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アメリカ歴史旅VIIに続いてフィラデルフィア。独立戦争当時、最大の都市であり、大陸会議が置かれた。カーペンターズ・ホールは第1回大陸会議が開催された場所。第一合衆国銀行は、初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンの提唱により設立された。後に特許が切れて廃止されている。第一合衆国銀行はホールのすぐ東側。
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昔のカーペンターズ・ホール |
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昔のカーペンターズ・ホール内部 |
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大陸会議の代表たちによる祈祷 |
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カーペンターズ・ホール裏側 |
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カーペンターズ・ホール正面 |
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カーペンターズ・ホール内部 |
『アメリカ人の物語』から抜粋
このシティ亭から歩いて5分程の距離にカーペンターズ・ホールがある。代表達は、ホールに入って部屋が議場にふさわしいか検分して、口々になかなか良い部屋だからここにしようと言う。反対する者はほとんどいない。
こうしてカーペンターズ・ホールに第1回大陸会議の開催地という輝かしい名誉が与えられた。他にも栄誉を担っている。フランクリンが図書室を設け、アメリカ哲学協会の拠点として使われ、第1合衆国銀行と第2合衆国銀行が入ったのもカーペンターズ・ホールである。
上から見ると60フィート(約18メートル)四方のギリシア十字の形をしている。ドーリア様式で整えられた三角形の切妻壁が瀟洒な煉瓦造りである。2階には3つのパラディオ様式の窓が仕切られ、石材の欄干が付いている。頂塔が上に載っているので教会のようにも見える。静かな広場に面していて環境も良い。
ホールという名前からつい大きな建物を想像するがそれ程でもない。この小さな建物からイギリス帝国への挑戦が本格的に始まったかと思うとおかしみを覚える。それでも1階の大広間は、51人が一堂に会することができる程度の広さはある。
しかし、なぜわざわざカーペンターズ・ホールが選ばれたのか。フィラデルフィアには植民地議会議事堂、つまり、後にインディペンデンス・ホールと呼ばれることになる建物がある。はるかに立派だ。そこを使えばよいのではないか。カーペンターズ・ホールから3分も足を伸ばせば着く。まさかそれだけの距離をまた歩くのが嫌だったわけはなかろう。
実はペンシルヴェニア代表のジョゼフ・ギャロウェーは、植民地議会議事堂を議場として使うように提案していた。しかし、あまりに穏健的だと多くの代表から疑念を持たれていたギャロウェーの提案は否決された。機密情報が漏れてしまうのではないかと恐れたためだ。それにカーペンターズ・ホールは、その名前の通り大工ギルドのために建設され、職人達にとって馴染み深い場所であった。つまり、代表達はできる限り多くの人々の支持を得ようと考えてその場所を選んだ。
カーペンターズ・ホールに1765年の印紙法会議以来、初めて各植民地の有力者が一堂に会する。互いに名前を知っていても実際に顔を合わせるのは初めてという出会いがそこかしこで起きる。この当時、アメリカ人は、徒歩や馬で1日かかる距離くらいであれば気軽に出かけたが、自分の植民地を1度も出ずに一生を終わる者も珍しくなかった。
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第一合衆国銀行(本部はカーペンターズ・ホール) |
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新古典様式の美しいファサード |
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財務長官ハミルトンのオフィス跡地(第一合衆国銀行のすぐ横) |
アメリカ歴史旅IXに続く。