ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説20―Yorktown 和訳

原文&和訳のみ解説なし⇒ミュージカル『ハミルトン』Yorktown 和訳


COMPANY:

The battle of Yorktown. Seventeen eighty-one.

「ヨークタウンの戦い、1781年」


解説:1781年秋に起きたヨークタウンの戦いは、アメリカ独立戦争の行く末を決定した戦いである。ジョージ・ワシントン率いる大陸軍は、占領されたニュー・ヨーク・シティを奪還しようと策を練っていたが、あまりに強力なイギリス軍を前にして膠着状態に陥っていた。

そこでワシントンは南部にあるヨークタウンに目を転じた。ヨークタウンには南部の制圧をもくろむ英将コーンウォリス率いるイギリス軍が駐屯していた。ヨークタウンは三方を水面に囲まれた場所にある。海軍で水面を塞ぎ、残る一方の陸地を陸軍で塞げば逃げ道がなくなる。

アメリカ軍とフランス軍は、ニュー・ヨーク・シティに籠もるイギリス軍を欺いて南下し、フランス艦隊の協力を得てヨークタウンを完全包囲する。

包囲戦の結果、コーンウォリス率いる約8,000人のイギリス軍が降伏し、アメリカ独立戦争の終結に大いに影響を与えた。


LAFAYETTE:

Monsieur Hamilton.

「ハミルトン氏」


解説:フランスからアメリカにやって来たラファイエットは、英語を学んでいたが、フランス語が話せるハミルトン相手にはフランス語を使うことがあった。


HAMILTON:

Monsieur Lafayette.

「ラファイエット氏」


LAFAYETTE:

In command where you belong.

「君の持ち場で指揮を執れよ」


HAMILTON:

How you say, no sweat. We're finally on the field. We’ve had quite a run.

「なあに何てことはないさ。我々はきっと戦場に立てるさ。これまでうまくやってきたじゃないか」


LAFAYETTE:

Immigrants:

「外国人/移民である・・・」


解説:ラファイエットは本籍はフランスなのであくまで外国人だが、ハミルトンは移民である。


HAMILTON/LAFAYETTE:

We get the job done.

「我々はうまくやったぞ」


解説:大陸軍の中では多くの外国人が活躍していた。ラファイエットをはじめデュポルタイユ(仏)、コシューシコ(波)、シュトイベン(独)などが有名である。もちろん移民も数多く活躍していた。チャールズ・リー将軍やホレーショ・ゲイツ将軍はイギリス本国出身である。

ただ外国人や移民がまったく差別もなく活躍できたかといえばそうではない。大陸軍総司令官を選出する際に、ジョージ・ワシントンが外国人でも移民でもないことは大いに関係した。外国人や移民を要職に就けると、出身国の利益を図るのではと危惧されたからだ。そうした考えがあったからこそ、後に憲法が定められた時、アメリカ大統領は出生時にアメリカ市民でなければならないと定められた。


HAMILTON:

So what happens if we win?

「もし戦争に勝ったらどうする」


LAFAYETTE:

I go back to France, I bring freedom to my people if I’m given the chance.

「私はフランスに帰国する。もし機会があったら祖国の人々に自由をもたらそう」


解説:独立戦争が終わった後、ラファイエットは帰国している。帰国後、ラファイエットの家には独立宣言の写しが額装されて飾られた。その横には空っぽの額が並べられていた。ある者がその空っぽの額は何かと聞いたところ、ラファイエットは「フランスの権利の宣言」を入れるためだと答えたという。実際、後に勃発したフランス革命でラファイエットは主要人物の一人として深く関わっている。

その当時、フランスにいたジェファソンは、アメリカ独立革命が、フランスの知識層を「専制政治の眠り」から覚醒させたと指摘している。そして、「陽気で無思慮なパリは今や政治の坩堝」となり、「全世界は今や政治的狂乱」に包まれていると述べ、アメリカ独立戦争に参加した士官達、特にラファイエットのような人物がアメリカから新しい思想を持ち帰ってフランスに行き渡らせたと記している。ジェファソン自身も「人権宣言」の起草でラファイエットに協力してフランス革命に足跡を残している。


HAMILTON:

We’ll be with you when you do.

