本好きが植民地時代アメリカにタイムスリップするとどうなるか?

 現代日本では書店に行けばいくらでも本が買えるし、図書館に行けばいくらでも本が読める。本好きには嬉しい環境だが、もし植民地時代アメリカにタイムスリップすればどうなるか?
 当時、アメリカ最大の都市であったフィラデルフィアを例に考えてみる。熟練工の家に少年として転生したとしよう。
 まず家の中を見回す。広さは今で言うと2LDKのマンションくらい(50平方メートル程度)の一室。持ち家ではなく借家。家族は両親に子供が5人。7人で住んでいる。市街地で持ち家に住んでいる人は2割程度しかいない。
 家財道具は何があるだろう。ベッドが2台(当然、1人1台ではない)、収納用の櫃とテーブル、それに古ぼけた椅子が2脚。他には調理器具がシチュー鍋、陶器のポット、3本の足が付いた調理鍋、やかん、コーヒー・ポット、焼き串。ナイフ、フォーク、スプーンは一つもない。それに白目の皿が1枚と水差しが6個。
 本はあるのか?探してみると聖書が一冊に年鑑が一冊。年鑑は今で言えば総合娯楽雑誌。詩、滑稽話、格言、性的にきわどい冗談、冒険譚などがふんだんに盛り込まれている。
 そう言えば部屋にはトイレがない。トイレは屋外にあって共用。夜になると真っ暗な中で手探りでトイレに行かなければならない。灯りは?そんなものはない。獣脂蝋燭は蜜蝋に比べて安いとはいえ、いつも使えるほど安いわけではない。暗くなったら寝るに限る。
 ついでにお風呂もないよ。当時のアメリカ人はお風呂に入るのは非常に稀。富裕層でも浴槽を備え付けている家なんて滅多にない。そもそもお風呂に入るという文化がない。
 水はどうしているのか。水道なんか見当たらない。水道がある所もあるそうだが、少なくとも都市部にはまだ大規模な水道はない。井戸から汲む。ただ汚水を窓から通りにそのままぶちまけたり、排水溝にごみを投げ込んだりするので井戸は汚染されていることが多い。
 さて家に本が2冊しかないので他の本を読みたいならどうすればよいか。我が家は貧しいわけではない。本くらい買えるのでは?おやじはそれなりに腕の良い職人で生活レベルは良いほうだ。稼ぎは日当で3シリング6ペンス。1ポンド=20シリング=240ペンス。
 労働者の平均的な賃金は1週間で10シリング。年収は25ポンドから40ポンドくらい。書記官だと年収50ポンド、宝石細工、楽器、望遠鏡、時計、馬車、高級家具なんかを作っている職人は100ポンド以上稼ぐこともあるね。
 書店はある。なにしろフィラデルフィアは人口2万人、アメリカ植民地最大の都会。北アメリカ植民地全体で50軒くらいしか書店はないが、やはりフィラデルフィアは都会だ。21軒もある。ただ書店と一口に言っても本だけではなくいろいろな物を売っている。
 さて肝心の本だがどんな本があるか。ある書店の一年の売り上げは874冊。その内訳は、391冊が教科書、311冊が宗教書、50冊が航海術、36冊が法律、その他、医学、歴史、軍事技術である。実用書ばかり。
 装丁がしっかりした本はすごく高い。3ポンド以上になることも珍しくない。おやじの稼ぎの1ヶ月分。気軽に買える値段じゃない。
 1,000冊も個人で持っていれば文化サロンが開けるよ。大学図書館でも数千冊程度しか蔵書はない。
 もちろん安いものもある。例えば並製なら379冊で100ポンド。作りが雑なら値段はそれだけ安くなる。パンフレットみたいな印刷物が2ペンスから6ペンスくらいで買える。ベストセラーの『コモン・センス』は18ペンス。これなら手が届く。でも長い間、使える本となるとやはり3シリングくらいにはなる。おやじの稼ぎの1日分。これも気軽に買えない。
 書店の他にも本を売り歩く行商人がいる。そういう行商人は居酒屋に売りに来る。本と言ってもやはりパンフレットのような印刷物だが。居酒屋はカルチャー・センターみたいなもので新聞が置いてある。当時は新聞は非常に発行部数が少なく購読料もそれなりに高い。だから居酒屋に読みに行くのが一番。子供でもお酒を飲んでいた時代なので少年が一人で居酒屋に入り浸って新聞を読んでいようと何も言われない。
 もちろん学校には通う。職人も一通りの読み書きができないと困るからだ。教科書は高価だから一人一冊なんてことはない。端を紙の端切れで覆って、ピンセットみたいなページめくりを使って大切に扱う。教科書に書き込みするなんてもってのほか!
 教科書を抜き書きすることはよくある。ただ普段はマイ黒板と石筆を使う。なにせ筆記用具は高いからだ。街の近くに製紙工房があるので紙はそれなりの値段で手に入る。紙は襤褸切れから作るのでけっこう丈夫で長持ちする。
 ただ粉末インクが高い。1シリングから2シリング。おいそれと買ってもらえる値段ではない。そうなると自作するしかないわけでヨウシュヤマゴボウを摘んできて酢や砂糖と混ぜてインクを作る。
 あとは羽ペン。万年筆もあるが滅多にお目に掛からない。羽ペンはとても安く、学校の先生がまとめて1,000本を45シリングで買っていた。1本あたりはすごく安い。
 やはり頼りになるのは図書館か。そう思って図書館を探す。図書館はあるにはある。でも会員制。入会時に40シリング、年間10シリングが必要。おやじの稼ぎだとぽんと出せる額ではない。
 職人の息子がどうしてもたくさん本を読みたいならどうすればよいか。一番手っ取り早いのが印刷工房に徒弟奉公に出ることだ。フィラデルフィアの貧しい職人の家に生まれ、アメリカ随一の文化人になったベンジャミン・フランクリンは印刷工房に徒弟奉公に出ることでのし上がったのだから。自分の印刷工房で暦を作って売りさばいて一儲けして財を成している。