英単語の覚え方の違い

 学生に話を聞いていると単語帳を使って英単語を覚えていたらしい。英語の受験勉強はそういうものらしい。単語帳を使って英単語を覚えると以下のようになってしまう。

単語1(日本語)⇒英語1
単語2(日本語)⇒英語2
単語3(日本語)⇒英語3

 つまり、これは一つ一つの言葉に対応する意味を割り振っているだけ。その結果、どうなるか。英文を読む時に困る。なぜなら英単語同士の関連性を覚えていないのだから。例えば私は次のようなモデルで単語を覚えている。と言っても無意識にこれまでやってきたんだが。たくさん英文を読むと自然に分かってくるというか。
 つまり、単語群をカテゴリーとして覚えている。円の中にいろいろな単語が入る。要素別に整理して英単語同士の関連性を覚えている。ちょっと意味が違うかもだがcollocationってやつだろうか。ぶっちゃけ日本語の訳語は特に覚えていなかったりする。だって英語は英語で読めれば問題がないから。

 ある話題について、例えばアメリカ経済のFRBの動向とかいう話になると使われる名詞や動詞のグループはある程度、限定される。そういうセットが頭に入っていれば英文を読むのが楽になる。

 日本語⇒英語を一語一語覚えると和訳に役立つように思えるかもしれないがそうでもない。簡単な英文ならそれで通用する。でも難しい英文だと無理になる。なぜなら日本語と英語の構造は異なっていて本来、そのまま翻訳できないからだ。すると以下のような過程を適用するしかない。

 英語の構造と意味を英語で理解する⇒それを新たに日本の構造と意味で書き換える。英語力と日本語力が別個のものとして問われる。英語ができても日本語訳がすごく下手という人がいるのはこのため(英語力があって日本語力がない)。

 また日本語力に問題が無くても英文の翻訳がうまくできない人は逐語訳をやろうとするからできないのかもしれない。単語帳は使ってもよいかもだが、覚えるためではなくてチェックのためだけでよいと思う。この単語知ってたかな程度の。

大統領とネクタイの色

 テレビからよく問い合わせがあるのがアメリカ大統領は意識的にネクタイの色を選んでいるのかという話。毎度毎度、質問があるのでここにまとめて書いておくと便利かもしれない。

 例えば赤と青のネクタイについて考察した記事もあるが、根拠は乏しい。そもそも色彩というのは極言すれば誰でも好きなように解釈できるので、大統領自身が何らかの決まった効果を狙ってこの色を選択しているとは言い難いと思う。

 共和党のシンボルマークが赤
 民主党のシンボルマークが青

 これが関係しているとも考えられるが確証には乏しい。例えば、ブッシュ(父)共和党、オバマ民主党、ブッシュ(子)共和党、クリントン民主党、カーター民主党と並んで映っている写真があるが、。ネクタイの色は所属政党と合致していない。合致しているのはオバマだけ。

 重要な機会にオバマは何色のネクタイを付けているのか。寒色は主に青、暖色は主に赤。

2008年1月8日   
 Yes We Can Speech 寒色
2008年2月5日
 メガチューズデイ 予備選挙の天王山の日 寒色
2008年3月18日  
 より完全な連邦演説 寒色
2008年6月3日
 予備選挙勝利宣言 寒色
2008年8月28日
 民主党全国党大会 候補指名受諾演説 暖色
2008年9月26日
 第1回テレビ討論 暖色
2008年10月
 第2回テレビ討論 寒色 
2008年10月
 第3回テレビ討論 暖色
2008年11月4日  
 勝利宣言 暖色
2009年1月20日  
 第1次就任演説 暖色
2009年4月5日   
 核のない世界演説 寒色
2009年12月10日 
 ノーベル平和賞受賞演説 寒色
2009年9月9日   
 医療保険制度改革演説 暖色
2010年1月7日   
 一般教書 暖色
2011年     
 一般教書 寒色
2012年     
 一般教書 暖色
2013年     
 一般教書 寒色
2014年     
 一般教書 寒色
2012年 
 第1回テレビ討論 寒色
 第2回テレビ討論 暖色
 第3回テレビ討論 寒色
2012年11月7日 
 勝利演説 寒色
2013年1月20日 
 第2次就任演説 寒色