「君がフランスに自由をもたらす時は一緒にやろう」


LAFAYETTE:

Go lead your men.

「兵士達を導け/人々を導け」


HAMILTON:

I'll See you on the other side

「敵陣で会おう/フランスで会おう」


LAFAYETTE:

‘Til we meet again, let’s go!

「再会を約して、さあ行こう」


ENSEMBLE:

I am not throwin’ away my shot! I am not throwin’ away my shot! Hey yo, I’m just like my country, I’m young, Scrappy and hungry And I’m not throwin’ away my shot! I am not throwin’ away my shot!

「私は諦めないぞ。諦めないぞ。私はこの国にふさわしく、若くて喧嘩っぱやくて野心的だ。だから私は諦めないぞ」


HAMILTON:

‘Til the world turns upside down…

「世界がひっくり返るまで」


解説:伝承によれば、ヨークタウンでイギリス軍が降伏する際、『世界はひっくり返った』を演奏していたという。次のような歌詞である。

もしキンポウゲが蜂の周りでぶんぶんすれば、もしボートが陸に教会が海にあれば、もし子馬が人間に乗って草が牛を食べたら、猫が鼠に追いかけ回されて穴に入れば、もしお母さんが赤ん坊を半クラウン[2,500円相当]のためにジプシーに売ってしまえば、もし夏が春で順序が逆ならすべて世界はひっくり返る。


ENSEMBLE:

‘Til the world turns upside down!

「世界がひっくり返るまで」


HAMILTON:

I imagine death so much it feels more like a memory. This is where it gets me: On my feet, The enemy ahead of me. If this is the end of me, at least I have a friend with me. Weapon in my hand, a command, and my men with me. Then I remember my Eliza’s expecting me... Not only that, my Eliza’s expecting, We gotta go, gotta get the job done, Gotta start a new nation, gotta meet my son! Take the bullets out your gun!

「忌まわしい記憶のように私は死を身近に感じている。いったい死はどこで私をつかまえるのか。足元に死が迫っているのか。敵が目前にいる。もしこれが私の人生の終わりだとしても友が一緒にいたわけだ。手には武器に命令書もあるし、兵士達も一緒にいる。イライザも私に期待していることを忘れていない。それだけじゃない。イライザは身籠もっているんだ。我々はきっとやるぞ。新しい国を始めるぞ。息子の顔を見るんだ。銃弾を銃から抜け」


解説:ヨークタウンの戦いが起きた頃、イライザは妊娠5ヶ月であった。2人の最初の子供である。ハミルトンはイライザに手紙でできれば男の子を生んでほしいと言っている。戦場からハミルトンは次のような手紙を送っている。

我々の作戦はすぐに幸運な終わりを迎えるだろう。昨晩、第二並行壕の掘削が始まった。5日もすれば敵は降伏するか、現在の拠点を放棄せざるを得ないだろう。もし彼らが拠点を放棄すれば、我々はさらに10日間、引き留められるかもしれない。それから私は君のもとへ飛んで行こう。君を抱き締めるまで待ちきれない。

ヨークタウンの戦いが終わった後、1782年1月22日に念願の男の子が生まれた。長男のフィリップである。

ハミルトン最大の晴れ舞台である10号堡塁の襲撃については、『アメリカ人の物語』から抜粋。各種の史料から当時の様子を再現している。

ヨークタウンに立て籠もるコーンウォリスを降伏させるためには第二並行濠を完成させなければならない。ただひとつ問題があった。二カ所の堡塁が第二並行壕の完成を阻んでいる。もしこのまま時間が無駄に過ぎれば、イギリス軍の増援部隊が到着するかもしれない。いかなる犠牲を払ってでも堡塁を奪取して包囲網を完成させなければならない。

