有名作家の収入

 20世紀前半のアメリカを代表する作家の1人にスコット・フィッツジェラルドがいる。アメリカ文学史では必ず登場するフィッツジェラルドだが、どの程度の収入があったのか。Living on $500,000 a Year―What F. Scott Fitzgerald’s tax returns reveal about his life and timesという面白い記事があったので簡単に内容をまとめておく。

 1919年、ベストセラーとなった『楽園のこちら側』が出版される前の年間収入は短編を書いて879ドル。納税を申告しなければならない基準を下回っている。

 1920年、『楽園のこちら側』のおかげで収入が1万7055ドルに激増。前年の20倍近く。4月に出版された『楽園のこちら側』は5万部近く売れた。1920年から1923年の間で印税は1万3,036ドルに上った。

 それ以後、フィッツジェラルドは平均で年間2万4,000ドルを稼いでいる。今のお金に直すと50万ドル程度である。

 晩年、フィッツジェラルドはハリウッドでシナリオを書く。1937年6月から1938年12月まで映画制作会社メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社のために働き、8万5,000ドル、週当たりに約1,100ドルを受け取った。今の価値にすると1日3,000ドルは稼いでいたことになる。

 最も収入があった年は1938年で5万8,783ドルに上った。ちなみに当時のアメリカ大統領の報酬は7万5,000ドルである。

 フィッツジェラルドの生涯収入は44万9,713ドル、今の価値にすると900万ドルになる。ただ収入の大半は短編や映画のシナリオから得られたものであり、代表作の『華麗なるギャッツビー』の印税は生前に限定すると8,397ドルでしかない。全収入の2パーセントにも満たない。

 これだけ稼いでいたフィッツジェラルドであったが、豪奢な暮らし(家賃や召使いの給料などで年間1万ドル以上)に加えて、後には妻の治療費に多額のお金(15ヶ月間のサナトリウムでの治療費だけで1万3,000ドル)を費やしたせいで金策に困っていた。支出が3万6,000ドルに達した年もあるという。

 『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの収入も見てみよう。Melville's Literary Earningsによれば、メルヴィルの生涯収益は8作品が5万953部売れて1万214ドル82セント。一番売れたのは処女作の『タイピー』(1846)。『白鯨』は今では代表作だがあまり売れなかった。1891年に亡くなっているので年平均で220ドル~230ドル程度にしかならない。フィッツジェラルドと時代が違うとはいえ少ない。もちろんこれだけでは暮らしていけないので税関吏をやっていた。