 法則性(ここ一番の時に寒色、暖色どちらをつけるなど)はどうやらないようだが、強いて言えば、寒色と暖色をバランスよく配分しているように思える。同様の機会がある場合、同じ系統の色は使っていないようだ。偶然かどうかは不明。
 2008年の大統領本選の勝利宣言は暖色、2012年の大統領本選の勝利宣言は寒色、2008年の候補指名受諾は暖色、2012年の候補指名受諾は寒色、2009年の就任演説は暖色、2013年の就任演説は寒色。2008年のテレビ討論では暖色⇒寒色⇒暖色なのに対して2012年のテレビ討論では寒色⇒暖色⇒寒色と逆転。2009年のエリザベス2世との会見は寒色、2011年の会見は暖色になっている。
 ただ俗説にあるようにここぞという時に何色のネクタイを付けるという決まりはない。そもそも大統領という立場上、もしここぞという時に付けるネクタイの色が決まっていると問題になる。もし大統領がある晩餐会でその色以外のネクタイを付けてきたらどうだろうか。出席者は失望しないだろうか。したがって、ネクタイの色に法則性はないと考えられる。たとえあったとしても本人しか分からない。

テレビ番組の歴史監修をやってみて思うこと

 私自身がこれまでいろいろとテレビ番組の歴史監修をやってみて思うことを書いてみる。あくまで私の個人的な経験なので他の人がどうかは知らない。

 まず誰もが知りたいと思うのは、ずばり監修料だろう。相場は3万円から5万円。私が担当するのは主にアメリカの歴史や政治について。だから機会は日本史と比べて少ないと思う。

 台本をもらう。最近はメールでやりとりする。VTRの場合もデータをメール(ファイル便とか)でやり取りする。

 それで一つ一つの表現を見て、ここは駄目とか、言い方を変えるべきだなどと指摘する。

 ただここで問題なのは構成作家がすでに決めた方針があって、構成自体がおかしいと思っても変えられないこと。重要なポイントが抜けているとか、ただ面白おかしく伝えるべき問題ではないとか。いろいろ指摘しても反映されることはまずない。

 私が求められることは、「テレビ的に面白くしたいのですが、ここまで言って大丈夫ですか」という確認にイエスかノーを言うだけ。製作会社が欲しいのは単なるイエスマンだろう。そして、テレビ番組によく出ている人達も基本的にはイエスマンを出すわけだ。うるさくがたがた言う奴はまず呼ばない。

 私がうるさくがたがた言う人間にもかかわらず、頼む製作会社がまだあるのは、仕事が迅速丁寧だからと思う。無理な納期でも必ず守るし、説明もきちんと文書にしてまとめる。言ってみれば職人気質かもしれない。

 とはいえ一番驚くのは歴史に対する鈍感さ。例えば「ワシントンが若い頃、フランス軍士官を騙し討ちで暗殺したのは本当ですか」とスタッフが私に聞く。そこで私は「確かにそう書いてある本もありますよ」と答える。するとスタッフは「それはどの本に書いてありますか」とさらに聞く。私は「〇〇という本に書いてあります」と教える。

 そこからが問題。当然のことながら本に書いてあるからと言ってそれが事実とは限らない。どういうことか。

 例えば警察が殺人事件を捜査する場合を考えて欲しい。誰かが「この人が犯人です」と保証すればそれで殺人犯が確定するだろうか。綿密に証拠を集めて本当にそうなのか検証する必要がある。

 歴史家も同じでさまざまな史料を見て、できるだけ真実に迫ろうとする。だから歴史は面白い。ただ本に書かれていることを読んでいるだけではない。

 それにもかかわらず、テレビ番組のスタッフは、「〇〇という本に書いてあるということでOKですね。じゃあワシントンはフランス軍士官を暗殺したで間違いないですね」と言う。

 きっとテレビ番組の製作会社は思っているだろう。本に書いてあることを答えるだけだから3万円程度でよいだろうと。簡単な仕事だろうと。

 でも考えて欲しい。例えば弁護士が1時間5000円とか相談料を取るのは、弁護士になるまでに費用と時間をたくさんかけているからだ。歴史を調べるのもそれと同じ。確かに歴史はお金に直結する知識ではなく需要もあまりないかもだけど、あまりに安い。歴史を本気でやるとすごいお金がかかるんだよ。