ロシャンボーは、堡塁に攻撃を仕掛ける前に状況を視察しておくことにした。攻撃を指揮することになった将校と幕僚を伴ってロシャンボーは堡塁のすぐ近くまで歩み寄る。気が短い将校は、すぐに攻撃を開始するべきだと主張する。イギリス軍の砲兵隊が完全に沈黙している今こそ攻撃の好機である。将校が意見を述べ終わるのを待ってロシャンボーは静かに諭す。

「君は間違っているよ。堡塁を綿密に偵察すれば、きっと間違いだと確認できるはずだ」

それからロシャンボーは、味方の砲兵隊に砲撃を中断するように命じて、自分の息子だけを伴って塹壕から出る。親子は慎重に堡塁の反対側に迂回する。

堡塁には、侵入しようとする敵を阻止するために逆茂木が針鼠のように施されている。強行突破を試みれば多くの犠牲が出るだろう。

偵察を終えたロシャンボーは、はらはらしながら待っていた将校に告げる。

「どうやら逆茂木と防柵がまだ無傷で残っている。砲撃をさらに強めてそれらを破壊して、胸壁も吹き飛ばさなければならない。明日になれば機が熟したどうかわかるだろう」

やがて機は熟した。あとは二カ所の堡塁を強襲する手はずを整えるだけだ。きっと包囲戦で最も華々しい戦闘になるだろう。

9号堡塁をフランス軍が、10号堡塁を大陸軍が攻撃することが決定された。決定を聞いたハミルトンは、作戦の指揮を執りたいと親友のラファイエットに要望する。しかし、ラファイエットはそれを拒む。ラファイエットは、戦場で忠実に仕えてくれた自分の副官に指揮を委ねたいと思ったからだ。

そこでハミルトンはワシントンに直訴する。ワシントンはハミルトンの要望を認めて先陣を切る大役を命じる。ハミルトンは狂喜して自分のテントに舞い戻り、「やったぞ」と言って踊り回ったという。戦功を立てるまたとない機会だ。

10月14日夕刻、まずジョン・ローレンス率いる80人の兵士が塹壕から這い出て堡塁の背後に忍び寄る。敵の退路を断つためだ。その後に続いて本隊も配置につく。そして、地面に伏せて合図を待つ。陽動で敵の注意を別の場所に引きつけておいてから作戦が実行されることになっていた。合図は3発の連弾である。

すべての砲門が沈黙して闇夜は静寂に包まれている。兵士たちは息を潜めながら合図を今や遅しと待つ。その中にはマーティンもいた。西の空に木星と金星が輝いている。その方角に合図は上がるはずであった。

その日の合言葉は「ロシャンボー」である。それはまさに今夜にふさわしいと言える。なぜなら「突撃せよ、野郎ども」と早口で言ったように聞こえるからだ。そして、鬨の声は「ニュー・ロンドンを忘れるな」であった。アーノルドのニュー・ロンドン襲撃はすでに伝わっていて、大陸軍の兵士たちを憤慨させていた。

※注記:ベネディクト・アーノルドはアメリカ軍を裏切ってイギリス軍に寝返った将軍。

炎の尾を引く流星のように砲弾が月のない夜空に吸い込まれる。すべてで3発。待ちに待った合図だ。奇襲を成功させるために発砲は厳禁された。使えるのは銃剣だけだ。兵士たちは禁令を守るために銃弾を込めずに走る。

イギリス兵の銃弾が飛来する。一目で全容を見渡せるほどの小さな堡塁だ。せいぜい30フィート(約9m)四方しかない。ただ周りに防柵と十フィート(約3m)の深さの空堀がある。立て籠もっている敵兵の数は約50人。周囲には砲弾によってできた「雄牛が一頭入る」ほどの大きな穴が無数に口を開けている。兵士たちは巧みに穴に身を隠しながら堡塁までの距離をじわじわと縮める。

