ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説33―One Last Time 和訳

原文&和訳のみ解説なし⇒ミュージカル『ハミルトン』One Last Time 和訳


Washington's office. Hamilton enters.


HAMILTON:

Mr. President, you asked to see me?

「大統領閣下、お呼びですか」


WASHINGTON:

I know you’re busy.

「君が忙しいのは知っている」


HAMILTON:

What do you need, sir? Sir?

「いったい何がお望みで」


WASHINGTON:

I wanna give you a word of warning.

「君にちょっと注意しておきたい」


HAMILTON:

Sir, I don’t know what you heard, but whatever it is, Jefferson started it.

「あなたが何を聞いたか知りませんが、それが何であれジェファソンが先に言い出したんですよ」


WASHINGTON:

Thomas Jefferson resigned this morning.

「トマス・ジェファソンが今朝、辞任した」


解説:ハミルトンとの対立の結果、ジェファソンが辞任するに至った経緯は以下の通りである。

ワシントンのもとに、ジェファソンとマディソンが陰で大統領を非難しているという匿名の投書が届く。投書に曰く、ジェファソンは、インディアンに関する軍事的な問題を判断できないと表で言いながら、裏では正規軍を増やす案を馬鹿にしている。そして、マディソンもジェファソンの考えを支持している。また投書に曰く、『ナショナル・ガゼット紙』を主宰するフィリップ・フレノーの背後にはジェファソンとマディソンがいる。そして、彼らの目的は大統領と財務長官の仲を裂くことにある。そのような讒言を容易に信じなかったワシントンであったが、それでも一抹の不安を拭い去れなかった。

讒言はあながち嘘とは言えない。南部の議員達は、ハミルトンが導入した金融制度に対抗するという共通意識を持ってマディソンの下に結束している。マディソンの考えでは、ハミルトンは公債の価格を吊り上げることで投機家に追従するばかりか、アメリカに貴族政を導入しようとしている。

1792年2月28日、ジェファソンはハミルトンが管轄する財務省の権限を少しでも剥ぎ取ろうと、郵便事業を財務省から国務省に移管するようにワシントンに求めた。

財務省は既にすべての行政権を飲み込む程の影響力を持っていて、将来の大統領は財務省に頭が上がらなくなるでしょう。

さらにジェファソンの囁きが続く。もしワシントンが大統領を退任すれば自分も国務長官を退任する。その一方でハミルトンには辞任する意思などまったくないようだ。

ジェファソンは、さり気なくハミルトンがいかに野心的な人物であるかをワシントンに伝えたかったのだろう。ワシントンは、ジェファソンの言葉に明確な返事を与えず、また話し合うことを約した。

翌朝、朝食の後で二人は再び話し合う。郵便制度について説明を受けたワシントンはそれを書いてまとめるようにジェファソンに求めた。そして、自らの進退について意見を述べた。それが本題であった。

会話の様子はジェファソンがまとめた『語録』に記録されている。そのおかげで後世の我々は二〇〇年以上も前の会話を窺い知ることができる。

この『語録』であるが、ジェファソンが連邦派を攻撃するために記録しておいた材料から構成されていることに注意しておく必要がある。『語録』の中でハミルトンは「単なる君主主義者であるだけではなく、腐敗に基づく君主主義者」として一貫して悪者にされている。そして、そのハミルトンに籠絡された存在としてワシントンは描かれている。それは完全な曲解であったのだが。

まずワシントンが口火を切る。

昨日、あなたが言ったこと、そして、私が退任するという意思に関して深い懸念を抱いている。多くの動機から私は退任しようと思っている。独立戦争の間、特にその終結時において、一切の公務から退き、今後、いかなる公職にも就かないという決意を私は表明した。そして、その固い決意の下、引退した。しかしながら、既に樹立されていた連合議会が明らかに非効率であったので、人民の幸福のためにより効率的な政府を樹立するように訴えかけるために私の助けが必要だと考えて憲法制定会議への参加を承諾した。同じ動機で私は新政府への参加を承諾して、現在に至っている。もし大統領職を続けることになれば、何か楽しみがなければやっていられない。私は年老いて、健康状態も芳しくなく、記憶力も衰えてきていると強く感じている。自分では気付かないが他の能力も衰えているかもしれない。こうした不安が私を押し潰そうとしている。私の活力が衰える一方で、大統領の責務は困難になる一方であり、静謐と退隠を願う心の声に徐々に抵抗し難くなっている。こうした理由から政府から身を引かざるを得ないと考えている。ただ私の決意が大統領職に悪い影響を与えるか、それとも人心に危険な影響をもたらすのであれば非常に残念に思う。

ここでジェファソンが口を開く。ジェファソンもワシントンと同じく、いやそれ以上に公職に未練がないことを伝えようとした。

公職に就くことを私はまったく望んでいませんでした。すべてを危険に晒す破滅的な戦争という状況、そして、あらゆる市民が身を尽くした奉仕を求める声によって、かつて私はヴァージニア邦知事を引き受けざるを得ませんでした。連合会議から何度も海外に赴任するように求められましたが、それが満足できるものでなければ何度も断りました。そして、2年が過ぎた後、私はヴァージニア邦政府から身を引いて今後、公職に就かないという固い決心を抱いて引退しました。家庭内の不幸[1782年9月6日、ジェファソンの妻マーサは6人目の子供を分娩した後、産後の肥立ちが悪く亡くなった]が起こり、暫くの間、自宅から離れることが慰めになると思い直しました。それで私は2年間に限って外国に赴任することを承諾しました。フランクリンがフランスを去ることになり、私が後任に選ばれました。1、2年だけ在任しようと考えて私は引き受けました。しかし、フランス革命が起きて私は大いに関心を引かれました。私の家族を帰国させる一方で、私自身はすぐにフランスに戻って革命の行く末を任期の終わりまで見届けたいと思いました。しかし、アメリカに戻ってみると、国務長官に任命されたことを知りました。あなたは、私が国務長官職を喜んで引き受けたわけではないことを知っている筈です。フランスにいたほうがもっと活躍できるという私の意思、そして、遠くない日に引退したいという固い決意を犠牲にしました。したがって、マウント・ヴァーノンから送られた手紙から、あなたが間もなく政府から身を引くつもりであると知った私は、正確な時期は決まっていませんが、私自身も心から務めてきた労苦から自分の身を引く時期を決めることを決意しました。しかし、政権の中で他の者[ハミルトン]が退任するとはまったく思っていません。それどころか財務長官は今後、数年間の見通しを持っていることが分かりました。

ワシントンは財務省について自分の考えを語った。ハミルトンに対するジェファソンの疑念を和らげようと考えたのだろう。

財務省はその活動に十分に制限が課せられている。その目標は歳入に関することに限られている。その一方で、確かに財務長官の目は、政府のほとんどすべての活動に向けられているようだ。したがって、財務長官が引退すればさらに注目を浴びるだろう。政府は公共の善を達成するべく発足したが、[人民の]不満の兆候が現れるなど私は予期していなかったし、それが政権にいかに甚大な影響を及ぼすか予測できない。

ジェファソンはハミルトンに対する疑念を打ち明ける。

人民の不満の原因は一つしかありません。それは陸軍省から生じているように見えますが、実際は財務省から溢れ出しています。国中を金貨や銀貨の代わりに紙幣で埋め尽くそうと考えられた制度[合衆国銀行]によって、我が国の市民は商業、製造業、建築業、そして、その他の有益な産業から手を引いて、道徳を忘れて投機という賭博に走っています。それは政府にも毒を投入しています。法案を審議する議員の一部が徒党を組んで特定の法案に賛成票を投じるだけではなく、そうした制度を確立しようと自らの立場を悪用して全力を尽くしています。彼らは我々の首に鎖を巻き付けようとしています。そして、獲物を手中に置くために、人民が思っているのとはまったく違った憲法の解釈を行おうとしています。彼らはこれまで見たことのないような計画を進めようとしているだけではなく、我々が規律ある政府か、それとも無軌道な政府の下で暮らすことになるのか決定しようとしています。

ここまでワシントンは黙って聞いていたが、ジェファソンの言葉を遮って質問した。

あなたが言っている計画とはどのようなものか。

ジェファソンはさらに言葉を続ける。

『製造業に関する報告書』では、特定の製造業を促進するために奨励金を出すことが示されています。それは、合衆国の一般の福祉のために税金を集めるという憲法によって連邦議会に与えられた権限を口実に、連邦議会が一般の福祉のために必要なことであれば何でも管理下に置けると解釈する前例を確立します。そうなれば連邦議会の権限を制限するために憲法で明確に権限が列挙されているのに、その意味がまったく失われてしまうでしょう。『製造業に関する報告書』は、合衆国銀行の是非をめぐる問題以上に深刻な問題をもたらします。したがって、『製造業に関する報告書』を受け入れるか否かという決定は大きな不安を生じます。私はこの計画が否決されるように願っています。上下両院の大多数は計画に反対しています。それに、すべての物事の元凶がどこにあるかが示されるでしょう。憲法が真実に立ち戻ることを私は期待しています。そうなれば多くの不満が取り除かれるはずです。

ワシントンは次々と繰り出されるジェファソンの非難を聞きながら、国務長官と財務長官の間の溝がいかに深いかを思い知って暗澹たる気持ちになる。ワシントンにとって不幸なことは、ワシントン政権の政策に対する批判が主にヴァージニアから寄せられたことである。多くの南部の農園主は、ワシントンが北部と手を組んでハミルトンの金融制度と奴隷制度廃止論を推進しようとしていると思い込んで背を向けてしまった。しかし、だからと言ってワシントンがジェファソンやマディソンの側に完全に付いていたら事態はどうなっていただろうか。北部と南部の亀裂はますます深まっていただろう。

1792年5月5日、ワシントンはマディソンを大統領官邸に招く。退任する意思を示して意見を求める。ワシントンの考えでは、大統領の退任に関して論じるために閣僚にもその意思を伝えなければならない。たとえ結論が自分の心の中で既に決まっていたとしても閣僚の意見を聞くのが礼儀である。しかし、その前にマディソンの忌憚のない意見を聞いておきたいとワシントンは思った。このことはワシントンがマディソンに信頼を寄せていたことを示している。もちろんワシントンは、ジェファソンとマディソンが一致団結して民主共和派を立ち上げたことをこの時はまだ知らなかった。

