アメリカ歴史旅XI―ベンジャミン・チュー邸(ジャーマンタウン)

前回のアメリカ歴史旅Xに続いてジャーマンタウン。フィラデルフィアからバスで行ける。独立戦争でジャーマンタウンの戦いが起きた場所。

『アメリカ人の物語』から抜粋

 曙光が差し込む。しかし、深い霧のせいでその光は分厚い擦り硝子を通してみるかのようにおぼろげだ。スキップパック道に沿って家々が黒い影の塊のように建ち並んでいる。その中にひときわ大きな影がある。もし今、霧が晴れたならジョージ王朝様式の重厚な石造建築だとわかるだろう。ベンジャミン・チュー邸である。 
 マスグレイヴは、第40連隊の兵士たちを素早くチュー邸に収容する。窓と玄関扉を家具で塞いでしまえば、即席の要塞が完成する。そして、2階と3階の窓に狙撃兵を配置してスキップパック道を進軍する敵に銃撃を浴びせるという寸法である。1階には、敵軍の突入に備えて銃剣を構えた一隊が配置された。マスグレイヴは、大陸軍の接近を静かに待つ。 
 残りの兵士たちは、発砲しながらジャーマンタウンの中に向かって退却する。火を放たれた蕎麦畑から煙が立つ。流れる煙は朝霧と交じり合って兵士たちの視界を奪う。道路のかたわらに放棄されているテントや大砲を見てワシントンは、奇襲の第一段階が成功したと確信する。 
 サリヴァンの部隊は、建物の陰に向かって時々、一斉射撃を行いながら慎重に進軍する。その後に続いていたワシントンは、弾薬が切れてしまうことを恐れてピカリングを派遣して一斉射撃の回数を減らすように注意を促す。 
 ワシントンの命令を伝えた帰り、チュー邸の近くを通りかかったピカリングは、窓から銃撃を受けて遠回りを余儀なくされる。敵の姿を認めたピカリングは、チュー邸にイギリス軍が立て篭もっているとワシントンに伝えた。しばらくして現場に到着したワシントンは士官たちに問い掛ける。 
「諸君、何か意見はないか。このまま街の中に侵入して敵の本隊をすぐに攻撃するか、それとも強力な拠点になっているこの屋敷からまず敵を追い払うかだ」   
 まずウェインが血塗られた剣を掲げて叫ぶ。 
「前進あるのみ。街の中に前進しましょう。わが兵士たちは、敵を追撃しようと意気盛んです。前進してもう一撃を加えましょう」   
 ウェインの叫びに合わせてハミルトンの他、副官たちは口々に言う。 
「前進しましょう」 
 そこにノックスが割って入る。 
「後方に敵軍の強力な要塞を残して進軍することは、あらゆる戦術に反しています。まず邸宅に篭もる敵を片付けてから街の中に進むべきです」   
 ノックスの発言を聞いたリードは、驚きの声を上げる。 
「何とこれを要塞と呼んで好機を逃すのか」 
 黙ってやり取りを聞いていたワシントンは、最終的にノックスの意見を採用する。まず降伏を勧めるために休戦旗を立てて使者を送ることにした。そこでワシントンは使者として赴く者を募る。進み出た1人の若い士官に休戦旗が託される。 

Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸正面

Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸(絵画)

Benjamin Chew House in Germantown
マスケット銃の穴の跡(直径1.8cm程度=十円玉大)

Benjamin Chew House in Germantown
玄関の前の獅子像

Benjamin Chew House in Germantown
玄関の前の獅子像(絵画)