「堡塁は我々のものだ」という声が上がり、それに「突撃せよ、野郎ども」という言葉が続く。ハミルトンの指揮のもと、兵士たちは防柵を打ち壊して胸壁に殺到する。突破口が狭かったせいでマーティンはなかなか先に進めない。反対側から鬨の声が聞こえる。ローレンス率いる一隊が背後から吶喊したのだ。

別の突破口はないかとマーティンが周りを見渡すと、砲弾で防柵がなぎ払われた場所があった。マーティンはそこをすばやく通り抜ける。すぐ横にいた兵士が銃弾を頭に受けてマーティンの足元に崩れ落ちる。敵兵が空堀に手榴弾を投げ込む。紙薬莢が燃えたかと思うと、凄まじい音とともに手榴弾が炸裂した。何とか胸壁に立ったマーティンは後ろを振り返った。銃火で空堀の底が照らし出される。そこには一人の兵士が倒れていた。

※ジョゼフ・マーティンは数多くの戦いに参加した下士官。独立戦争に関する優れた回想を残したことで有名。

イギリス兵が駆逐され、堡塁が完全に沈黙するまで十分もかからなかった。何人かは堡塁から川岸に降りて街に向かって逃げたようだ。守将はローレンの手で捕えられた。戦死者は9人、負傷者は31人である。1人の軍医が報復として守将を殺そうとしたがハミルトンによって制止された。

ハミルトンとローレンスが奮戦していた十号堡塁から少し離れた九号堡塁でも同時に熾烈な戦いが繰り広げられていた。九号堡塁に立て篭もる守備兵は、イギリス兵とヘッセン傭兵を合わせて120人である。そこへ400人のフランス軍が突撃を敢行する。

兵士たちの先頭に立って進む四人の士官は、前夜に周囲の地形を頭に叩き込んでいた。暗闇の中でも迅速に迷わず行動できるようにするためだ。障害物に足を取られて前進を阻まれたフランス軍であったが、束柴を溝に投げ込んで足場を作る。そして、梯子を架けて次々に胸壁を乗り越えて堡塁の中に侵入する。

30分間の血で血を洗う近接戦の結果、最後に「国王陛下万歳」という歓声が上がって堡塁は陥落した。フランス軍は15人の死者と77人の負傷者を出した。作戦を指揮した士官は、戦場の興奮を「その瞬間は私にとって非常に甘美であり、魂を高め、勇気を奮い立たせる瞬間でした」と記している。

二ヶ所の堡塁に攻撃が加えられる間、ワシントンは間近で戦闘を見守っていた。すぐかたわらに立っていた士官が銃弾を受けて命を落とす。それを見た副官のデイヴィッド・カッブ大佐は注意を促す。

「閣下、ここではあまりに無防備です。少し後退されては如何でしょうか」

「カッブ大佐、もし君が恐れるのであれば、自由に後退してもよろしい」

最後までその場で観戦を続けたワシントンは戦いが終わったのを見届けると、同行の者たちに声を掛けた。

「作戦完了だ。うまくいった」

そして、召使いから手綱を受け取ると、馬に一鞭入れて司令部のテントに戻った。

現在、10号堡塁はヨークタウンの古戦場で復元されている。現地の写真はアメリカ歴史旅XXIII―番外編:十号堡塁を参照のこと。


ENSEMBLE:

What?

「何だって」


HAMILTON:

The bullets out your gun!

「銃弾を銃から抜け」


ENSEMBLE:

What?

「何だって」


HAMILTON:

We move under cover and we move as one Through the night, we have one shot to live another day. We cannot let a stray gunshot give us away. We will fight up close, seize the moment and stay in it. It’s either that or meet the business end of a bayonet. The code word is "Rochambeau," dig me?