ジェファソンの時と同じくマディソンの記録のおかげで2人が何を話し合ったのか詳細に知ることができる。まずワシントンが自らの存念を述べる。

以前、私は、4年間の任期が切れる時に引退したいとあなたに伝えた。引退の意思をいつどのような形で公表すればよいのか相談に乗ってもらいたい。あなた以外にこの問題をじっくりと相談できる者はいない。この機会にあなたの考えを忌憚なく教えて欲しい。なぜならもうすぐ議会が休会に入って、私はフィラデルフィアを離れてしまうからだ。引退の意思を伝えたのは、ジェファソン、ハミルトン、ノックス、ランドルフ、そして、あなただけである。ハミルトンとノックスは、きっと私に引退の意思を放棄するように迫るだろう。ジェファソンも同じに違いない。しかし、私は、大統領職に留まることがそれ程、重要なことなのか確信が持てなくなっている。それに意欲の減退が日増しに強くなっている。だから私はできる限り早く引退の決意を固めたい。傲慢だと思われることなく退任する方法を選びたい。もし再選されたのにも拘わらず、退任すれば、多くの人々の好意を無駄にすることになり、倨傲だと見なされるかもしれない。それに人民が私の後継者を選ぶのに十分な時間を持てる時期を見計らう必要がある。私が考えている適切な時期は、議会の次の会期が始まる秋頃である。しかし、それまで待てば議会にいろいろ説明を求められることになるかもしれない。

大統領の求めに応じてマディソンは自らの見解を披露する。

とりあえずあなたが望んだように問題を熟考して、私がフィラデルフィアを去る前にその結果を伝えます。今回、あなたの決定について心配しなければならない点が二つあります。あなたは、引退の決意について意見を述べるように私に求めました。したがって、私が抱いている不安を少しだけ述べてみたいと思います。あなたの決意は人心に驚きと衝撃を与えるでしょう。私が率直な意見を明かさず、あなたの決意に反対しなければ、事を荒立てずに済むでしょう。もしあなたの決意が絶対であれば、私が反対を表明することは望ましいことではないからです。それでも最近の時勢の推移を鑑みれば、すべての者があなたの続投を促すのは当然です。こうした見解の下、上辺だけの意見ではなく、心からの意見を表明することが私の義務です。あなたは退任するべきではありません。引退を願うあなたの思いがいかに切実か私は分かっています。またあなたが引退したがる動機についてもよく理解しています。あなたが大統領の地位に就くべきか否か私に相談した時、本当に悩んでいたことを私はよく覚えています。あなたが大統領職を受諾した動機は、見知らぬ者があれやこれやと疑うような動機によるのではないとよく分かっています。友人達がよく知っているように、人間として、そして、市民として捧げるべき真摯な犠牲によるのだという事実を十分に理解しています。もし政府が今、置かれている状況に問題がなければ、すぐに公的生活に別れを告げたいというあなたの真情が揺るぎないものだと分かっています。しかし、もし何らかの惨事が起きて退任できなくなってしまい、あなたの真情を証明できなくても、友人達がそれを忘れることは決してありません。もし私がさらに長くあなたが大統領職を担うべき理由を思い付かないか、もしくはあなたの動機が純粋であると証明できなければ、私はあなたの決意を覆そうとしません。

マディソンの熱意溢れる言葉を聞いて、ワシントンの口からこれまで抑えてきた思いが堰を切ったように溢れ出る。

政府を成功に導くために自分がどうしても必要だとは私は思えない。それどころか私は政権発足当初から、十分な政治経験を持たず、憲法や法に関する問題に疎いので自分には統治能力が欠けていると思ってきた。そのような問題にもっと知悉している誰かが統治を担うべきだろう。それに私は人生の下り坂に差し掛かっていて、健康も衰え、判断能力も低下しているかもしれない。積み重なる疲労と不快な状況は耐え難くなっている。私が望むことは、現在の地位に留まることよりも、農園に帰って、鋤を握り、パンのために働くことだけである。それが私の本当に願っていることなのだ。政府内部で党派心が新たな困難の種になっていることは明らかである。対立する党派が私を味方に付けようと争うことを私は恐れている。人民の間で不満が広がりつつある。公職者と政策に対する攻撃は私に向けられていないようだが、間接的に私を対象にしているように思われる。それに私が私的生活に戻ることは人民の希望に一致している。私が引退の意思を押し通しても十分に正当化される。

マディソンは弱気のワシントンを窘めるように説得を続ける。

確かにあなたが担わなければならない責務は困難なものです。しかし、すべての場合においてあなたの判断は優れています。もしあなたと同じ立場にある者がいれば、多くの場合で誰よりも優れた判断を下しています。政府の下で激しい議論を引き起こす党派を和解させるためにはあなたの存在が不可欠です。政府の運営で必然的に生じる党派精神についてもちろん私は気付いています。あなたが在任するべきか否かという議論は、世論と政権の行く末がはっきり定まるまでに必ず起きるでしょう。今、存在する党派はまだ政府にとって手強いものではありません。政府に不満を抱いて転覆させようと目論む党派がいるかもしれませんが、もしそうした敵対的な意図を漏らせば協力者を失うことになります。その一方で、共和政に不満を抱く党派が徐々に我々の政体を君主政に近付けようとするかもしれませんが、人民はそうした動きに強く反感を抱くので、そうした党派は長く危険な影響を及ぼすことはできません。穏健で賢明な影響力をあなたが及ぼすことで、さらに4年間の任期が切れる前に、いかなる敵であろうとも対抗できる政府を作れます。人民によって選ばれたあなたの後継者が政府を安全に管理できるという保証はありません。我々の未発達な政府が不安定な状態に置かれているのにも拘わらず、あなたが続投することで実現できるすべての目標を同じように実現できる後継者がいるとは思えません。後継者の人選は限られています。アダムズ、ジェイ、そして、ジェファソンの3人です。ジェファソンは公的生活に強い嫌悪感を抱いていて農園に帰りたがっています。立候補の同意を得られそうにありません。もし同意を取り付けられても、北部の地位的偏見が彼の当選の妨げとなります。アダムズは君主主義的な原理を隠し持っているだけではなく、南部にとって不利となる議席配分法案が上院の票決で均衡した際に決選票を投じて可決させたことで南部から反感を買っています。そうしたことからアダムズは候補として論外です。政治的問題に加えてアダムズの個人的な性格も好ましいものではありません。公人として信頼できません。ジェイの当選も多くの点で不満を招くでしょう。多くの人々は、ジェイがアダムズと君主主義的な原理を共有していると信じています。そして、ジェイは容易に内心を見せようとしないので、アダムズよりも巧妙にそうした原理を広めていると思われています。さらにまた別の人々は、ジェイが彼らの利益を犠牲にしてイギリスの債権者の主張を支持していると見なして嫌悪感を抱いています。特に西部の人々の間では、ジェイが連合会議の外務長官だった時、ミシシッピ川の自由航行権を断念する代わりにスペインから通商上の譲歩を引き出そうとしたことで未だに不信感が消えずに残っています。したがって、あなたの引退は公共の善にとって致命的です。愛国心からさらなる犠牲を捧げるべきです。

ワシントンは、マディソンの説得に首肯せず話題を変えた。そして、暫く歓談した後、マディソンは暇乞いをした。別れ際にワシントンは、告別の辞について考えをまとめて欲しいとマディソンに求めた。マディソンはその求めに応じることを約束したが、心の中では依然としてワシントンが引退の決意を撤回してくれないだろうかと期待していた。

実はマディソンは、ワシントンが耄碌してハミルトンの言いなりになっていると思い込んでいた。しかし、この頃に書かれたワシントンの手紙からすれば、ワシントンの精神能力はまったく衰えていないことが分かる。

5月9日、ワシントンがマウント・ヴァーノンに帰る前夜、マディソンは再び大統領官邸を訪れた。そして、大統領選挙が行われる前に直接人民に訴えかける形式で告別の辞を公表するのが好ましいと述べた。いかなる余計な憶測も生まないようにしなければならない。この他に考慮に値するような形式はない。もし何か告別の辞について思い付けば手紙で知らせるが、依然としてそれが不要になることを望んでいる。

ワシントンは、手紙で告別の辞について相談することに同意した。そして、告別の辞に含めるべき内容を幾つか挙げた。そうすることでワシントンは引退の決意を放棄しないことをマディソンに言外に示した。ワシントンの決意が固いことを悟ったマディソンは、それ以上、何も言えずに大統領官邸を去った。

ワシントンはマディソンがジェファソンと手を組んで新聞で政権批判を展開していることを知っていたのだろうか。ワシントンのもとに届けられたジェファソンとマディソンの「裏切り」を密告する投書を読めば容易に推察できたかもしれない。しかし、ワシントンはそうした手紙がしばしば捏造されることをよく知っていたので、おそらく信じようとしなかっただろう。それにワシントンの性格からすれば、「敵」だと見なした人物に敵意を隠して向き合うような芸当はできなかった。しかし、マディソンがワシントンの相談役を務めながら、実は政権を批判するような記事を匿名で書いていたことは事実である。面従腹背と言われても仕方ないだろう。

ただジェファソンとマディソンは、ワシントンを大統領の座から引きずり降ろそうとまでは考えなかった。せいぜい1792年の大統領選挙でジョン・アダムズの代わりに民主共和派の誰かを副大統領に据えたいと考えたくらいである。それにもしワシントンが大統領の座から退けば、連邦派が結託してハミルトンを大統領の座に押し上げようとするだろう。それはジェファソンとマディソンにとって最も避けたい最悪の事態であった。

ジェファソンとマディソンは、1792年の大統領選挙だけでなく、はるか先の大統領選挙まで見越していた。選挙人や議員配分の算定基準になる国勢調査は10年毎に行われる。次の国勢調査が行われる1800年までに南部と西部の人口が増大して議会選挙のみならず大統領選挙でもより大きな影響力を発揮できるようになるだろう。そうなれば民主共和派の党勢が増大する。

ワシントンは続投するべきか、それとも退任すべきか未だに決断できないでいた。5月20日、ワシントンはマウント・ヴァーノンでマディソンに宛てた手紙を書いた。

あなたが示した見解について私は無頓着であったわけではありません。それどころか私は、大きな不安を抱えながら、私が今、就いている職により長く留まりたいと思えずに、あなたの見解について何度も何度も考えていました。私は、あまり多くはないと思いますが残された日々を安逸と静謐の中で過ごしたいと心から思っています。

そして、ワシントンは、どのような形でいつ退任を公表すればよいか意見を再びマディソンに求め、告別の辞を起草して欲しいと依頼した。

この問題について私自身が決心するにあたって、私の判断は常に困惑を伴うものでした。予め引退を宣言すれば、虚栄心と自惚れが強いように見えるうえに、留任を勧めてもらうための方便であるかのように見えるかもしれません。その一方で、沈黙を守っていれば、留任に同意しているように見えますし、少なくとも問題を不明確にしておくことになり、後でそれを否定しても不誠実に思われるかもしれません。もしあなたが承諾してくれれば、面倒を掛けることになりますが、私はあなたに依頼をせざるを得ません。[連邦議会が]休会に入ったので十分な時間を取れるでしょう。あなたが私の依頼を聞き届けてくれると確信しています。[中略]。告別の辞は、大統領の座に栄誉を与えるような平明で穏健な言葉で綴り、私が最善を尽くして政府の組織化と管理に貢献したことを示すようにして下さい。

