ボストン茶会事件に関連する風刺画

The able doctor, or America swallowing the bitter draught (1774)
1774年、ポール・リヴィアは『ロイヤル・アメリカン・マガジン』に当時の政治状況を風刺する銅版画を掲載している。この『名医、あるいは苦い一杯を飲み込むアメリカ』には様々な意味が含まれている。


アメリカを象徴するインディアンの女性①がイギリス首相のノース卿②に紅茶③を無理やり流し込まれている。ノース卿のポケットには「ボストン港閉鎖法④」が顔をのぞかせている。ボストン港閉鎖法は、ボストン茶会事件の後にイギリス議会が制定した報復法である。アメリカ人はそれを「懲罰諸法」と呼ぶ。

インディアン女性の足元にはボストンからの請願⑤が破られて捨てられている。アメリカ人からの請願が無視されたことを示している。
背景の海にはイギリス艦隊⑥が浮かんでいて「ボストン砲撃」と記されている。

サンドイッチ卿⑦、マンスフィールド卿⑧、ビュート卿⑨(軍法と書かれた剣を持っていてボストンが軍政下に置かれたことを示している)などイギリスの政治家がインディアンの女性を囲んでいる。

そして、ブリタニカ⑩(イギリスを擬人化した女神)があまりの惨状に目を覆っている。

さらに背後ではスペイン⑪とフランス⑫が救いの手を差し伸べるかどうか相談している。

ボストン茶会事件とモホーク族


 ボストン茶会事件で自由の息子たちはモホーク族の装束を身に纏って紅茶を海に投げ込んだ。なぜわざわざモホーク族の装束を身にまとったのか。当局の追及を避けるという意味もあったが、他の意味もあった。
 実はモホーク族がイギリス本国を訪れて大きな話題になったことがあった。イギリスの文人たちの間でモホーク族は理想の「自然人」の象徴として扱われるようになった。そして、モホーク族が書いたという触れ込みで政治風刺を展開した。そうした政治風刺は有名な雑誌に掲載されていたのでアメリカ人も読む機会があった。
 ボストン茶会事件の当事者たちもそうしたモホーク族のイメージを借りて自分たちの政治的不満を表明した。それは自由の息子達が作った歌にはっきりと示されている。

モホーク族よ、斧を手に結集するのだ
そして、ジョージ王に宣告しよう
あんたが飲む外国産のお茶にわれらの税金など払わぬぞ、と。
やつの威嚇はこけおどし。
われらの娘や妻に無理やり
やつの穢らわしい紅茶を飲ませようとは!
だからものども、急ぎ集まれ
グリーンドラゴンでわれらの族長たちと顔合わせだ!
われらのワレン博士も、勇者リヴィアもいる
ものごとなす手と、励ましの言葉で
自由と法を掴み取るぞ。
わが邦の”勇敢”で屈強の守り手たちが
自由のために戦うのを
真のノースエンド魂はけっして見殺しにすまい!
だからものども、急ぎ集まれ
グリーンドラゴンでわれらの族長と顔合わせだ。

アメリカ建国とイロコイ民主制』より引用。『アメリカ建国とイロコイ民主制』は、イロコイ六部族連合が白人の到来よりも先に独自に編み出していた「憲法」や思想がどのように西洋思想やアメリカ建国の理念に影響を及ぼしたのか論述した画期的な本。