「我々は援護の下、一団となって動くんだ。この夜、我々が明日を生きられるチャンスはほとんどないぞ。我々の動きを悟られないように一発も撃ってはならない。我々は白兵戦を挑んでチャンスをつかんで踏ん張るんだ。それとも銃剣の先で片を付けるかだ。合い言葉は『ロシャンボー』だ、わかったな」


解説:「ロシャンボーRochambeau」はフランス軍司令官の名前だが、「突撃せよ、野郎どもRush on Boys」に通じる。


ENSEMBLE:

Rochambeau!

「ロシャンボー/突撃せよ、野郎ども」


HAMILTON:

You have your orders now, go, man, go! And so the American experiment begins With my friends all scattered to the winds Laurens is in South Carolina, redefining brav’ry

「命令だ。進め!進め!アメリカの実験が始まるのだ。友人たちとともにすべてをぶっ散らばそう。サウス・カロライナのローレンスが本物の勇気とはどういうものか教えてくれるだろう」


解説:ローレンスはハミルトンと協力して10号堡塁の攻撃に参加している。「アメリカの実験」とは、アメリカという国家が実験国家であることを示している。つまり、旧世界の旧弊から逃れて新世界に理想の新国家を築くという不断の実験をアメリカは続けているという信念である。


HAMILTON/LAURENS:

We’ll never be free until we end slavery!

「奴隷制度を終わらせるまで我々は決して自由ではない」


解説:ハミルトンとローレンスは奴隷解放を真剣に検討していた。アメリカ独立にあたって、アメリカ人が自らの自由を叫んでいる一方で奴隷を隷属化に置き続けるのは欺瞞ではないかという指摘が当時からあったからである。


HAMILTON:

When we finally drive the British away, Lafayette is there waiting—

「これから我々はイギリス軍をついに追い払うのだ。ラファイエットがあそこで待っている」


解説:ヨークタウンの戦いの前、ラファイエットは一軍を率いて南部を転戦していた。コーンウォリスがヨークタウンに移動した後もワシントンが到着するまでずっと監視していた。


HAMILTON/LAFAYETTE:

In Chesapeake Bay!

「チェサピーク湾で」


解説:ヨークタウンはチェサピーク湾の奥にある。


HAMILTON:

How did we know that this plan would work? We had a spy on the inside. That’s right,

「この作戦がうまくいくかどうやって知ったかだって。内部にスパイを送り込んだよ。うまくいったね」


HAMILTON/COMPANY:

Hercules Mulligan!

「ハーキュリーズ・マリガンのおかげで」


MULLIGAN:

A tailor spyin’ on the British government! I take their measurements, information and then I smuggle it!

「イギリス政府をスパイする仕立て屋。服のサイズを測りながら情報を手に入れてこっそりと・・・」


COMPANY:

Up.

「・・・受け渡す・・・」


MULLIGAN:

To my brother's revolutionary covenant I’m runnin’ with the Sons of Liberty and I am lovin’ it! See, that’s what happens when you up against the ruffians We in the shit now, somebody gotta shovel it! Hercules Mulligan, I need no introduction, When you knock me down I get the fuck back up again!

「私の兄弟の革命の盟友に。自由の息子達と駆け回れば最高さ。ごろつきどもに逆らえばどうなるかわかっているな。いろいろと嗅ぎ回られると面倒なんだ。ハーキュリーズ・マリガンは紹介なんて必要ない。俺はいくらノックダウンされても何度でも立ち直るぜ」


解説:マリガンの兄弟も同じくスパイ活動に協力していて主に情報の受け渡し役をしていた。「自由の息子達」は本国に抵抗する自然発生的な政治結社。さまざまな階層の者を含み、本国支持派に対して暴力行為に及ぶことも珍しくなかった。


COMPANY:

Whoa! Left! Right! Hold! Go! What! What! What!

「左、右、構え。進め。よしよしよし」


HAMILTON:

After a week of fighting, a young man in a red coat stands on a parapet.