 例えばフランクリン・ローズヴェルト大統領政治史料集全50巻とか今、欲しいんだが、極東書店での販売価格を見て欲しい。3万円じゃ1巻も買えない。まだこれは史料集成としてまとめてくれているからましなほうで、史料集成がなければ自分でもっとお金と時間をかけて集めるしかない。こういう積み重ねがあって歴史監修ができる。それを考えたら、たとえ市場的に価値がない情報であろうと3万円は安いのではないか。

 もちろん一般人にお金を寄越せと言うつもりはない。なぜか。テレビは私の専門知識を利用してお金をしっかり稼いでいる。したがって、十分な対価を私に支払うべき義務がある。でも一般人の場合は、お金儲けとか関係無しに純粋に歴史を楽しんでくれている。そういう場合は同好の士だから大切にしたい。ただどっかで集まりをした時に経費(会場代とか)をもらったり、こうしてブログに広告を貼って細々と史料代を稼いだりする程度はさせてもらうけれど。

『選挙人団:12月19日、ヒラリー・クリントンを大統領に』というChange.orgにおける署名活動について

 ヒラリー支持者が一般投票の結果を覆そうと署名活動をしている。詳しくは以下のサイトに掲載されているので見て欲しい。

Electoral College: Make Hillary Clinton President on December 19

 英語のサイトなので意訳だが簡単に訳しておく。

 12月19日、選挙人団が投票する。もし選挙人団が各州の一般投票結果に従って投票すれば、ドナルド・トランプが勝つ。しかし、選挙人団はやろうと思えばヒラリー・クリントンに投票できる。たとえそれが認められていない州であろうと、そうした票は有効になる。違反した選挙人はわずかな罰金を払うだけでよい。クリントンの支持者であれば喜んで肩代わりするだろう。我々は、選挙人団に州の一般投票結果を無視してヒラリーに投票するように求める。なぜか。
 トランプは大統領にふさわしくない。多くのアメリカ人を槍玉に挙げているだけではなく、衝動的であり、暴力的であり、女性を蔑視し、経験不足なトランプはアメリカを危機にさらす。
 一般投票ではヒラリーが勝っている。だから大統領になるべきだ。トランプが勝利した唯一の理由は選挙人制度だ。
 選挙人はどちらの候補でも意のままに勝たせることができる。このような民主主義に反する制度をなぜ使うのか。
 ヒラリーが一般投票で勝っている。トランプが大統領になるべき理由はない。「それは人民の意思」だと言うが、それは違う。ヒラリーが一般投票で勝っている。「憲法による我々の政治制度はトランプが勝ったとしている」と言うが、それは違う。我々の憲法は、選挙人が選ぶと言っているにすぎない。多くの州が不誠実な選挙人を縛っている。もし選挙人が一般投票の結果を無視して投票すれば、罰金を払わなければならない。しかし、選挙人は欲するがままに投票でき、それを止める法的手段は多くの州で存在しない。
これがいかに危険な意見なのか。まず選挙人に関する詳しいが分からない人のために私のサイトから主要部分を抜粋する。

 なぜこのような選挙人団という方式が採用されたのか。憲法制定会議の代表達の中で、連邦議会が大統領を選出するべきだという意見と人民の直接選挙によって大統領を選出するべきだという意見があった。
 議会による大統領選出は大統領を議会に従属させる結果をもたらし三権分立の原理を脅かしかねない。また人民による直接選挙には、人民に大統領を選ぶ見識があるのかという問題、または人民を扇動する者が大統領になる危険性などが考えられた。
 そこで州の定める方法によって選ばれた選挙人によって大統領を選出する方式が妥協案として提案された。それは州政府と連邦政府が権限を分有するという連邦主義にも沿っていた。また連邦制度の中で全国を単一の選挙区とする選挙は法的な重要性を持ち得なかった。
では選挙人制度のデメリットとメリットを列挙する。これは一般的に言われている内容。

 デメリット

  • 一般投票で多くの票を獲得しても敗北してしまう場合がある。そうした事態は何度も起きている。
  • 一般投票の結果を無視して投票する選挙人、いわゆる不誠実な選挙人が出る。
  • 州によって投票率が異なる場合、極端に高い投票率で選ばれたある州の選挙人と極端に低い投票率で選ばれた別の州の選挙人は同等と言えるのか。
  • そもそも選挙人制度は国民の意思を正確に反映していない。
  • 勝者総取りが多く、第三政党が選挙人を獲得できる機会がない。