マディソンは、ワシントンから告別の辞で提示すべき題目を指示された。ワシントンが政治理念として何を重要に思っていたのか、そして、国民に何を伝えたかったのか文面からひしひしと伝わってくる。

我々はすべて同じ国家、すなわち、我々がこれまで見てきた年代記の中で最も前途と幸運が約束されている偉大であり、豊かであり、有望な国家の子供達です。地域的な問題や小さな問題に関して我々の利害は多様ですが、大きな本質的な問題に関して国家として一つにまとまっています。我が国の広がり、我が国の気候と土壌の多様性、そして、それらがもたらす各州の様々な産物によって、ある地方が他の地方に便宜を供するだけではなく、不可欠な存在になり、我が国全体は、遠くない時期に、世界で最も独立不羈の国家の一つとなるでしょう。我々自身の手によって樹立された政府は、修正が加えられた憲法とともに、叡智、善性、寛容、そして、経験の助けによって、かつて人の手で作られた組織の中でも最も完全に近付いています。それ故、我々の中で唯一の競争は、連邦にあらゆる可能な支持を与えて強固にすることによって、誰がその偉大で望ましい目的を促進して最終的に達成するかという競争であるべきです。公僕と公共政策に対して注意深い目を向けなければなりませんが、それには限界があります。というのは、根拠の無い疑念や強過ぎる警戒は、率直な感情を傷付けて、しばしば善よりも悪を生み出すからです。

こうして表明すべき理念を指示しながらもワシントンは、まず告別の辞が適切であるか否かをマディソンの判断に任せた。そして、いつ発表するべきかもマディソンの判断に委ねられた。マディソンに宛てた手紙を書き上げたワシントンであったが、すぐに送らずに手元に留めていた。何かまだ書き足すことがあるかもしれない。

5月23日、ジェファソンがマウント・ヴァーノンにやって来た。いったい何の目的で立ち寄ったのか。ワシントンに続投を促すためだ。さらに新聞で紹介されている記事を使ってハミルトンに対する不信感を明かした。

ジェファソンによれば、ハミルトンが導入した合衆国銀行、公債、内国税などは共和制をイギリスをモデルにした君主制に変えようとする陰謀の一環である。南部が債務者となり、北部が債権者となることで国家は二つに分裂する。国家の分裂を避けるにはワシントンが大統領職に留まるしかない。選挙で議会から腐敗した議員が追放されれば、人民の不安は鎮まり、二期目が終わる前に退任できるだろう。それまで公共の福祉のために個人の幸福を犠牲にしてでも大統領職に留まるべきである。

ジェファソンを見送った後、ワシントンはマウント・ヴァーノンを出発してフィラデルフィアに向かう。その途中、建設中のワシントンを通った時、偶然、マディソンに出会う。マディソンはフィラデルフィアから自宅に帰るところであった。2人は個人的に話し合う機会を持てなかったが、ワシントンは5日前に書いた手紙をマディソンに手渡した。

それから約1ヶ月後、マディソンは告別の辞の草稿を添えてワシントンに返信を送った。返信には告別の辞に関するマディソンの考えが示されていた。告別の辞を発表すれば、共和主義に関する教訓として役立つだけではなく、どのような思いで大統領が辞任を決意したのか人民に伝えられる。

ではどのように告別の辞を発表するべきか。新聞を通じて直接国民に発表する形式が最も望ましい。大統領は人民の代表だからである。

次に発表の時期をいつにするべきか。退任は、すなわち1792年の大統領選挙に出馬しないという意思を示すことである。選挙人が選出される日程から考えて、少なくとも11月初旬までに告別の辞を周知する必要がある。すぐに全国の新聞に告別の辞が掲載されるとは限らないので、9月中旬に発表すれば十分な余裕を持てるだろう。

こうして告別の辞に関する意見を述べながらもマディソンは最後に次のように書いている。

我が国は、この重大な局面において、あなたを組織の長に戴くという計り知れない利点を失うべきではありません。

こうして告別の辞が起草される一方で、匿名で書かれた政権を批判する記事は以前と変わることなく『ナショナル・ガゼット紙』に掲載され続けた。それを書いていたのはマディソンである。

ワシントンは、「あなたは平明で穏健な言葉で表現したいという私の目的にすぐに気付いてくれたようです」とマディソンに感謝の手紙を送っている。やはりワシントンは、マディソンが『ナショナル・ガゼット紙』に記事を掲載していることをまったく知らなかったようだ。フレノーはご丁寧にも毎日、『ナショナル・ガゼット紙』を大統領官邸まで送り届けていた。その内容についてワシントンがまったく知らなかったということはないだろう。

7月10日、ジェファソンは大統領官邸にワシントンを訪ねる。今回も退任すべきか否か話し合うためだ。最初に話を切り出したのはワシントンである。

続投するか否かという問題の話し合いをこれまで先延ばしにしてきたのは、それを考えるのが苦痛だったからだ。今後、一切の公職に就かないという大陸軍総司令官を退任した時に公表した決意は真摯なものであった。しかし、新政府を前進させるという使命を遂行するように求められ、状況が著しく変化したので私の決意を変えても非難されることはないと思い直した。すべてがうまくいくようにするために2年も掛からないと思っていた。私が任期の途中で退任しても問題ないだろうと思っていた。しかし、大統領になってから2年を終えるまでに、まだなすべきことが残っていると分かった。そして、3年を終える頃には、あと1年しか任期が残っていないのに、いろいろと新たに試すのはよくないと思うようになって、退任を決意した。もし続投を受け入れれば、結局、不安定な国勢を鑑みて三期目も引き受けざるを得なくなる。もちろんそれは自分にとって望ましいことではない。今後、何か危機が起きるかもしれない。もしそうであれば、私は引退したいという願いを抑えなければならない。しかし、以前に示した引退の決意が欺瞞であり、権力の座に未練を持っていると誤解されるのを恐れている。それに、聴力が衰えているうえに、自分が気付いていないだけで、その他の能力も衰えているかもしれない。ある党派に向けられている疑念は杞憂に過ぎない。一部の新聞が批判しているが、私は君主政を信奉するような党派を率いているわけではない。確かに共和政を君主政に変えようと望む者はいるかもしれないが、明らかな陰謀があるとは思えない。大都市の上流階級の中に君主政を望む者がいるかもしれないが、東部諸州の人民の大多数は、南部諸州の人民と同じく共和主義に忠実である。政府への反感を煽り立てるような出版が最近、行われている。私が得た情報によると、ペンシルヴェニア州で物品税に対する政府への反感が煽り立てられているようだ。彼らは連邦に騒乱を起こそうとしている。それはあらゆる災厄の中でも最も恐るべき災厄である。そうした出版物は私を直接攻撃しているようである。というのは、私は何でもかんでも甘言を喜んで受け入れる愚か者だと思われているからだ。彼らは政府を非難しながら、同時に私を非難しているのだ。私の意見に反して様々な政策が実行されていると言われている。つまり、私がハミルトンの傀儡であると批判されている。そうした批判は、ハミルトンを貶めるだけではあく私自身の名声も傷付ける。私の意見に反して様々な政策が実行されているのが事実であれば、彼らは私をそうした事態に注意を払えない程、不注意な人物であるか、それを理解できない程、愚かな人物だと見なしていることになる。確かに私はすべてに同意できない多くの政策に署名してきたが、不適切だと考えられる政策に署名したことは決してない。合衆国銀行の設立に寄せられる不満は多いが、絶対確実な判断基準ができるまで意見の相違は容認されるべきである。そうした不満は首都の外に出ていない。巡行で私はメリーランド州やヴァージニア州の多くの人々と実際に話した。人民は満足して幸福であるように見えた。しかし、十分な情報を人民に与えるべきだろう。もし不満が私が想像するよりも広がっていれば、それは私の続投を望む声が人民の総意ではないということだ。

大統領が腹蔵なく考えを述べたのを聞いたジェファソンは自らも忌憚のない意見を述べる。

人民の二つの大きな不満は、国債が不必要に増やされたこと、そして、それが議会を腐敗させる手段として使われていることです。投機家の利益のために投票する議員が存在することをあなたは認識するべきです。彼らの投票行動を分析すれば、彼らが財務省のあらゆる政策に一致して協力していることが分かります。そうした政策は、一部の少数者によって、そして、彼らの投票によって実行されています。人民の利益に反するような形で議員が立法を行うことが不満の原因です。私利私欲のために公債償還計画に賛成票を投じている議員は少なくありません。そうした計画に関連する法案は僅差で可決されています。したがって、実質的に自分の利益を考える議員が議会を左右していることになります。

ここで言及されている「腐敗」とはあからさまな賄賂を示しているわけではない。各種の手当てや官職を与えることで行政府が議員に不当な影響を与えることを指す。ジェファソンはそうした行政府と立法府の癒着を恐れていた。ただ後にジェファソンは、自ら民主共和党の党首として所属議員に影響を及ぼして政権を運営していくことになる。

ワシントンは、議会が腐敗しているというジェファソンの主張に対して一言も返さなかった。十分に事情を把握できないことについて言及するべきではないと考えたからだ。また大統領が議会を批判するようなことを軽々しく言うべきではない。ただワシントンは、州債引き受けについて自らの信念を語った。

州債は法で明確に定められた公的な債務である。それを州が償還しても連邦が償還しても、国家全体という観点からすれば公債という点では変わらない。またハミルトンが議会の要請で提出した物品税は、国家財政を安定させるという点から考慮すれば最良の方法である。

ジェファソンはその問題についてさらに食い下がった。

私が州債の引き受けに反対しているのは、連邦政府の債務が増えるからであり、支払える額を超えていると考えるからです。それに債務者である諸州は税収をもとにして不足額を債権者に支払えます。人民もそれを受け入れるでしょう。

ジェファソンの考えでは、公債償還計画は公債を支配の手段にしようとする権力壟断の試みに他ならない。たださすがのジェファソンもワシントンに向かってそこまで明言できなかった。ハミルトンが重用されていることに嫉妬しているのではないかと思われるからだ。

連邦政府が州債を引き受けるべきではないというジェファソンの意見に対してワシントンは、州債は国民が一体となって支払うべきであると主張する。ハミルトンを弁護しようとしたわけでない。自らの信念に従って意見を述べただけだ。