「戦いの一週間後、赤い軍服を着た若い男が胸壁に立った」


解説:10号堡塁の奪取は10月14日、降伏の申し出の使者が登場したのは10月17日なので正確には3日後である。「赤い軍服」はイギリス軍のことである。


LAFAYETTE:

We lower our guns as he frantically waves a white handkerchief.

「彼が白いハンカチを一生懸命振るので我々は銃を降ろした」


MULLIGAN:

And just like that, it’s over. We tend to our wounded. We count our dead.

「すぐに終わりを迎えた。我々は負傷兵を看護して死者を数えた」


解説:ヨークタウンの戦いにおける死傷者は以下の通りである。

アメリカ軍:死者20人、負傷者56人

フランス軍:死者52人、負傷者134人

イギリス軍:死者156人、負傷者326人


LAURENS:

Black and white soldiers wonder alike if this really means freedom.

「もしこれが本当に自由を意味するなら白人の兵士も黒人の兵士も不思議に思うはずだ」


解説:独立戦争中、黒人奴隷も戦っていた。自由黒人が軍に参加する場合もあれば、主人に付いて従軍した黒人奴隷もいた。軍中の雑用に従事した者が多かったが、銃を持って戦った者ももちろんいる。ただ独立戦争でアメリカの自由は達成されたものの、奴隷制度は南北戦争後まで存続することになった。

独立戦争と奴隷制度については拙著『アメリカ人の物語』から抜粋する。

戦争終結は、将兵の年金の他にも解決すべき問題をもたらした。今後、奴隷をどう扱うべきか。実は独立戦争中、奴隷制度の是非は触れてはならない問題であった。それは北部と南部の軋轢を生む可能性があったからだ。したがって、イギリスに一致して対抗するために奴隷制度に手を付けないというのが暗黙の了解であった。

それにアメリカの自由と独立のためではなく、奴隷制度の存続のために独立戦争に身を投じた者も少なくない。もしイギリスが勝利すれば奴隷制度が廃止されるかもしれないと多くの奴隷所有者は不安を感じたからだ。たとえアメリカが独立戦争で掲げる大義が崇高であったとしても、それに参加する者がすべて同じく崇高な理念を持っていたとは限らない。

ヴァージニアでは、戦争終結まで軍務に就くことを同意した者に健康な奴隷を与えるという法案が提案された。法案によれば、兵士に与える奴隷を揃えるために、20人以上の奴隷を持つすべての農園主は20人につき1人の奴隷を供出しなければならなかった。その法案について聞かされた時、マディソンは、「黒人奴隷を白人兵士を集める道具にするのはどういうことか」と言ったという。そう言っているマディソン自身も多数の奴隷を所有する一家の一員である。結局、法案は実行されることはなかったが、アメリカの自由を獲得する戦争に参加する報奨が奴隷とはあまりに皮肉なことである。

もちろん建国の父祖たちは、奴隷制度という人間を束縛する最も忌むべき制度を維持したままで普遍的自由を唱えることがいかに矛盾しているか十分に悟っていた。例えば、軍医のジェームズ・サッチャーは次のように記している。

ヴァージニアの大農園の労働力は、残酷にも母国から強制連行され永久に束縛される運命に陥った人びと[奴隷]によって担われている一方で、奴隷主は雄々しくも[アメリカの]自由と人間の自然権のために戦っている。これは人間性の本質に矛盾している。アメリカ人が隷属から解放されるようにもし神が運命づけていれば、アフリカの奴隷が自由の恩恵を受けられるように祈ることで感謝の念を捧げてもよいのではないだろうか。

どのように正当化しようとも、奴隷制度は普遍的自由というアメリカ独立革命の理念に反している。だからと言って奴隷を解放することもアメリカ独立革命の理念に反している。なぜなら独立革命は普遍的自由を唱えるとともに神聖な財産の自由も謳っているからだ。