 メリット

  • 大統領は国民の代表であると同時に連邦の代表である。連邦の統合を保つためには地域間の融合を図らなければならない。したがって、国民によって選ばれるという形だけではなく、連邦の構成要素である州によって選ばれるという形を取らなければならない。
  • 選挙人制度によって二大政党制が確立されている。多様な見解を持つ第三政党が乱立すれば選挙は混戦になる。その結果、過半数を獲得できる大統領候補がなかなか出なくなって紛糾する。選挙人制度ではそうした事態は起こりにくい。

 それで私の見解だが、まず私はあくまで中立。もしトランプが敗北していて、トランプの支持者が同じことをしていれば反対していた。それに人種差別も容認すべきではないと思っている。反対の理由は別のところにある。すなわち、次のようになる。

 今回の署名活動をしている人々は、選挙人制度は民主主義に反する不公正な制度だから無視するべきだと考えている、一般投票で勝利した候補が大統領になるべきだと。

 だから今回の署名活動に賛同している人にそうした活動は民主主義に反するから止めろという説得はまったく意味がない。彼らは自分達の意見が民主主義に沿うものだと思っているから。

 その点に関しては私は特に言うことはない。一般投票の結果を正しく反映させるのが民主主義だという意見には一理ある。

 しかし、ヒラリー支持者の行為は選挙人制度が存在する意義を無視しているから問題だ。忘れてはならないことは、民主主義だけが正義ではないということ。アメリカという国家には民主主義と並んで重要な原則がある。連邦主義だ。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。きちんと考えられた上で構築されている。

 つまり、選挙人は、各州に連邦上院議員の数と連邦下院議員の数に応じて分配される。これは憲法制定会議で侃々諤々の議論があった末に決まっている。つまり、連邦上院議員の数を分配することは連邦主義を体現する一方で、連邦下院議員の数を分配することは民主主義(当時は必ずしも「民主主義」という言葉は良い意味はないが・・・・・)を体現している。

 極言すれば、各州は選挙人の選定を自由なやり方で行うことができる。それは憲法で決まっている。だから州知事の一存で選挙人を決めるように州の規定を改正すればそれも可能。事実、昔は一般投票がない州が多く、州議会が選挙人を選んでいた。それが時代を経るにつれて民主化して一般投票が当たり前になった。だから選挙人制度は時代に応じて十分に民主主義に沿う形に改善されている。それを忘れてはならない。

 仮に絶対的な政治的正義があるとすれば、私の考え方はこうだ。ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障する。この政治的正義を実現するためには民主主義と連邦主義の両方が必要となる。選挙人制度を無視しようとする人はそこを分かっていない。

 民主主義については特に説明する必要はないだろう。では連邦主義とは。合衆国憲法の制定者たちは、人民を州政府と連邦政府がそれぞれ統治するという二元制を規定した。図で説明するとこうなる。


 なぜ憲法の制定者たちはこのようなシステムにしたのだろうか。似たようなシステムがある。三権分立。行政府、司法府、立法府が均衡して抑制しあうという仕組み。つまり、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあう。何のためか。それは三権分立と同じ。三権分立では行政府、司法府、立法府がそれぞれ暴走しないようにしている。合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうのは、同じくそれぞれが暴走しないようにするため。合衆国政府が暴走すれば、州政府と人民が抑える。州政府が暴走すれば、合衆国政府と人民が抑える。人民が暴走すれば合衆国政府と州政府が抑える。歴史上、さまざまな具体例があるが、ここでは言及しない。

 暴走を抑える目的は何か。誤解を恐れず、簡単に言ってしまえば、ある者が突然、正当な理由もなく財産も自由も奪われずに普通に暮らすことをすべての人々に保障するためだ。

 ここで問題となるのは、合衆国政府、州政府、人民が均衡して抑制しあうためには、それぞれが権限を持たなければならないということ。

 アメリカでは州の権限が強いとされるが、昔と比べるとまったくそうではない。選挙人制度は州の権限を認めるために必要な制度である。もし大統領が州の意向を反映せずに人民の意思だけで選ばれればどうなるか。連邦政府の権限がもっと強くなる恐れがある。そして、実質的に州が有名無実の存在になれば、合衆国政府、州政府、人民の均衡が崩れる。その先に待つものは政治的混沌でしかない。