ハミルトンの政策に賛同するワシントンを説得できそうにないと悟ったジェファソンは、もうこれ以上、言うべきことはないと思って口を噤む。ジェファソンにもジェファソンなりの信念がある。その信念はどうやらワシントンの信念と道を違えているようだ。それなら我が道を行こう。

ジェファソンから権力壟断の疑いを向けられたハミルトンであったが、ハミルトン自身はどのように考えていたか。ハミルトンは、自分に敵意が向けられていることを既に察知している。ジェファソンがマディソンと協力して自分を破滅させようとしていると思っていた。ジェファソンの言い分だけを紹介するのは不公平である。ここでハミルトンの考えをまとめておこう。

確かにハミルトンにとってイギリスの政体は理想的である。しかし、共和制を貴族制や君主制に変えようとする試みは「狂人の幻想」であると考えていた。それに共和制を一夜にして貴族制や君主制に変えることは不可能である。誰が敢えてそのようなことを試みようとするだろうか。議会の中に腐敗の種を蒔いているという批判に対してハミルトンは、議員の中にも公債を保有する者がいるが、だからと言って彼らが腐敗していると決め付けるのは間違っていると主張する。公債の購入によって利殖を図るのは決して間違った行いではない。それに公債を保有する議員は少数であって、議会全体が腐敗することはあり得ない。

しかし、いかにハミルトンが共和制を擁護する政治理念を持っていようとも、反対者から見れば、それは常に陰鬱で暗澹とした色彩を帯びてしまう。そして、どのように高尚な理想であっても、現実の地上に具体化された場合、常にその姿は歪んで見えてしまう。

ジェファソンとマディソンがワシントンの続投を望んだように、ハミルトンもそれを期待していた。そこでワシントンを説得しようと手紙を送る。

あなたの引退は、現在の危機において我が国にとって非常に有害であるだけではなく、あなた自身の名声を損なうので残念に思われています。その一方で、必要性から考えてあなたの留任は祖国のあらゆる友人の心の中で正しいと認められる筈だという見解で全員が一致しています。誰もが言っていることですが、国政は未だに基礎が定まっていません。よく言われているように、政府の敵は敵意を抱いたままです。[中略]。もしあなたが在任し続ければ、災いは何もなくなるでしょう。もしあなたが辞任すれば、多くの心配事ができるでしょう。あなたが大統領職を受諾した時と同じ動機に基づいて、問題が解決されるまで続投すると決断すべきです。[中略]。嵐が起きている時に前進しなければ、先見の明を欠いているか、意思の固さを欠いていると批判されるかもしれません。公的にも私的にも、そして、愛国心からも慎重な判断からも、あなたが辿るべき道は、祖国の声に従うことです。その声は真摯な声であり、すべての人々の一致した声なのです。[中略]。あなたが静謐と幸福を犠牲にして公共の善に身をさらに捧げるように決意するように私は神に願うとともに心から信じています。あなたの犠牲は1年か2年以上、続くことはないと私は思っています。そして、あなたは再選を辞退することなく、任期が切れる前に引退できるはずだと私は考えています。この度、私が伝えた意見は、本心を言えば、公共の福祉とあなたへの個人的な愛情を真摯に求める願いから生まれました。

ワシントンはこの手紙を受け取った旨を返信しているが、自分の進退の問題には何も触れていない。退任したいというワシントンの決意にすべての状況が否と言っているようであった。国家の行く末を思うワシントンの不安は収まるどころか増す一方だ。

1792年7月25日、ハミルトンとジェファソンの対立は新しい局面に入る。早い段階からハミルトンは、ジェファソンとマディソンの動きを悟っていたが、これまで2人を公的な場で非難することはなかった。ハミルトンが特に警戒したのがジェファソンであった。ハミルトンの目には、ジェファソンが「巨大な野望と暴力的な情熱」を持った人物として映っていた。

ハミルトンは、『ナショナル・ガゼット紙』の執拗な中傷に耐えられなくなった。そして、匿名だが初めてジェファソンを暗に非難する記事を『ガゼット・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ紙』に発表した。記事の一節は、「フレノーに対して[国務省から]支払われた給与は翻訳に対するものか、それとも人民の声が政権に委託した公事を行う者を悪く言おうと企んでいる出版物に対するものか」と問い掛けている。もちろん出版物とは、フレノーが発行している『ナショナル・ガゼット紙』のことである。これはフレノーの背後にいるジェファソンに対する挑戦であった。現役の財務長官が同僚である国務長官を公然と告発した。

ハミルトンは追求の手を緩めない。8月4日、「あるアメリカ人」という筆名の論文が発表される。論文ではジェファソンとマディソンが槍玉に上げられた。

マディソンはフレノーをフィラデルフィアに連れて来た仲介人である。政府に反対する言説を撒き散らす新聞の支援者にジェファソンは名を連ねているが、それは閣僚としてふさわしい行いだろうか。反政府運動に間接的であれ手を染めることは自身の尊厳を損なうことになるのではないか。自らも政府の一員でありながら、議会によって採択され、大統領によって認可された政策に反対することに何も矛盾を感じないのか。

「あるアメリカ人」の正体がハミルトンであることをジェファソンはもちろん気付いていただろう。

事態ここに至ってワシントンは、2人の全面対決を何とか避けようとした。この頃のワシントンには、大陸軍を指揮していた時代のような威風はない。顔色は死人のように青く、その声はくぐもって不明瞭だった。閣僚の不和という苦悩によって、その灰色の目は悲痛を加えてより深い色を湛えているかのようだ。7月29日、ワシントンは政権に対して向けられている非難をハミルトンに伝えた。

ハミルトンは何を伝えられたのか。財務長官が君主制を樹立するという最終目的の下、過大な公債を負うような制度を生み出し、人民の重荷になる税金を課し、投機熱を煽り立て、立法府を腐敗させているという非難がある。

ワシントンは実に21項目にも及ぶ非難をジョージ・メイソンから聞いたと断ったが、実際は5月下旬にジェファソンから送られた手紙をほとんど文字通りに転写しただけであった。南部の不満を鎮めるためにワシントンは早急に返答を書くようにハミルトンに求めた。

ただワシントンは非難を箇条書きで列挙するだけで、自分がそれをどのように思っているかは一言も述べていない。ジェファソンの身元を明かさないのはワシントンの配慮であった。しかし、ハミルトンは、訴えの主がジェファソンであると確信していた。

8月18日、ハミルトンは非難に対して1万4,000語に及ぶ長大な返答を書いて逐一反論した。それはハミルトンが財務長官として達成した業績を振り返る作業でもあった。公債の金利が下がっていることから国家の信用が回復したことは明らかである。公債に投資しているからという理由で議員が腐敗していると指摘するのは論外である。合衆国銀行株を購入した議員もいるが、それは設立後のことであって何ら問題はない。ハミルトンは、判断の過ちを非難されても甘受できるが、公共の善に奉仕するという自分の誠実な意思が疑われれば甘受できないと断言する。

ワシントンは、23日にジェファソンに、26日にハミルトンに手紙を送った。「一方の側の話だけ繰り返し聞いていると、人間の心はそれに徐々に影響される」と言っているように、ワシントンは2人から公平に言い分を聞こうと努めた。ワシントンが2人の送った手紙を見てみよう。まずジェファソンに宛てた手紙である。インディアンの蠢動や諸外国の警戒すべき動きについて触れた後、ワシントンはジェファソンに諄々と諭した。

我々が周りのすべてを武装した敵[インディアン]と狡猾な友人[イギリスとスペイン]に囲まれている一方で、内部における意見の衝突が我々の内蔵を食い破っていることは非常に嘆かわしいことであり、不幸なことです。私にとって両者の中で後者のほうがより深刻であり、より警戒心を抱かせ、より苦痛を与えます。[中略]。政策が決定された後、我々の組織を全面的に信頼する代わりに、物事の有用性をきちんと試さず、ある者がこちらで引っ張る一方で、別の者があちらで引っ張れば、組織はきっとばらばらになってしまうでしょう。そして、かつて人類に示された中で最も素晴らしい幸福と繁栄が永遠に失われてしまいます。したがって、私の真摯な願いと最善の希望は、傷付け合うような疑念と苛立たしい攻撃の代わりに、寛大な容認、相互の忍耐、そして、すべてにわたる妥協的な譲歩を示すことです。そうすれば物事は順調に進みます。そうしなければ、すべての物事が困難になります。政府という車輪の動きが鈍り、我々の敵が勝ち誇り、離反へと天秤が傾けば、我々が樹立した善良な組織は破滅してしまいます。

文中では具体的な名前は挙がっていないが、ハミルトンとジェファソンを念頭に書かれていることは明らかである。「物事の有用性」とはハミルトンが主導した政策を指している。つまり、ジェファソンも政権の一員であるから、一旦、決められた方針には従うべきであるとワシントンは言い含めている。それにハミルトンが主導した政策がいかなる結果を生むかはまだ完全に分かっていない。早急な判断を下すことなく、結果を見たうえで判断を下すようにワシントンはジェファソンに反省を求めた。連邦政府を円滑に運営するという大きな目的のために確執を捨てるように迫った。

ハミルトンとジェファソンの対立は、一見すると、誰の利益を重視すべきかといった問題やどのような人々が政治で主導的な役割を果たすべきかといった問題をめぐる利害対立である。しかし、対立の根本には国家構想の違いが厳然と横たわっている。

ワシントンは、確執が単なる個人的な確執ではなく、実は国家構想をめぐる確執であることを明確に認識していなかった。おそらく両者の個人的な疑心を解けば、問題が解決すると思っていた。

今度はハミルトンに宛てた手紙である。注目して欲しいのは、ジェファソンに宛てた手紙とまったく同じ文句が使われている点である。

互いの政治的意見に対して寛容を示すようにして下さい。そして、幾つかの新聞に[相互の批判が]書き込まれていますが、それを放置すれば、物事を極端に押しやってしまい、組織をばらばらにしてしまいます。傷付け合うような疑念と苛立たしい攻撃の代わりに、寛大な容認、相互の忍耐、そして、すべてにわたる妥協的な譲歩を示して下さい。そうしなければ私は、どのように政府を統制すればよいのか、そして、連邦がどの程度、永らえるか分かりません。[中略]。私の真摯な願いは、壊疽を防ぐためにこれまでに受けたすべての傷に香膏を擦り込むことです。そうしなければ、人民に致命的な結果がもたらされます。

ジェファソンに宛てた手紙に書かれていた内容とほとんど変わらないが、違う点もある。ワシントンは、ハミルトンがこれまで主導してきた政策を覆すつもりはないことを約束している。二つの手紙を比べると、ワシントンの気持ちはハミルトンに少しだけ傾いていたように思える。もちろん公平という立場を容易に崩すことはなかったのだが。