財産の自由とは、自らの財産を自らの判断で自由に処分する権利である。植民地人がかつてタウンゼンド諸法で課された税に激怒したのは、この財産の自由を侵害されたと考えたからだ。自分たちの意思がまったく反映されずに本国で決定された法によって、税という形で財産を奪われることは植民地人にとって我慢できることではなかった。 

財産の自由は、奴隷制度に深く関わっている。なぜなら奴隷は当時は財産として扱われたからだ。したがって、奴隷を解放すれば奴隷主の財産の自由を侵害することになる。結局、奴隷制度を認めれば普遍的自由を実現できず、かと言って奴隷制度を否認すれば財産の自由を侵害するというジレンマにアメリカ人は陥った。いかなる政治的天才であってもそのジレンマを解決できなかった。

諸邦の脆弱な連帯の上に危うく身を置いているに過ぎない連合会議にとって奴隷制度は開けてはならないパンドラの箱であった。迂闊に開けてしまえば、諸邦の連帯が崩壊しかねなかった。結局、建国の父祖たちは、時間が問題を解決してくれるだろうと淡い期待を抱いて奴隷制度の是非を後の世代に先送りした。それがどういう結果をもたらすことになったかは、はるか後に語ることになる。


WASHINGTON:

Not. Yet

「いやしかし」


解説:ミランダは「もちろんワシントンは数百人の奴隷を所有し、18世紀末に亡くなるまで解放しなかった」と述べている。

建国の父祖たちの中でもワシントンはヴァージニアの奴隷農園主として奴隷解放に関して穏健な立場にあった。ローレンスも南部出身でワシントンと同じ社会階層に属するが、奴隷解放については急進的であった。ワシントンは、急進的な奴隷解放論に疑念を持っていた。なぜなら南北の対立の原因となってアメリカが二分されかねないと心配していたからだ。


HAMILTON:

We negotiate the terms of surrender. I see George Washington smile. We escort their men out of Yorktown. They stagger home single file. Tens of thousands of people flood the streets. There are screams and church bells ringing. And as our fallen foes retreat, I hear the drinking song they’re singing…

「我々は降伏条件について交渉した。ジョージ・ワシントンが微笑むのを見た。我々はイギリス兵がヨークタウンを出るのを見送った。彼らは一列縦隊でぞろぞろ出てきた。数万人が通りに溢れた。叫び声が上がり、教会の鐘が打ち鳴らされた。敗れた敵が去る時、酔いどれの歌が聞こえてきた。彼らが歌っているのは・・・」


ALL MEN:

The world turned upside down.

「世界はひっくり返った」


FULL COMPANY:

The world turned upside down, The world turned upside down, The world turned upside down, Down, Down, down, down.

「世界はひっくり返った。世界はひっくり返った。世界はひっくり返った」


LAFAYETTE:

Freedom for America, freedom for France!

「アメリカに自由を、フランスに自由を」


COMPANY:

Down, down, down.

「ひっくり返った。ひっくり返った。ひっくり返った」


HAMILTON:

Gotta start a new nation, Gotta meet my son.

「さあ新しい国を始めよう。私の息子に会うぞ」


COMPANY:

Down, down, down.

「ひっくり返った。ひっくり返った。ひっくり返った」


MULLIGAN

We won!

「我々は勝ったんだ」


LAFAYETTE:

We won!

「我々は勝ったんだ」


MULLIGAN/LAFAYETTE/LAURENS:

We won!

「我々は勝ったんだ」


MULLIGAN/LAFAYETTE/LAURENS/HAMILTON/WASHINGTON:

We won!

「我々は勝ったんだ」


COMPANY:

The world turned upside down!

「世界はひっくり返った」


解説:当時、世界の超大国であったイギリスを弱小国にすぎなかったアメリカが打ち破ったことは、まさに「世界はひっくり返った」というべき出来事であった。


ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説21―What Comes Next 和訳

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