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ラファイエットのベンジャミン・チュー邸訪問

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸外周

『アメリカ人の物語』から抜粋

 士官は休戦旗を高々と掲げつつゆっくりとチュー邸に近付く。使者の意図を悟ったのかチュー邸からの銃撃は鳴りを潜める。士官の目にはしだいに建物が大きく映る。大きな2本の煙突の下に蛇腹軒が見え、幅広く切られた窓の陰からはイギリス兵の目が光っている。扉の前には、白大理石製の2匹の獅子が鎮座している。 
 扉から30歩の距離で士官は立ち止まり、これからそちらに向かうという合図のために休戦旗を振る。そして、士官が再び歩き出そうとした時、命令を発する声が聞こえ、一斉射撃が行われた。後方で成り行きを見守っていた人びとは、まるで糸が切れた操り人形のように士官が崩れ落ちるのを見た。返って来た回答は銃弾であった。休戦旗は血に染まり、地に投げ捨てられた 
 銃弾でなされた答えは、銃弾で返さなければならない。ワシントンは、すぐに攻撃に取り掛かるように命じた。 
 攻撃が開始されたのは午前7時頃である。まず300ヤード(約270メートル)離れた場所に配置された4門の軽砲がチュー邸に対して火を噴く。まだ朝靄が完全に晴れていなかったので狙いは不正確であったが、扉と窓を塞いでいた家具が吹き飛ぶ。全部で20回の砲撃が加えられた。しかし、砲弾は、石造りの堅牢な壁を崩せない。 
 大陸軍の攻撃は何度も撃退される。何しろ攻め口は正面の入り口しかない。周囲に身を隠せる遮蔽物は何もない。邸宅の中から浴びせられる銃撃に絶えずさらされることを覚悟しなければならない。何とか入り口に辿り着いても、その先には鋭く研がれた銃剣が何十本も待ち構えている。 
 膠着状態を打破しようとモーデュイ・デュ・プレッシというフランス人の若者は、ワシントンの副官であるジョン・ローレンスに大胆な計画を持ち掛ける。 
「近くの納屋から藁を集めて扉の前に積み上げて火を放つのはどうか。大砲が効かなくても炎で奴らを追い出せるだろう」 
 この勇敢だが無謀な2人の若者はさっそく、硝煙に紛れてチュー邸に忍び寄る。恐れ知らずのデュ・プレッシは一階の窓の鎧戸を開けると窓枠によじ登って足を掛けた。すると1人のイギリス軍士官がやって来てデュ・プレッシに詰問した。 
「フランス人がそんなところで何をしている」 
 デュ・プレッシは微笑を浮かべ暢気な調子で答えた。 
「ちょっと散歩に来ただけですよ」 
 答えを聞いて戸惑いながらもイギリス軍士官はデュ・プレッシに降伏を要求する。そこへ1人の兵卒が割り込んで即座に発砲する。苦悶の声が漏れる。それはデュ・プレッシの口からではなくイギリス軍士官の口から漏れた声であった。その隙を逃さずデュ・プレッシは身を翻して遁走した。無傷である。怪我をしたのは誤って撃たれたイギリス軍士官であった。 
 その一方でローレンスは、抜き身を掲げながら何とか扉まで辿り着いていた。内部から剣が針山のように突き出される。ローレンスが串刺しにされたと誰もが思った。幸いにもこの青い目が印象的な小柄な副官は跳弾で肩に軽傷を負った他は軍服にいくつか穴を空けられただけで戻って来た。 
 さらに窓の下に走り込んで隠れられれば、銃弾から身を守れるのではないかと考えて1人の士官が挑戦する。しかし、不運なことに地下室と繋がる通気口が開いていた。通気口からイギリス兵が撃った銃弾が飛び出して勇敢な士官の生命を奪う。デュ・プレッシと同じく火を放とうと松明を窓から放り込もうとした兵士もいたが銃剣で口を刺し貫かれて崩れ落ちる。他にも梯子で2階の窓から侵入を試みた者もいたが撃退される。

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
室内に空いた銃弾の穴

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
階段の踊り場の鏡

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ルイ・ヴィトン(独立戦争以後)

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベッド

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベッドの下の構造

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベッドウォーマー

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ベンジャミン・チュー邸内部

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
食卓

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
ガラス張りの本棚

Interior of Benjamin Chew House in Germantown
今も残る血痕

『アメリカ人の物語』から抜粋

 犠牲者は増える一方であった。特に玄関の争奪戦はものすごかった。玄関周辺には、血で染まった無数の手形が後々まで至る所に残っていたという。この時の戦いの様子を1人のイギリス軍士官は次のように記している。 
「[第40連隊の]30人の兵士たちが死傷した。私は75人の大陸軍の死者を確認した。玄関に横たわっている者がいるかと思えば、机の下にも椅子の下にも、そして、窓の下にも死者が横たわっていた。その中には7人の士官も含まれている。部屋は砲弾で穴だらけで血が飛び散っているので、まるで屠殺場のように見える」 
 二階の一室には、血で描かれた女性の顔が今でも残っている。ここで戦ったイギリス兵が描いたものだという。今際の際に死力を振り絞って故郷で待つ恋人の姿を残したのだろうか。壁に見える痕跡は微かであり、その兵士がどのような人生をたどったか示す史料は何も残されていない。

Benjamin Chew House in Germantown
当時から残っている樹木

アメリカ歴史旅XIIに続く。