 確かに歴史を振り返れば、南北戦争は、合衆国政府と人民が南部の州政府の暴走を止められなかったことに一因がある。均衡と抑制がうまく機能していなかった。それは州の権限が強すぎたからだ。

 しかし、時代を経るにつれて連邦政府は肥大化して強大化している。そうした連邦政府の行動を常に警戒心を持って見張るためには人民だけでは足りない。州も厳しい目を注ぐ必要がある。そのためには州を強化しなければならない。

 もし選挙人制度を否定してしまえばどうなるか。それは大統領の選出に大きな影響を及ぼすという州の権限を否定することになる。それは州の弱体化につながる恐れがある。州が弱体化して連邦政府を監視する役割を果たさなくなれば、そのつけは結局、人民に回ってくる。

 それに選挙人制度によって、州と人民は大統領を選出した連帯責任を持つ。責任は義務を伴う。もし大統領が圧政を行えば、人民だけではなく州もそれに異を唱える義務を負う。

 大切なことだからもう一度言う。選挙人制度は民主主義と連邦主義を両方体現したハイブリッド・システムである。アメリカという巨大国家を運営するには、民主主義と連邦主義の二つの柱が必要である。だから選挙人制度は、一見すると時代遅れの非合理な制度のように見えても温存しなければならない。だから選挙人制度を無視して一般投票で勝っているヒラリーを大統領にすべきだという意見は考え直さなければならない。

追記:11月13日20時39分

 そもそも選挙人制度は人民を扇動して大統領になる者を防止する目的で作ったという経緯もある。したがって、もしトランプが扇動者と認められるのであれば、選挙人自身の自由意思でヒラリーに投票するのはありだと思う。

 しかし、やはりたとえ間接的であれ、ヒラリーの支持者が選挙人に数の力で迫るような運動は少数者の権利を脅かすことになる。民主主義は多数決の原理だけでは暴政となる。少数者の権利の擁護を伴わなければならない(この問題については拙著『ジェームズ・マディソン伝記事典』で詳しく論じている)。ヒラリーの支持者ができることは、選挙人が「良識」を持って投票するように見守ることしかない。間違っても強制と誤解されるようなことはしてはならない。

 猶、この文章は私のアメリカ人の知り合い(ヒラリー支持者)に送ったもので原文は英語。それを簡単に訳している。

なぜ大統領選は今のような複雑な制度なのか

選挙人は必ずしも人口に応じて配分されているわけではない


 以前、ヒラリーとトランプの票が同数になったらどうなるかについてはここに書いた。それで今回は大統領選の仕組みについてまとめておきたい。
 テレビや新聞など大統領選についていろいろ報道している。そこで疑問に思わないだろうか。なぜこんな面倒なシステムになっているのと。一般投票やら選挙人やらなんで面倒なんだと。

 一番簡単な方法は、アメリカ全土を一つの選挙区にして集計して最多票を獲得した者が当選という方法だろう。国民の意思を反映しているのだからそれで良いように思える。

 しかし、ここで忘れてはならないのは、アメリカが連邦制の国だということ。国民の意思も大事だが、各州の意思も無視できない。もしアメリカ全土を一つの選挙区にすれば各州の意思を無視することになる。だから選挙人を各州に割り当てることになる。

 選挙人の割り当てだが、昨日の日経新聞に人口に応じて割り当てると書かれていたが違う。連邦議会の構成を見れば分かるように、アメリカの連邦政府は必ずしも人口に応じて代表されているわけではない。原則、下院の議席配分は人口に応じているが上院の議席配分は各州に2人ずつだ。

 選挙人の配分は州選出下院議員の数と州選出上院議員の数になる。例えばカリフォルニア州の選挙人の数は、下院議員53人+上院議員2人になる。だからすごく人口が少ない州でも最低3人はいる。

 カリフォルニア州の人口は約3800万、ワイオミング州の人口は約58万人。そうなるとカリフォルニア州は約70万人に1人の割り当てでワイオミング州は約20万人に1人の割り当て。人口に応じていないのは明確だ。

