原文&和訳のみ解説なし⇒ミュージカル『ハミルトン』Tomorrow There'll be More of Us 和訳
解説:ミランダは「これは我々のキャスト・アルバムに含まれていない唯一のシーンである。その正確な理由は次の通りである。歌以上に多くのものを伝えたいシーンである。ショーを見る人々に驚きをとっておきたかった。そして、これを読んでいるあなたにも」と述べている。
LAURENS:
I may not live to see our glory.
「私は生きて栄光をつかめないかもしれない」
ELIZA:
Alexander? There's a letter for you.
「アレグザンダー。あなたに手紙よ」
HAMILTON:
It's from John Laurens. I'll read it later.
「ジョン・ローレンスからだ。後で読もう」
解説:ハミルトンはスカイラー邸があるオールバニーから1782年8月15日にローレンスに宛てて次のような手紙を書いている。この手紙がローレンスのもとに届いたかどうかはわかっていない。
「我が親愛なる友よ、平和が成立して新しい展望が開けた。その重大な出来事は我々の独立に恩恵を与えるだろう。そうすることで我々は我々の連邦を強固な礎に置かなければならない。ヘラクレスの難行のように山積する旧弊を何とかしなければ。国家のすべての徳ある者と能力ある者が必要とされるだろう。我が友よ、剣を納めてトーガを纏い、連合会議に来てほしい[ハミルトンは1782年11月からニュー・ヨーク代表として連合会議で働くことになっていた]。我々は互いの気持ちをよくわかっているし、我々の意見は同じだ。我々は肩を並べてアメリカを自由にするために戦っている。これから一緒に手を取り合ってアメリカを幸せにするために戦おう」
LAURENS:
But I will gladly join the fight.
「しかし、私は喜んで戦いに身を投じよう」
ELIZA:
No. It's from his father.
「いいえ。彼の父からの手紙よ」
HAMILTON:
His father?
「彼の父からだって」
LAURENS:
And when our children tell our story.
「我々の子供たちは我々の話を語るだろう」
HAMILTON:
Will you read it?
「読んでくれないか」
LAURENS:
They'll tell the story of tonight.
「子供たちは今夜の話を語るだろう」
ELIZA:
"On Tuesday the 27th, my son was killed in a gunfight against British troops retreating from South Carolina. The war was already over. As you know, John dreamed of emancipating and recruiting 3,000 men for the first all-black military regiment. His dream of freedom for these men dies with him."
「『[1782年8月]27日火曜日、我が息子はサウス・カロライナから撤退中のイギリス軍との銃撃で命を落とした。独立戦争はもうすぐ終わるところだった。ご存知の通り、ジョンは3,000人の奴隷を解放して最初の黒人連隊を創設するつもりだった。奴隷に自由を与えるという夢は彼とともに死んだ』」
解説:ヨークタウンの戦いが終わった後、ローレンスはサウス・カロライナを転戦していた。ローレンスは、チャールストンから出撃したイギリス軍の徴発部隊に独断で奇襲を仕掛けることを決定した。しかし、一枚上手の敵は、ローレンスの奇襲を察知して逆に待ち伏せ攻撃を仕掛けた。多勢に無勢、しかも不意を突かれたにもかかわらず、ローレンスは怯まずに軍列の先頭に立って突撃する。それが命取りになった。
もしローレンスが終戦まで生きていれば、親友のハミルトンとともにその後の政界でも活躍したに違いない。残念ながら「向こう見ずと言える程に勇猛果敢」というワシントンの評価が的中することになった。その時点ではもう独立戦争は和平へと動き始めていた。
イライザが読み上げたローレンスの父ヘンリー・ローレンスの手紙はミランダの創作である。ヘンリー・ローレンスは、息子の死の報せをイギリスのバースで受け取った。その時、ローレンスは連合会議の外交官を務めていた。著述家のエルケイナ・ワトソンは、ヨークタウンの勝利の報せがフランクリンに届いた時もその場に居合わせたように、劇的な場面に遭遇する運命にあるらしい。息子の死を知ったローレンスの様子を次のように記している。
「報せは雷のように彼を力強く突然襲った。最初、彼の精神は崩壊して麻痺してしまったように見えた。彼は信念を捨ててしまって、息子に先立たれた父親の苦痛に身を任せようとしているようであった。彼の悲しみを慰めることができる手段などどのような人間も持ち合わせておらず、私ができることは涙と同情を捧げることであった。数日後、彼は落ち着きを取り戻してロンドンに発った」
ワトソンの記録によれば、少なくともヘンリー・ローレンスが息子の死を知ったのは11月10日以降である。ただハミルトンが具体的にいつローレンスの死を知ったのかは不明である。手掛かりになるのは、ローレンスとともに南部で戦っていたナサニエル・グリーン将軍に宛てた10月12日付の手紙である。
「我々の愛する大切な友人のローレンスを失った報せを受け取ったばかりで私は深い悲しみを感じています。彼のすばらしい人生は終わってしまいました。人間の定めとはいかに数奇なものなのでしょうか。いかに多くの優れた才能を持つ者が幸せな運命を得られなかったのでしょうか。[中略]。私が心から愛した本当に数少ない友人の喪失を私は悼んでいます」
またハミルトンはラファイエットに宛てた11月3日付の手紙で次のように書いている。
「かわいそうなローレンス、彼はサウス・カロライナのつまらない小競り合いで彼の大望を犠牲にしてしまった。私が彼をどんなに愛していたか君は知っているだろう。だから私が彼を失ってどれだけ残念に思っているのかわかるはずだ」
こうした手紙からすると、ハミルトンはヘンリー・ローレンスよりも先にローレンスの死を知っていたはずである。したがって、ヘンリー・ローレンスからローレンスの死を知らされることはありえない。
LAURENS:
Tomorrow there'll be more of us...
「我々には未来がたくさんあるだろう・・・」
ELIZA:
Alexander. Are you alright?
「アレグザンダー。大丈夫なの」
HAMILTON:
I have so much work to do.
「やらなくてはならないことがたくさんある」
⇒ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説24―Non-Stop 和訳
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