さて手紙を受け取った両者であったが、どのように返答したのか。受け取った手紙の発信日には3日の開きがあるが、両者が返信を書いたのは奇しくも同じ9月9日であった。

まずジェファソンの返信から見てみよう。ジェファソンは、自分よりも閣内の不和を憂慮した者はいないと訴えた。ただ非難の矛先を収める様子はまったくない。ジェファソンによれば、衝突の発端は公債償還計画を通過させるために協力した時まで遡る。珍しいことに感情を剥き出しにして、ジェファソンは激しい言葉を並べ立てている。

私が政府に入った時、議会にまったく干渉せず、その他の省にもできるだけ干渉せずにおこうと決心していました。私の決心の前半の部分[議会への不干渉]から逸脱した最初で唯一の事例は、私が財務長官に騙された事例です。その時、私は、十分に理解できない彼の[公債償還]計画を進める道具にされました。そして、私の政治的生活のすべての過ちの中でも、このことは最も深く後悔することになっています。[中略]。財務長官の計画を挫くために議員達の間で私が陰謀をめぐらせていたとあなたは推測しているかもしれません。それはすべて事実と正反対です。[中略]。彼の制度は、自由に逆行する原理に立脚し、財務省の影響力を立法府に及ぼすことによって、共和政を損なって破壊しようと企むものです。

ジェファソンは、自分が騙されたように、ワシントンも騙されていると伝えようとしていた。ワシントンの「迷妄」を解けないことが苛立たしく思えたに違いない。ただそれはジェファソンの思い違いである。

ワシントンは唯々諾々と他人の意見に流されるような人間ではない。自主的に判断できる。ワシントンに無理強いできる者など誰もいない。

ジェファソンは、ワシントンも被害者に仕立てることでハミルトンだけを悪者にしようとした。国民の深い尊敬と強い信頼を集めているワシントンを表立って批判する勇気はジェファソンにはない。それは政治的自殺に等しい。ハミルトンさえ除外すればきっと政府が「正道」に戻るとジェファソンは考えていた。

ハミルトンが共和政を破壊しようというジェファソンの言葉は事実だろうか。それは不当な讒言としか思えない。ただハミルトンが自ら外国の公使と面談することで国務省の管轄を侵害しているというジェファソンの指摘は一理ある。外国の公使と交渉することは国務長官の仕事である。独断で勝手に面談すれば外国と通謀していると謗られても弁解できない。

さらにジェファソンの話はフレノーに及ぶ。オランダの『ライデン・ガゼット紙』を翻訳してその内容を刊行するようにフレノーに依頼したことは本当だとジェファソンは認めた。

しかし、どのように彼の新聞を構成するか、どのような種類の情報を発信するのか、どのような記事を載せるのかなど私の希望を指示にしたかに関して、神に誓って私は、私自身やその他の者を通じて、直接的であれ間接的であれ、一行も示唆することもなく、どのような影響力も及ぼさなかったと断言できます。

『ナショナル・ガゼット紙』に関与していないというジェファソンの主張の半分は本当だと言えた。なぜならジェファソンは、『ナショナル・ガゼット紙』で政権を攻撃する記事を掲載する仕事をマディソンに任せていたからである。しかし、まったく影響力を及ぼしていないという言葉は欺瞞だろう。ジェファソン自身は完全に否定しているが、後にフレノーはジェファソン自身も記事を書いていたと証言している。それにジェファソンとマディソンの親密な仲を考えると、2人が『ナショナル・ガゼット紙』の記事に関してまったく通じ合っていなかったということはないだろう。

さらにジェファソンは、『ガゼット・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ紙』から激しい非難を浴びたと訴えた。その非難のもとはハミルトンの筆による記事に違いない。退職後に自分は、もし良識と国益に適えば、真実を公表して人々の審判に委ねるつもりだ。ジェファソンの手紙はさらに続く。

私は公職の栄誉と報酬にまったく無関心ですが、我が国民の敬意に大きな価値を感じ、非難の余地がない誠実さと人民の権利と自由に対する心からの献身によって、正しい評価を受けられると分かっています。パンを与えるだけではなく栄誉を与えてくれた国民の自由に対する陰謀をその経歴の初めから企て続けてきた男による名誉棄損で私の退隠が翳らされることはないと思っています。

この文面を読むと、ジェファソンがハミルトンに軽蔑と憎悪の念を抱いていたことが窺い知れる。

今度はハミルトンの返信を見てみよう。まずハミルトンは、もし現在のような対立が緩和されなければ政府の活力が削がれると認めた。そのうえで次のように約束した。

私に関する限り、あなたの政権を円滑に運営できるようにすること、そして、順調に運営できるようにすることが私の最も真摯な願いです。そして、現在、存在する相違を解消して終わらせる見込みが開けていれば、私はそれを歓迎するでしょう。

それからハミルトンは、特定の人物に対して攻撃を加えたことを素直に認めた。特定の人物がジェファソンを指すことは言うまでもない。

現在の職に就くためにニュー・ヨーク市に来た時からジェファソン氏は、私を目の敵にしてきました。最も信頼できる筋から、私が同じような人々からの最も意地の悪い囁きや当て擦りの対象になってきたことを知っています。彼の監督の下で議会の中に私を破滅させようとする徒党が形成されるのを私は見てきました。私が持っている証拠から、『ナショナル・ガゼット紙』が彼によって政治的な目的で創刊されたこと、そして、その最も主要な目的は、私と財務省に関連するすべての政策をできる限り憎悪の対象に仕立てることであったことは明白です。それにも拘わらず、親友に対する説明を除いて、最近まで直接的であれ間接的であれ、決して復讐したことはありませんし、復讐を認めたこともありませんと私は真摯に訴えます。[中略]。政策を故意に覆そうとする徒党が存在することを私はもはや疑っていません。それは結果的に政府の転覆となります。特に財政制度を破綻させることが、この徒党の自認する目標です。その目標を達成するためにあらゆる苦難を耐え忍び、財政制度を人民の憎悪の的にしようとしています。[中略]。物事の推移がやがて私が正しく判断したと証明してくれるでしょう。今後、あなたが閣僚を協調の原理に基づいて再編しようと考えるのであれば、私は職務を続ける限り忠実に従うことを誓います。そして、私は、直接的であれ間接的であれ、反目をもたらすようなことを言ったり行ったりしません。

ただハミルトンは、現在、「引き下がれない状況になっている」ので、新聞でジェファソンに対して攻撃するのを止められないと断っている。閣内再編、つまり、自分が退くか、それともジェファソンが退くかしない限り、矛先を収めるつもりはないということだ。このようにハミルトンが面と向かってワシントンの要請を峻拒したのは、副官を辞任して以来、初めてのことであった。

事実、ハミルトンは「カトゥルス」の筆名で、連邦派が共和政を廃止しようとしているという非難を論駁する記事の連載を開始した。ジェファソンが率いる民主共和派こそ共和制政府の威信を損なうような陰謀を企んでいるというのがハミルトンの主張であった。さらにハミルトンは、秘かに囁かれていた醜聞、つまり、ジェファソンが奴隷との間に隠し子をもうけたのでないかという疑惑にさえ言及した。ハミルトンは自分の名誉だけではなく、国家の将来を守るために論戦を展開していると信じていたが、私的な面への攻撃はいくら何でもやり過ぎだろう。

こうしたハミルトンの攻撃に対してジェファソンは自ら抗弁しなかった。その代わりにマディソンとモンローが協力して「ジェファソン氏の弁護」と題する一連の論説を発表してハミルトンに対抗する。ただそれは実質的にジェファソン自身が語っているのと変わらなかった。6篇の論説の中で5篇をモンローが書いているが、それはジェファソンからの手紙を大幅に引用したものである。論説では、連邦派がお金と軍事力を使って富裕層に都合の良い政府を作ろうとしているという非難が展開された。

10月1日、ジェファソンがマウント・ヴァーノンにやって来た。朝食前、余人を交えず2人だけで話し合う。まずワシントンの言葉から会話は始まる。

あなたが政治から引退するという決意を固めたと手紙で知って残念に思っている。特に私が大統領に在任している間にあなたが退任することは遺憾であるし、国務長官としてあなたに代わるべき適当な人物を探すことは容易ではない。来年3月に退任すべきか否か私はまだ決定を下せないでいる。心の中で私は退任したいと強く願っている。そもそも私は大統領職に伴う格式張った儀礼が好きではない。マウント・ヴァーノンにいるほうが幸せだし、何よりも甥の病状が心配なので今、マウント・ヴァーノンを離れられない。もし幸いにも甥が回復したとしても療養のためにどこか別の場所に行かせることになるだろう。とはいえ私がずっとマウント・ヴァーノンにいる必要はないかもしれない。農園の管理を任せられる適当な人物が他に見つかるかもしれない。もしこれまで私が生命を賭けて守ってきた大義を救うために私の献身が必要であれば、さらなる犠牲を払うことを私は厭わない。したがって、私は続投するか否か決断を保留している。もし引退を表明することになれば、少なくとも選挙が行われる1ヶ月前に表明しなければならないだろう。それとなく誰が大統領にふさわしいか情報を集めるようにトバイアス・リアに頼んだ。リアによれば、私の留任を求める意見が圧倒的で、そうではない者もちょっとした不安を口にするだけで強く留任に反対しているわけではない。しかし、これは北部の世論である。南部では違うだろう。南部の世論についてあなたはどう思うか。

ワシントンの質問にジェファソンが答える。

私が知る限り、南部でもあなたの留任を望む声が強いようです。私自身は、公的生活を追求するよりも私的生活を追求したいと思ってきました。公的生活は私にとって苦痛でしかありません。

それからジェファソンはワシントンに続投を促す。

私は絶えず自宅に目を注いできました。もはや私が自宅に帰ることを止められるものは何もりません。しかし、あなたが政府に留まることは極めて重要です。あなたは全国民の信頼を集められる唯一の人物です。政府は人民の信頼の上に成り立っています。あなたが長く在任すれば、政府の決定に従うという人民の慣習はますます定着する。それに党派を超越すでき、政府を強化できる人物はあなた以外に誰もいません。

ここでワシントンは、ハミルトンとジェファソンの間に存在する相違について言及した。ワシントンによれば、これまでまったく気付かなかったという。ワシントンの言葉は次のように続く。

あなたとハミルトンの対立は、個人的対立ではなく政治的対立なので、私が仲裁者になれば対立を終わらせることができるかもしれない。物事をうまく運ぶようにして行き過ぎを防ぐために、政権内部であなたの意見を抑制して欲しい。

残念ながらジェファソンとハミルトンの対立は個人的対立ではなく、国家構想を賭けた政治的対立であるからこそ解決不可能なのである。ワシントンはそのことを十分に認識していなかったようだ。ここまでワシントンは穏やかな調子で話していたが、急に語気を強めて次のように言った。