 もし1票の重みが違うとカリフォルニア州の住民が裁判所に提訴したらどうなるか。きっと敗訴するだろう。

 なぜなら選挙人の配分が人口に必ずしも比例していないのは、有権者の多数決で決定するという民主主義の論理と州の多数決で決定するという連邦制の論理の二つが並存しているから。連邦制という憲法で認められた原理があるのでたとえ1票の重みが違ってもこの場合は認められる。

そもそもなぜ間接選挙なのか


 一般投票ですべて決定すればよいのではないか。なぜなら選挙人は原則、一般投票の結果に従って投票するだけだから完全に形骸化しているからだ。

 まず建国の父祖たちは実は民主主義(昔、デモクラシーという言葉は衆愚政治という意味合いが強かった)を恐れていた。危ない扇動家が出てきて民衆を意のままに動かせば国はおしまいだと考えていた。そこでワンクッション置いて良識ある人々に大統領の選出を委ねようと考えた。それが選挙人。

 選挙人は州が好きな方法で選ぶことができる。一般投票で選んでもいいし、州議会が選んでもいい。州法、もしくは関連する州憲法を改正しさえすれば州知事の一存で決めるということも可能。つまり、選挙人は州の主権を尊重した連邦制の残滓だと言える。だからおいそれとなくせない。たとえ形骸化していても。

アメリカの有名作家の収入

 20世紀前半のアメリカを代表する作家の1人にスコット・フィッツジェラルドがいる。アメリカ文学史では必ず登場するフィッツジェラルドだが、どの程度の収入があったのか。Living on $500,000 a Year―What F. Scott Fitzgerald’s tax returns reveal about his life and timesという面白い記事があったので簡単に内容をまとめておく。

 1919年、ベストセラーとなった『楽園のこちら側』が出版される前の年間収入は短編を書いて879ドル。納税を申告しなければならない基準を下回っている。

 1920年、『楽園のこちら側』のおかげで収入が1万7055ドルに激増。前年の20倍近く。4月に出版された『楽園のこちら側』は5万部近く売れた。1920年から1923年の間で印税は1万3,036ドルに上った。

 それ以後、フィッツジェラルドは平均で年間2万4,000ドルを稼いでいる。今のお金に直すと50万ドル程度である。

 晩年、フィッツジェラルドはハリウッドでシナリオを書く。1937年6月から1938年12月まで映画制作会社メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社のために働き、8万5,000ドル、週当たりに約1,100ドルを受け取った。今の価値にすると1日3,000ドルは稼いでいたことになる。

 最も収入があった年は1938年で5万8,783ドルに上った。ちなみに当時のアメリカ大統領の報酬は7万5,000ドルである。

 フィッツジェラルドの生涯収入は44万9,713ドル、今の価値にすると900万ドルになる。ただ収入の大半は短編や映画のシナリオから得られたものであり、代表作の『華麗なるギャッツビー』の印税は生前に限定すると8,397ドルでしかない。全収入の2パーセントにも満たない。

 これだけ稼いでいたフィッツジェラルドであったが、豪奢な暮らし(家賃や召使いの給料などで年間1万ドル以上)に加えて、後には妻の治療費に多額のお金(15ヶ月間のサナトリウムでの治療費だけで1万3,000ドル)を費やしたせいで金策に困っていた。支出が3万6,000ドルに達した年もあるという。

 『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの収入も見てみよう。Melville's Literary Earningsによれば、メルヴィルの生涯収益は8作品が5万953部売れて1万214ドル82セント。一番売れたのは処女作の『タイピー』(1846)。『白鯨』は今では代表作だがあまり売れなかった。1891年に亡くなっているので年平均で220ドル~230ドル程度にしかならない。フィッツジェラルドと時代が違うとはいえ少ない。もちろんこれだけでは暮らしていけないので税関吏をやっていた。

洋書の賢い購入方法

 私はアメリカの歴史を調べている。だからたくさん洋書を買う。できる限り安く買えるに越したことはない。そこで洋書を安く買う方法をまとめてみた。

 まず著作権が切れている本であれば無料でネット上で読めないか。一番使えるサイトはInternet Archive。基本的に登録など面倒なことはない。しかもPDFでダウンロードすればいつでもどの端末でも読めるので非常に便利。Internet ArchiveのWeb上のリーダーがよくできているのでPDFでダウンロードする必要はないと思う。

