に国内における制度の設立目的を実現できるだけ十分に独立して統制されている。共和主義者の弱点の1つは、外国の影響力や買収を受けやすい点である。強い権限を得た小人物は、容易に干渉的な隣国の傀儡になる。スウェーデンが顕著な例である。フランスとイギリスは、先の革命の間、前者の卓越した影響力によってもたらされた党派をそれぞれ抱えていた。これらすべての見解から導き出される推論は何か。共和主義の原理が認める限り、我々は最大限の安定性と恒久性を実現しなければならない。立法府の一院に終身任期、もしくは非行なき間の在職を認めなければならない。ハミルトン氏は、最善の市民が人民の信任を得るために私事を犠牲にして奉職するのに7年の任期で十分だろうかと出席者の感情に訴えた。こうした提案に基づいて、我々は上院にその本質的な目的を実現するための恒久的な意志と重要な利害を持たせなければならない。しかし、それは共和政府なのだろうかという問いがあるかもしれない。もし人民によってすべての行政官が任命され、空席が補充され、選出過程が人民に由来するのであれば、確かに共和政府である。私が設立を提案する行政首長は、実際には必要最小限の権力と独立性しか持たない。7年間の任期で行政首長を任命するというその他の案についてハミルトン氏は、行政首長は最小限の権限を持つべきであると考えた。行政首長は隷属者を生み出すことで野心的になるだろう。行政首長の野心の目的は、権限を長引かせることである。戦時のおいて行政首長は緊急事態にあることを利用して権力の座から降りることを拒んだり避けたりしようとするだろう。終身の行政首長は、自身の誠実さを忘れるような動機を持たないので、より安全な権限の預託者となるだろう。そのような行政首長は選挙君主であり、そのような政体特有の混乱を生むという反対があるかもしれない。君主は無期限の任期を持つ。権限の程度も期間も明記されていない。もしこのような行政長官が終身の君主であれば、全体委員会からの報告 によって提案されたもう一方の行政首長は7年間の君主である。選出されるという条件は両方に適用される。賢明な著述かによって、もし競合者の野心や陰謀によって引き起こされる騒乱に十分な対策が講じられていれば、選挙君主制は最善であると認められている。ハミルトン氏は、騒乱が避けることができない悪弊であるか確かなことは言えないと述べた。選挙君主制のそうした特質は、一般的な原理ではなく特別な事例から生じる。ローマ皇帝の選出は軍隊によって行われた。ポーランドでは、選挙は独立した勢力を持ち、騒擾を引き起こす十分な力を持つ競合する領主達によって行われた。ドイツ帝国 では、陰謀と党争を引き起こす同等の動機と力を持つ選帝侯達や領主達によって指名が行われた。こうした危険な結果から社会を守ることができる選挙方式を我々は考案しているのではないか。こうした見解を述べるにあたって、ハミルトン氏は、検討されている案のどちらよりも望ましい案の概要を全体委員会の前で読み上げたいと述べた。多くの代表達の考えよりも急進的であることを十分に理解している。ではそのような案が議場の外で採択されるのだろうか。逆に人民はその他の案を採択するのだろうかとハミルトン氏は問いかけた。現時点で人民はいずれの案も採択しないだろう。しかし、連邦は解体しかかっているか、既に解体している。人民を民主主義への偏愛で性急に救済しようという悪弊が諸邦で蔓延している。人心に大きな変化が起きて、まだそれが続いている。したがって、人民はいずれ偏見から解放されるだろう。そして、そうなった時はいつでも、ランドルフ氏の案で止まることに満足せず、少なくともそれより先に進もうとするだろう。概要を述べた書面を全体会議への提議として提出するつもりはない。それは私の考えをより正確に示すものに過ぎず、今後の議論の適切な段階においてランドルフ氏の案に提案すべき修正を示すものに過ぎない。以下のような文言の概要 をハミルトンは読み上げた。
 1、アメリカ合衆国の最高立法権は2つの異なる機関に与えられる。一方は下院Assemblyと呼ばれ、もう一方は上院Senateと呼ばれ、ともに合衆国議会を構成して、あらゆる法律を制定する権限を持つが、以下で言及する拒否権に服さなければならない。
 2、下院は人民によって3年間の任期で選出される者達で構成される。
 3、上院は非行なき間の在職で選出される者達で構成される。上院の選出は人民によってその目的のために選ばれた選挙人によって行われる。そのために諸邦は選挙区に分割される。上院議員の死亡、罷免、もしくは辞任の際、空席はその者が選出された選挙区から埋められる。
 4、合衆国の最高行政権は非行なき間、在職する長官Governourに与えられる。選出は、上記の選挙区で人民によって選ばれた選挙人によって行われる。行政府の権限と機能は以下の通りである。可決されたばかりのすべての法案に対して拒否権を持ち、可決されたすべての法律を執行する。戦争が始まるか、認められた場合、戦争を指示する。上院の助言と承認を得てすべての条約を締結する権限を持つ。財務省、戦争省、そして、外務省の長官や主要な官吏を単独で任免する。上院の諾否に従って(外国への大使を含む)その他すべての官吏を指名する。反逆罪を除いてすべての犯罪に恩赦を与える権限を持つ。長官は上院の承認無しで恩赦を与えることはできない。
 5、長官の死亡、辞任、もしくは罷免の際、後任者が任命されるまでその権限は上院議長によって行使される。
 6、上院は、単独で宣戦布告する権限、すべての条約に助言と承認を与える権限、財務省、戦争省、そして、外務省の長官や主要な官吏を除くすべての官吏の使命に諾否を与える権限を持つ。
 7、最高司法権は非行なき間、在職して適切で固定の俸給を受け取る判事達に与えられる。この裁判所の独自の管轄権は、拿捕に関するすべての裁判、連邦政府の歳入、もしくは外国市民が関連するすべての裁判の上訴に及ぶ。
 8、合衆国議会は連邦に関わるすべての問題を裁決するために各邦に裁判所を設置する権限を持つ。
 9、長官、上院議員、そして、合衆国のすべての官吏は、不法行為と収賄行為で弾劾を受ける。有罪が確定された場合、その職から罷免され、信任や利益を得る職に就く資格を失う。すべての弾劾は、非行なき間、在職して固定の俸給を受け取る各邦の最高裁判所判事から構成される。
 10、合衆国の憲法や法律に反する諸邦のすべての法律は完全に無効である。そのような法律が可決されることを防ぐために、各邦の知事は連邦政府によって 任命され、その知事の邦で可決されたばかりの法案に拒否権を行使する。
 11、いかなる邦も陸海軍を保持しない。すべての邦の民兵は合衆国の単独かつ排他的な指示の下に置かれ、その士官は合衆国によって指名されて任命される。
 これらの幾つかの条項について、ハミルトン氏は、冒頭で示した原理に沿って説明を加えた 。