共和政を君主政に変えようという陰謀について、そのような考えを持つ注目に値する人物は十指に満たないだろう。

これはジェファソンにとって手痛い言葉であった。なぜなら先述のようにジェファソンはハミルトンが君主制を導入しようとしているとワシントンに警告していたからだ。しかし、ワシントンの断言にもかかわらず、ジェファソンはそれに同意しなかった。

あなたが想像するよりもそのような陰謀を企む者は多くいます。フィラデルフィアを去る前に、あなたの目の前でフィリップ・スカイラーと私が議論するのを見た筈です。スカイラーは、世襲制も選挙と同じく善良な元首を生むという意見を持っていました。たとえ人民が健全であっても、君主政を構想する党派が存在することは間違いありません。ハミルトンはその一員です。憲法は気の抜けた感傷の優柔不断な産物で長続きせず、せいぜい少しでもましになるように改善することしかできないとハミルトンが言っているのを私は聞いたことがあります。憲法制定会議でハミルトンは、合衆国憲法をイギリスの憲法に近付けようと努力していたようです。それに失敗した後、ハミルトンの政策は同じことをしようとしているように見えます。我々がそれに対して警戒心を抱くのは当然です。ハミルトンの政策は議会を腐敗させています。そして、議会には、財務省に頭を垂れて、ハミルトンが支持することを何でも実行しようとする党派がいる。立法府、行政府、司法府の均衡が保たれ、立法府が独立性を維持できれば、私はそのような政府がもたらす結果について何も恐怖を抱いていません。しかし、行政府が立法府を呑み込もうとしているのを見て私は不安を感じざるを得ません。

ワシントンはジェファソンの指摘に直ちに反論した。

公債を保有する人々をすべて公職から追放しない限り、利己心はいかなる政府でも避けられない。

ワシントンは、人間は私利私欲を持つのが当然であって、議員に完全な清廉潔白を求めることはできないと現実的に考えていた。つまり、議員が公債を持っていても責めるべきではない。

それでもジェファソンは負けじと反論した。

あらゆる組織でよくあるように利己心に基づいて一時的に形成される小さな党派と共通の利害で固く結び付いて財務省の命令で意のままに動く恒常的な党派の間には大きな違いがあります。

その一方で、ワシントンは財政制度について言及した。党派の問題よりも国家の信用の確立を優先するべきだと考えたからだ。

意見の相違は確かにある。ある者が財政制度を良い制度だと考える一方で、別の者は悪い制度だと考える。経験によってのみどちらが正しいかが証明されると私は信じている。私自身の見るところ、かつて我々が置かれた状況は破滅的で信用が失われていたが、今は凄まじい勢いで信用はその高みに達している。

今度はジェファソンが国家の信用について自らの信念を述べた。

我々の信用を確立するために必要なのは、効率的で正直な政府であり、忠実に債務を払うことを宣言し、その目的のために課税し、集められた税金を債務の償還に使うことです。

ジェファソンは、大統領の心が完全にハミルトンに傾いていると思い込んで、それ以上、問題を深追いすることを諦めた。これ以降、ジェファソンが自らの存念を余すことなく語ることはなくなった。ジェファソンは、ワシントンについて次のように語っている。

あまりに長い間、際限ない賞賛に慣れてきたせいで、反論はおろか助言ですら、自分から求めた助言でなければ、要らぬお節介だと我慢できなくなっています。もう随分前から、賛成できる政策の時は煽てて、反対の場合は黙り込んで彼の機嫌を取るのが最も共和国のためになると思っています。

10月中旬、フィラデルフィアに戻ったワシントンは、再度、ハミルトンとジェファソン和解させようと試みた。とりあえず互いにできる限り妥協させようというのがワシントンの考えであった。ワシントンは以下のような手紙をジェファソンに送っている。

意見の相違が生じ、あなたともう1人の政府の主要な公職者[ハミルトン]との間に隔たりがあることを私は残念に、非常に残念に思います。そして、私は両者が互いに譲り合って融和に至ることを強く願っています。この種の方策は調和を生み出し、結果的に公論に善をもたらすでしょう。さもなければ、混乱と災厄などを招くことは必至でしょう。人間は同じようには考えません。同じ目的を達成するために異なる手段を採用することがあります。私は、あなた達2人が純粋で善良な意図を持っていると信じています。そして、論議の対象となっている政策が健全かどうか経験で分かるはずだと率直かつ厳粛に述べます。[中略]。なぜあなた達はどちらも互いの意見に寛容でいられない程、自分の意見に固執するのでしょうか。[中略]。私はあなた達2人に心からの敬意を抱いています。そして、あなた達2人がともに歩ける道筋を見付けられることを真摯に願っています。

こうした真摯な願いもジェファソンの胸には届かなかった。ただ晩年になってジェファソンも丸くなったのか、ラファイエットがアメリカを再訪した時に次のように語ったという。ワシントンの関連文書を編纂した歴史家ジャレッド・スパークスがラファイエットから直接聞いた話である。

私が最後にジェファソン氏と会った時[1824年11月4日]、ワシントン将軍のことについて我々はよく話し合いました。そして、ジェファソン氏は彼の人格に対して非常に敬意を払っていました。閣僚だった時に、彼とハミルトンはしばしば意見を衝突させましたと彼は特に言って、さらにワシントン将軍は時には一方の側の意見に賛成して、時にはもう一方の側の意見に賛成しましたが、完全に厳しい公平性を貫いていました。そして、ジェファソン氏は、ワシントンの判断は非常に健全であったので、彼が最初に勧めた意見であろうとなかろうと、よく後になってから彼はワシントンの決定の正しさに納得することがあったと付け加えました。

ただこの時、ジェファソンはワシントンの説得に応じようとしなかった。ワシントンは、両者の頑として妥協しようとしない態度に困惑させられるだけであった。

このまま両者の対立を放置して自分が大統領職を去ればどうなるか。党派対立の激化によって連邦政府は瓦解してしまうだろう。自分が続投するしかない。長い苦悩の後、ワシントンは遂に決意する。国家は引き続き自分の奉仕を必要としていると。そうした決意がいつ固まったかは分からない。少なくともマディソンが告別の辞を発表するように勧めた9月中旬までに決心は固まっていたようだ。なぜなら退任するつもりであれば、マディソンの勧めに従って告別の辞を発表していたはずだからである。

国際情勢は予断を許さない状況だ。諸外国は、ワシントンが大統領職を去れば連邦が解体するのではないかと目論んでいた。ここで大統領の責務を投げ出すことは許されない。しかし、ワシントンは二期目をすべて務めるつもりはなかった。

結局、ジェファソンは1793年7月31日付でワシントンに辞表を提出した。辞任が確定したのは12月31日である。辞任が確定する前にジェファソンが以下のような手紙をアンジェリカに送っているのは興味深い。

私はヴァージニアに帰るでしょう。私はついに新年の始まりをそのように決めることができました。それから私は憎むべき政局から解放され、私の家族、私の農園、そして私の本の中に留まることができます。私の家を建築し、農園を耕し、そして私のために働く者の幸福を見守ります。

またジェファソンは辞任が確定した日にワシントンに別れの挨拶を送っている。

私は今、公職をあなたの手に帰す自由を得ました。その義務を果たすにおいてあなたが善良にも私にはかってくれたすべての便宜に心からの感謝をしてそれを喜んで受けています。それらに私が必要とする意識は大きく、私はいまだにそれらが大きくなっていると思っていますが、私の側で何も主張することなく、私にとって正しいと思えることを追求し、それらの目的が純粋であるように公然としたものではなく名誉なものでもないすべての手段を潔しとしませんでした。私の辞任をあなたの善良さによるものだと私は思っていますし、それを喜んで覚え続けるでしょう。

ジェファソンの辞任が延期された理由は当時の国際情勢である。こうしてジェファソンは表舞台からいったん去った。後年、ジェファソンは、ワシントンとの意見の違いは、「私が彼よりも人民が生まれながらに持つ品位や思慮を信頼した」点にあると述べている。


HAMILTON:

You’re kidding.

「ご冗談を」


WASHINGTON:

I need a favor.

「助けが必要だ」


HAMILTON:

Whatever you say, sir, Jefferson will pay for his behavior.

「何なりと。ジェファソンはきっとつけを払わされるでしょう」


WASHINGTON:

Shh. Talk less.

「もうそのことはいい」


HAMILTON:

I’ll use the press, I’ll write under a pseudonym, you’ll see what I can do to him—

「新聞を使って匿名で記事を書いて、私ができることはわかっていますよね」


WASHINGTON:

I need you to draft an address.

「演説の草稿を起草してもらいたい」


解説:この時、ハミルトンは既に財務長官職を離れていた。告別の辞の起草に関する経緯とその重要性については次のとおりである。

告別の辞は、1893年以来、毎年、ワシントンの誕生日に上院で読み上げられるのが慣例になっている。

トルーマン大統領は『回顧録』で「私が上院議員であった時を通じて、私は毎年、上院議員の1人がワシントンの告別の辞を読むのを聞いた」と書いている。なお1869年に中村正直は合衆国憲法とともに告別の辞を邦訳している。それはいかに告別の辞が重要な文書であるかを示している。またラテン・アメリカ諸国でも告別の辞は革命の理念を示したものとして広く親しまれた。

告別の辞で示された主要な考え方は、孤立主義の原点とも言うべき考え方であり、以後、アメリカの国家百年の大計になった。

なぜ告別の辞は時代を超える文書になったのか。それは個別の事例を排した普遍的な言葉で書かれているからである。普遍的な文体を選ぶことでワシントンは、告別の辞が党派的な性質を帯びないように配慮するだけではなく、後世にまで影響を与えることを望んでいた。

告別の辞はハミルトンが草稿を書いている。

一期目で引退することを考えていたワシントンは1792年5月20日にマディソンに告別の辞の草稿を仕上げるように依頼したことがあった。しかし、マディソンの離反によってワシントンはハミルトンに新たに起草を依頼することになった。ハミルトンは次のようにワシントンに手紙で書いている。

私が最後にフィラデルフィアに滞在した時、あなたが準備していた文書[告別の辞の草稿]に手を加えて欲しいととあなたは私に言いました。それは非常に重要なことなので、修正するのであれ書き改めるのであれ、十分な配慮と時間を使って行うべきで、できる限り早くあなたがどのような内容にしたいのか私に送ってくれるように願います。

ハミルトンの要請に従って、早速、草稿がワシントンから送られた。その草稿にはワシントンの手で「親しい友人達(特にこの草稿に関与した者)の要請」で続投を決意したと書き加えられていた。欄外には注として「マディソン氏」という文字が見える。つまり、ワシントンは、マディソンの説得で続投を決意したと言いたかったのだ。ただワシントンは「マディソン氏」という文字をハミルトンに草稿を送る前に消去している。