 さらに細かく検索したり、いろいろ調べる場合はHathiTrust Digital Libraryが良い。アメリカの大学図書館が中心の電子書籍図書館。一部に大学図書館のメンバーしか使えない機能があるが、一般利用者も通常の利用であれば問題なく使える。リーダーが高機能で見やすく使いやすい。ただ欠点としてInternet Archiveよりも表示速度が遅い場合が多い。

 大学図書館書籍アーカイブHathiTrustについて

 次は著作権が切れていない本の場合。もしくは著作権が切れていてもデジタル化されておらずネット上のどこにもない本の場合。そうなると購入するしかない。

 最初に見るのはAmazon.com。Amazon.comはおそらく最も豊富に書籍を取り揃えている。書籍以外も取り揃えていることもあって、例えばパンフレットのようなISBNが付いていない物もヒットする。まずAmazon.comで探す。

 見つかったらとりあえず最安値を確認する。通常、本体+Shipping+Handlingの合計となる。ここではDavid McCulloughの『1776』(Soft Cover)を例にする。『1776』の古本は4.48ドル(本体)+7.98ドル(Shipping+Handling)=12.46ドルとなっている。もちろん0.01ドル(本体)で出品しているマーケットプレイスはたくさんあるが、だいたいは日本へ発送できないというエラーが出る。しかもマーケットプレイスがそれぞれ日本へ発送できるか否かはいちいち一つひとつ確認しなければならない。非常に面倒。

 ちなみにキンドルだと19.33ドル。キンドルは一瞬で見られるが欠点もある。例えば絵が両開き二ページにまたがっている場合、ちゃんと見られなかったりする。図や絵が多い本はキンドルは避けたほうが良い。文字だけなら問題ないはず。

 もちろんAmazon.jpでも買える。Amazon.jpだと1463円、すなわち13.97ドル(2016年10月30日現在のレート)。ちなみにキンドルは2025円、すなわち19.34ドル。つまり、Amazon.comと同じ値段。ただ『1776』のようなベストセラーであればAmazon.jpにも並ぶが、そうではない本はまず検索にさえ引っ掛からない。したがって、まずAmazon.comで探してAmazon.jpで買えないか調べるのが鉄則。ISBNをコピペしておくと他のサイトでの検索に便利。

 いちいち一つひとつサイトを調べるのが面倒な時はPrice Comparison at 130 bookstoresBookFinder.comという一挙に比較できるサイトがある。どれくらい精度があるのか不明だが、日本への発送を含めておおよその値段が複数のサイトを横断して分かるので極めて便利。個別のサイトを見るのであれば、他にBook Depository、AbeBooks、Biblioがある。

 Book Depositoryでは『1776』は17.31ドル。ただしShipping+Handlingがないので分かりやすい。それに以前に注文した時、「注文を受けましたが商品が準備できませんでした」という謝罪メールが届いたが、次回注文で使える一割引クーポンコードが添付されていた。高額な洋書を買う場合は非常にお得。包装は非常に簡素。新しい本が多く、古い本は少ない。送料が高くなるような重い本は得になりやすい。Amazon.comの場合、Shipping+Handlingのほうが本体よりも高いことが往々にしてある。

 AbeBooksでは『1776』は1.00ドル(本体)+6.70ドル(Shipping)=7.70ドル。AbeBooksの良い所は、Item Descriptionが非常に詳細な場合が多いこと。Amazon.comでどんな本か情報がなくて購入しようかどうか迷っていた本も詳しい情報を見て判断できるので助かる。高額の本の場合、買ってみて外れだと悲惨なことがあるので。また古本がどのような品質なのかわかるように書いてくれている販売元も多い。私は基本的にAbeBooksを使っている。

 Biblioは最近、知ったばかりであまり使っていないが、『1776』は1.00ドル(本体)+9.00ドル(Shipping)=10.00ドル。

 結論として『1776』(Soft Cover)を買うのであればAbeBooksで買うと一番安い。ただAmazon.comの場合、円高の時にAmazon.comのギフトカードを購入しておいて後で使うという手がある。それにどこが安いかはやはり本によって違う。

 他にも本・書籍通販検索の洋書サイトで調べる手もある。安価な本であればよいが、少しでも高いと感じる本は少し時間を掛けて調べるとかなり値段が違うこともある。