その他に草稿に見られる重要な点は、ジェイ条約に関する争いについて意見が述べられている点である。第1に、民主共和派がフランスに肩入れしているせいで他国の利益をアメリカの利益よりも優先しているのではないかという疑念が強まった。第2に、ジェイ条約に対する下院の容喙は、憲法に基づく抑制と均衡の枠組みを破壊するものである。第3に、大統領が君主主義的で親英的であると新聞は批判しているが、そうした批判は公僕に対する人民の信頼を損なうものである。

草稿には、新聞が「失望と事実無視、そして、悪意ある嘘ででっち上げられた激しい非難に溢れている」という辛辣な言葉や「もし我が国が、私の奉仕から何の利益も受けられなかったと言えれば、金銭的な観点から私の幸福も我が国から何の恩恵も受けなかったと言えます」という言葉が含まれていた。

こうした草稿に加えて手紙にはワシントンの要望が添えられていた。

もしあなたが全体を異なった文体に変えてしまうのが最善だと思えば、できる限り完全になるように修正と訂正を加えて(あなたの草稿とともに)私の草稿を返送して下さい。もし冗長であれば削ってもかまいませんし、原文もしくは引用部分で考えを強く主張するのに必要でなければ重複部分を除いてもかまいません。私の願いは、全体を平明な文体にして、人民に率直で自然で素朴な風合いで伝えることです。

そもそもなぜワシントンはマディソンの草稿を残したのだろうか。普通であれば、もはや信頼できない人物の草稿を使わないだろう。しかし、ワシントンは、マディソンを信頼できないからこそ草稿を使おうと考えた。その理由をハミルトンに次のように説明している。

こうした演説[告別の辞]が書かれたという事実だけではなく、政府の中で最も強く反対している人々の中で1人か2人[マディソンとジェファソン]が、実は演説が発表される筈であった時[1792年9月]に今の見解と反するようなことを言っていた事実を知らしめたいからです。

つまり、ワシントンはマディソンやジェファソンといった民主共和派の中心的な人物の要請に従って続投を決意したのにもかかわらず、手を翻して大統領に対する非難を行うのは背信であると言いたかったのだ。

結局、ハミルトンは、受け取った草稿を書き直した原稿と、与えられたテーマに沿って自ら書き下した原稿の二つをワシントンに差し戻して判断を仰ぐ。原稿には、「将来に評判を得るような時間とともに承認されるような発展性を含めました」という言葉が添えられていた。そうしたハミルトンの言葉は肯綮に当たっている。

ハミルトンが新しい原稿を書き起こしたのは、マディソンの原稿に手直しを加えることが難しかったという技術的な問題に加えて、ワシントンが民主共和派の説得によって続投を決意したと示唆することは余計な疑念を生む恐れがあったばかりではなく、新聞に対する批判は大統領の品位を汚す危険があったからである。

新しい草稿を見たワシントンは、「最初の草稿を作った時、(悪罵の対象になっていたので)私自身が思っていることを言い返すのが当然だと考えたのです」と素直に反省している。そして、ハミルトンが書き下した草稿を最終原稿として採用した。ただあまりに草稿が長く、紙面に収まりきらないので短くまとめるようにハミルトンに求めた。ワシントンがハミルトンの草稿に満足したことは次のような言葉から分かる。

[ハミルトンが書いた]もう一つの草稿が非常に良く、実体的な問題についてより幅広く、全体的に威厳が備わっていて、自己中心的なところが少ない。批判に晒されることもなく、識別力のある読者の目にも十分に適うだろう。

告別の辞は、ワシントンだけではなく閣僚も回覧を求められた。大統領から何か不足している点があれば指摘するように命じられた閣僚は、草稿を精査したが、若干の文法や構成に関する点の他に指摘することはなかった。したがって告別の辞は、マディソンの草稿もかなり残っているが、実質的にハミルトンとワシントンの共同作業であったと言える。

ただワシントンとハミルトンがやり取りした草稿を見ると、時に両者の違いが浮き彫りになることもあった。例えば、「我々の制度に内在する真の危険は、現時点の連邦政府の制度が強力過ぎることよりも弱体過ぎることにある」という文言はワシントンの手によって削除されている。これは連邦政府の強化についてワシントンがハミルトンより穏健な姿勢を持っていたことを示している。

告別の辞に関するワシントンとハミルトンの関係についてティモシー・ピカリングは次のように手紙の中で記している。

その画期的な出来事において、ハミルトンの良識が特別な考究とともに文体を彼の性質とその機会にふさわしいものにしました。同時に[ワシントン]将軍は生涯最後の公務に伴う痛みを感じていたでしょう。彼以上に忍耐強い勤勉さを持つ者はいませんでした。そして、彼は草稿が完全に彼自身の見解と感情に適合するように多くの変更を加えたに違いありません。

その一方でマディソンは1823年にジェファソンに宛てて次のように書いている。面白い点はマディソンが自分のほうがハミルトンよりも大きな役割を果たしたと示唆している点である。

いつか将来に互いに違う時期に書かれた二つの草稿とワシントン将軍の文面が興味深い比較の対象になるでしょう。そうした比較によって、最初の[マディソンの]草稿のほうが別の[ハミルトンの]草稿よりも文体や趣意においてより[ワシントンの考えと]一致していることが示されるでしょう。

告別の辞が発表された当時、ハミルトンが草稿を書いたことは秘密になっていた。ハミルトンは、秘密が露見することを恐れて、わざわざ使者を立てて草稿を届けている。

なぜそれ程までに秘密の露見を恐れたのか。

それは大統領が何かを自分の言葉として発表すれば、当然、自分で考えるべきだという建前があったからだ。ハミルトンが起草したことが露見すれば、告別の辞の「ワシントンの遺産」という性質が損なわれてしまう。もちろん世の人は大統領自身がすべて考えているわけではないと思っていただろうが、スピーチライターの存在を認めるような風潮はなかった。正式にスピーチライターが採用されるようになるのは二〇世紀に入ってからである。

以前からワシントンはハミルトンに重要文書の起草を依頼している。もちろんワシントンはハミルトンだけに頼ったわけではない。ハミルトンの他にもジェファソン、マディソン、ランドルフなどがワシントンの文書の起草に協力した。

しかし、マディソンはワシントン政権に背を向けるようになり、ジェファソンも閣僚から去り、そして、ランドルフは敵になった。ワシントンが何を伝えたいかを十分に汲んで、しかも優れた文章力を持っている人物となればハミルトンしか残っていない。現閣僚があまり頼りにならなかったこともあって、ハミルトンは依然としてワシントンの重要な相談役であった。

そうした相談は公的なものではなく、あくまで私的なものであった。したがって、ハミルトンが退職後もワシントンに協力していたということはあまり知られていなかった。ワシントンの名声を保つためにハミルトンは自分が起草したことを口外しなかった。ピカリングによれば、ハミルトンが亡くなってから数年後に告別の辞の草稿が関連文書の中から発見されて初めてハミルトンが起草者であると分かったという。

生前に知っていたのは政府内の要人を除けば妻くらいである。ある日、ニュー・ヨークの街中でハミルトンは告別の辞を印刷したパンフレットを売り歩く1人の退役軍人に出会った。パンフレットを勧められて1部購入したハミルトンは妻に向かって「この男は私に私自身の作品を買わせたとは思いもしなかっただろうね」と冗談めかして言ったという。

ハミルトンが告別の辞を起草したことが確かだとしても、ワシントンはハミルトンの草稿をただ単に採用しただけではない。例えば告別の辞の中でも特に重要な原則である孤立主義に関してワシントンは自分なりの考えを明確に持っていた。それはハミルトンが草稿の作成に取り掛かる前に送られた手紙を見ると分かる。ワシントンの言葉がハミルトンの草稿に反映されていることは確かである。

我々は独立国家であり、我々自身のために行動します。他国との協定を我々は守ってきましたし、(我々にできる限り)喜んで守るつもりです。そして、戦争に巻き込まれたくないが故に、交戦国に対して厳格な中立を貫くことを決定しました。[中略]。条約によって我々に要求されることの他に、天下のいかなる国家の政治にも我々は動かされるつもりはありません。[中略]。(我々が協定に違反していないのにも拘わらず)もし外国が我々に向かって何をすべきか、もしくは何をすべきではないか指図すれば、我々は独立を追求できませんし、今後、それを強く主張することもほとんどできなくなるでしょう。

告別の辞はそれ自体でも重要であるが、このようにハミルトンに加えてマディソンやジェイが関わっていることでその重要性がさらに増している。なぜなら告別の辞が行政府、立法府、司法府を代表する人物によって手を加えられた文書であることを意味するからである。そのような文書はアメリカ史上、他にほとんど例を見ない。

告別の辞は、ワシントンが大統領として行った最後の重要な貢献であった。一部の批判的な見解がどうであれ、ワシントンの辞任の意思の表明は共和政体において意義ある表明である。

かつて独立戦争が終わった後に軍権を奉還することでワシントンは自分が権勢欲を持っていないことを示し、告別の辞によって再びその高潔な姿勢を世界に示した。ワシントンが君主になるのではないかと疑いを持っていた者達は、告別の辞によって完全に沈黙を余儀なくされた。

もし歴代大統領の言葉を聖典に擬えれば、リンカンのゲティスバーグ演説を新約とすれば、ワシントンの告別の辞は旧約である。市民の道徳はどうあるべきか、公共の善をいかに考えるべきかなど今日にも通じる普遍的な問題について告別の辞が論じている点は賞賛に値する。


HAMILTON:

Yes! He resigned. You can finally speak your mind—

「ああ、そうかジェファソンが辞職したからですね。あなたのお考えをやっと話すつもりになりましたか」


WASHINGTON:

No. He’s stepping down so he can run for president.

「いいや。ジェファソンは大統領に立候補するために自ら辞職したんだ」


HAMILTON:

Ha. Good luck defeating you, sir.

「はは。ジェファソンがあなたを破って大統領になろうとしているとは」


WASHINGTON:

I’m stepping down. I’m not running for president.

「私も退任するつもりだ。私は大統領に立候補しないつもりだ」


HAMILTON:

I’m sorry, what?

「何とおっしゃいましたか」


WASHINGTON:

One last time. Relax, have a drink with me One last time. Let’s take a break tonight And then we’ll teach them how to say goodbye, to say goodbye. You and I.

「これで最後だ。最後に私と一緒に一杯やりたまえ。今夜は休め。それからどのように別れを告げるか人民に伝えるのだ。君と私で」


HAMILTON:

No, sir, why?

「それはいったい・・・」


WASHINGTON:

I wanna talk about neutrality.

「中立について話したい」


HAMILTON:

Sir, with Britain and France on the verge of war, is this the best time—

「お言葉ですが、イギリスとフランスは戦争の瀬戸際にあって、好機は・・・」


WASHINGTON:

I want to warn against partisan fighting.

「党派争いについて警告したい」


HAMILTON:

But—

「しかし・・・」


WASHINGTON:

Pick up a pen, start writing. I wanna talk about what I have learned. The hard-won wisdom I have earned.

「ペンを執って書き始めよ。私が学んだことを話したい。私は得難い知恵を得た」


HAMILTON:

As far as the people are concerned You have to serve, you could continue to serve—

「人民が望む限りあなたは大統領を続けるべきです。あなたは大統領続け・・・」


WASHINGTON:

No! One last time The people will hear from me One last time And if we get this right We’re gonna teach ‘em how to say goodbye, You and I—

「いいや、これで最後だ。人民はもうこれで最後だと私から聞くことになるだろう。そして、もし我々がこの機会を正しく活かそうとするなら我々は人民にどのように別れを告げるか伝えなければならない。君と私で」


HAMILTON:

Mr. President, they will say you’re weak.

「大統領閣下、人民はあなたが弱いときっと言いますよ」


WASHINGTON:

No, they will see we’re strong.

「いいや、人民は我々が強いと思っているはずだ」


HAMILTON:

Your position is so unique.

「あなたの地位は特別なのです」


WASHINGTON:

So I’ll use it to move them along.

「私はその地位を使って人民を導きたい」


HAMILTON:

Why do you have to say goodbye?

「どうして別れを告げなければならないんですか」


WASHINGTON:

If I say goodbye, the nation learns to move on. It outlives me when I’m gone. Like the scripture says: “Everyone shall sit under their own vine and fig tree And no one shall make them afraid.” They’ll be safe in the nation we’ve made. I wanna sit under my own vine and fig tree A moment alone in the shade. At home in this nation we’ve made. One last time.

「もし私が別れを告げれば、国民は自らの力で進まなければならないと学ぶだろう。私が死んだ後も国民は残る。聖書曰く『皆、その葡萄と無花果の木陰に座して、これを恐れしむる者なかるべし』。我々が作った国で人民は安全に暮らすだろう。私は私のぶどうの木といちじくの木の下に座ってただしばらく木陰で休んでいたい。我々が作ったこの国で。これで最後だ」


解説:「葡萄と無花果の木陰」という隠喩は聖書の言葉である。それはソロモン王が王座を受け継いだ時の平和に関連して言及されている。旧約聖書の列王紀に「ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルはダンよりベエルシバに至まで安らかに各々その葡萄と無花果の木陰に住めり」という文句がある。

「葡萄と無花果の木陰」という表現は他にも聖書の随所に登場する。まず旧約聖書の詩篇である。ダビデ王が、モーセがその民を率いてエジプトを出た時、神がエジプト人に与えた罰を回想している時に使われている。すなわち、「神は彼らの葡萄と無花果を打ち、その境のもろもろの木々を折り砕きたもうた」とある。預言者達が同様の表現を使っている。ミカ書に「皆、その葡萄と無花果の木陰に座して、これを恐れしむる者なかるべし」とある。またゼカリヤ書に「その日には汝ら各々互いに相招いて葡萄と無花果の木陰にあらん」とある。

ワシントン自身も「葡萄と無花果の木陰」という表現を何度も使っている。大陸軍総司令官を退任した後、ワシントンは次のような手紙をラファイエットに送っている。

私はポトマック川の畔の市民になります。私の葡萄と私の無花果の木陰で軍営の喧騒と公的生活の忙しさから解放されます。名声を追い求めてきた兵士、まるでこの地球が我々すべてには不十分であるかのように、他国の破滅を促進する一方で自国の幸福を増進する企みを考えることで油断のない日々と眠れない夜を過ごす政治家、そして、君主から優雅な微笑みを得ようとしてその顔色を常に窺わなければならない廷臣が思いも寄らないような静謐の楽しみで自らを慰めます。

2ヶ月後、ラファイエットの妻に宛ててワシントンは同じように語っている。

武器の鳴り響く音と軍営の喧騒から、そして公的な従事と職責から解放されて、私は家庭内の安逸を、農夫と石工といった働き手がいる小さな集落の私の葡萄と私の無花果の木陰で今、楽しんでいます。私の父祖達の陰鬱な墓場に葬られる時まで私は人生の流れを緩やかに下ることでしょう。

大統領退任後、マウント・ヴァーノンに落ち着いたワシントンは、アダムズ政権でも引き続き財務長官を務めるオリヴァー・ウルコットに宛てて次のような手紙を書いている。

政治という大通りから私的生活という脇道に逸れてしまったので、この種の問題を考えることが義務である者に任せておくつもりですし、あらゆる善良な市民がそうすべきで、支配者の定めることが何であれ従うべきでしょう。毎年毎年、少しばかりの小麦粉を作って売り、急速に腐朽しつつある家を修繕して、公的な私の文書を保存するための小屋を作り、そして、農業と田園の逸楽にこの身を置くことで、この地上に留まる残り僅かな私の年月は満たされるでしょう。もし私が大切に思う友人達に時々、会えれば、よりいっそう私の逸楽に興を添えます。しかし、もしそうなっても、それは私の葡萄と無花果の木陰でのことです。ここから20マイル[約32キロメートル]離れた場所に行くとは思えないからです。


HAMILTON:

One last time.

「これで最後」


Washington hands Hamilton the pen.


He starts writing Washington's Farewell Address.


HAMILTON:

Though, in reviewing the incidents of my administration, I am unconscious of intentional error,  I am nevertheless too sensible of my defects not to think it probable that I may have committed many errors. I shall also carry with me

「わが政権の出来事を振り返ると、私は意図的に過ちを犯したわけではありませんが、多くの過ちを犯したかもしれないとまったく考えないほど自分の欠点に鈍感なわけではありません。私はそのことを銘記しています」


解説:ハミルトンは告別の辞を読み上げている。告別の辞の中で最も重要なのは以下の孤立主義について述べた部分である。

諸外国に対する我々の行動の一般原則は、通商関係を拡大することにあり、できるだけ諸外国と政治的な繋がりを持たないようにすることにあります。我々が既に結んでしまった取り決めに限っては、完全なる信義で以って履行するべきでしょう。これでとどめておけばよいでしょう。ヨーロッパは優先的な利害関係を持っていますが、我々にとってはまったく利害のないことであるか、まったく疎遠な関係です。そのためヨーロッパは度重なる紛争に巻き込まれていますが、その原因というのはまったくの他所事です。それだからこそ、うわべだけの繋がりで、ありきたりなヨーロッパの政治変動、友好や敵意による連帯や連合に我々が関わり合いを持つのは賢明ではありません。我々が孤立し離れた場所にいることで、我々は異なった方向に向かうことができます。もし我々が有能な政府の下で一つの国民としてあり続けるのであれば、我々が外部の厄介事から被る物質的損害をもろともしなくなる時は遠くありません。いかなる時でも完全に尊敬されるように決意し、中立をもたらすような態度をとる時は遠くないでしょう。好戦的な国々が、我々を捕捉できないのに、軽率にも我々を挑発しようとしなくなる時は遠くありません。我々が正義に導かれ、我々の利害を諮ったうえで平和か戦争を選ぶ時は遠くないでしょう。どうしてこの特別な場所にいる利点を捨てようとするのでしょうか。どうして我々自身の立場を捨てて、外国の立場に立とうとするのでしょうか。どうして我々の運命をヨーロッパの運命と織り交ぜることによって、我々の平和と繁栄を、ヨーロッパの野心や競争、利害、移り気、気紛れに絡ませなければならないのでしょうか。いかなる外界とも恒久的な同盟関係を避けるのが我々の真の政策です。


HAMILTON, WASHINGTON:

The hope

「希望・・・」


HAMILTON:

that my country will

「我が国が・・・」


HAMILTON, WASHINGTON:

View them with indulgence

「私の欠点を大目に見ること・・・」


HAMILTON:

And that

「そして・・・」


HAMILTON, WASHINGTON:

After forty-five years of my life dedicated to its service with an upright zeal,

「我が人生の45年間は真正なる熱情をもって国家に捧げられ・・・」


HAMILTON:

the faults of incompetent abilities will be

「能力不足による欠点は・・・」


HAMILTON, WASHINGTON:

Consigned oblivion, as I myself must soon be to the mansions of rest I anticipate with pleasing expectation that retreat in which I promise myself to realize the sweet enjoyment of partaking, in the midst of my fellow-citizens, the benign influence of good laws Under a free government, the ever-favorite object of my heart,  and the happy reward, as I trust of our mutual cares, labors, and dangers.

「忘却に委ねられ、私自身もすぐに大勢の中の1人になります。我が同胞市民の中で、私が心の中でずっと大切にしてきた自由な政府の下での恵み深い善良なる法律と私が信じてきた互いのいたわりと労苦、そして、危険の幸福な報酬を分かち合うという甘美な楽しみを実現できることが約束された引退を私は心から待ち望んでいます」


WASHINGTON:

One last time.

「これで最後だ」


WOMEN:

George Washington’s going home!

「ジョージ・ワシントンは家に帰る」


HAMILTON:

Teach ‘em how to say goodbye.

「人民にどのように別れを告げるのか伝えよう」


COMPANY:

George Washington’s Going home 

「ジョージ・ワシントンは家に帰る」


WASHINGTON:

You and I

「君と私で」


COMPANY:

George Washington’s going home

「ジョージ・ワシントンは家に帰る」


WASHINGTON:

Going home

「家に帰る」


COMPANY:

George Washington’s going home

「ジョージ・ワシントンは家に帰る」


WASHINGTON:

History has its eyes on you.

「歴史は君を見ている」


COMPANY:

George Washington’s going home

「ジョージ・ワシントンは家に帰る」


WASHINGTON:

We're gonna teach 'Em how to say Goodbye!

「我々は人民にどのように別れを告げるのか伝えたい」


COMPANY:

Teach 'em How to say Goodbye!

「人民にどのように別れを告げるか伝えよう」


WASHINGTON:

Teach 'em How to say Goodbye

「人民にどのように別れを告げるか伝えよう」


COMPANY:

Teach 'em how!

「人民にどのように・・・」


WASHINGTON:

To say goodbye!

「別れを告げるか伝えよう」


COMPANY:

Say goodbye!

「別れを告げよう」


WASHINGTON:

Say goodbye!

「別れを告げよう」


COMPANY:

Say goodbye!

「別れを告げよう」


WASHINGTON:

One last time!

「これで最後だ」


COMPANY:

One last time!

「これで最後だ」


ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説34―I Know Him 和訳

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